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更新日:2013年6月21日
「土器ドキボランティアの会」は平成17 年度に設立され、弥生土器のつくり方を多くの人に広める活動をしています。その一方で自らの製作技術の向上にも取り組んでいます。 |
展示会場のようす |
展示会場のようす |
会期:平成25年1月12日(土曜日)~2月11日(祝・月曜日)会場:安城市民ギャラリー展示室C鹿乗川流域遺跡群とは、矢作川の支流である鹿乗川の右岸南北4㎞にわたって広がる遺跡です。とくに弥生時代から古墳時代には大集落が営まれ、多くの人たちが住んでました。 今回の展示では当時の人々が使っていた土器を年代順に並べて、時間経過とともにどのように土器の形や種類が変わっていくのかわかりやすく紹介しています。
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姫小川古墳の国史跡追加指定を記念した展覧会。古墳時代前期(4世紀中頃)に造られた姫小川古墳をはじめとする桜井古墳群の最新の調査成果に加えて、愛知県内各市の古墳から出土した埴輪や鏡などを集め、姫小川古墳の実像にせまります。 姫小川古墳を訪ねてプロローグ 古墳のかたちが表すもの姫小川古墳は前方後円形の古墳です。それ以外にも前方後方形や円形などさまざま形の古墳があります。なぜいろいろな形の古墳があるのでしょうか? 古墳を魅せる①-周溝-古墳を魅せる②-葺石-「人々からどう見えるのか」ということも古墳の大切な要素でした。 姫小川古墳に埴輪がないこと古墳と聞いて「埴輪」を連想する人も少なくないのでは?しかしながら、姫小川古墳には埴輪はありませんでした。 葬られた人の空間とそこにあるもの棺を納める空間(埋葬施設)とそこに置かれた品物(副葬品)は、葬られた人物を探る重要な手がかりになります。 姫小川古墳は誰のお墓?古墳を構成するさまざまな要素から、葬られた人物を推測します。 姫小川古墳を守り、伝えるエピローグ |
姫小川古墳とは 上空から見た姫小川古墳 展示会場のようす |
平成23年度に行った調査の成果を展示しています。平成23年度は27件の発掘・試掘調査を行いました。その中から以下の5遺跡の調査結果を展示しています。
本證寺境内地(野寺町)県指定文化財の本堂をはじめとする建造物がある境内の周りを、土塁や二重の堀が巡っている史跡。昨年度は外掘内の寺内5か所の調査と外堀付近2か所の調査を実施しました。その結果、戦国~江戸時代の寺内の様子がわかってきました。 高畑遺跡(高木町)碧海台地の東端に位置する奈良~平安時代を中心とした集落遺跡。平安時代の溝や柱穴が見つかりました。 山崎城址(山崎町)山崎城はもとは大岡城と呼ばれ、天文12年(1543)に松平信孝によって築城されました。今回の調査区は本丸内で設定されました。城と関係のある遺構や遺物は見つかりませんでしたが、奈良~鎌倉時代の遺構や遺物が見つかりました。 本神遺跡(古井町)西三河を代表する弥生時代後期の環濠集落。今回の調査では環濠内から大量の土器が出土し、竪穴住居も見つかりました。 古井堤西遺跡(古井町)弥生~古墳時代の大集落遺跡である鹿乗川流域遺跡群に隣接する碧海台地上の遺跡。今回の調査では戦国時代の遺構や遺物が多く見つかりました。 |
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