受け継ぐ想いを
未来へ届ける 望遠郷
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更新日:2026年7月10日
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令和7年度は、試掘・確認調査12件、発掘調査2件を行いました。調査を通して、私たちの先人の足跡を知っていただければ幸いです。今回は、その中から以下の2遺跡の調査成果を展示しています。

休館日:月曜日(祝日は開館)、年末年始(令和7年12月28日~令和8年1月5日)
明治航空基地は、東端町、根崎町、和泉町にまたがる地域(旧碧海郡明治村)に造られた、海軍航空隊の飛行場です。現在は住宅地や水田などになっていますが、コンクリートやレンガで造られた構築物がいくつか残っています。非常用発電施設や油貯蔵庫、燃弾庫などがあり、当時の状況を偲ばせます。
調査地は、東端町内の水田に残されていた土手状の高まりです。通気孔があり、一説には防空壕ではないかとされていました。内部構造を調査した結果、かまぼこ型のコンクリート構造物が4つ連結しており、壁や床には機械を設置した痕跡を確認しました。こうしたことから、単なる防空壕ではなく何かしらの設備が配置された防空施設であったと推測できます。
内部は4室に分かれ、全体はL字型となっています。室内の高さはいずれも約2.7mです。天井の厚さは0.8m以上あることから、耐弾式防空施設として建設されたことがわかります。
この施設についての具体的な史料は残っていません。しかし、「現状申告覚書 昭和20年8月8日現在 第210海軍航空隊 東海海軍航空隊明治基地隊」(国立公文書館アジア歴史資料センター蔵)という文書があり、その中に「當隊無線通信施設(耐弾)ハ送信所及自力発電所 共目下工事中ニシテ八月末頃完成ノ予定」という記述があります。耐弾式防空施設で現在残る他の基地関連施設に当てはまるものがなく、今回確認した①の機械痕跡が発電用のものである可能性が高いことから、この施設は「送信所及自力発電所」の可能性があります。
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▲①南から |
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▲②南西から |
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▲②南西から |
▲④東から |
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▲天井に取り付けられた碍子 |
▲調査地(北から) |
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木戸屋敷遺跡・木戸古城跡は、碧海台地上、木戸町春日神社の北に位置する集落および城館跡です。地籍図には堀または土塁とみられる区画が認められ、調査地はその東側に当たります。戦後まで堀が埋まらずに存在し、堀に沿って南北には土塁が残っていたといいます。 調査の結果、堀と、土塁の痕跡とみられる数条の浅い溝を確認しました。堀の下層から戦国期の鍋などが大量に出土したことから、堀は戦国期には存在したことがわかりました。また堀が途切れている部分があり、そこには細く浅い溝がつながっています。この箇所が、堀で囲った屋敷地への出入り口であった可能性が高いです。周辺の柱穴は、門などが建っていた可能性があります。 |
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▲完掘(西から) |
▲出土遺物 |