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市長のときどきブログ下学上達

最近の出来事の感想やちょっとしたコメントを書いています。
これまでの「月曜のひとこと」と「今月のメッセージ」から変更します。

2019年5月7日

安城市政 平成をふり返る

日本では「平成」が幕を閉じ、「令和」という新しい時代が始まりました。私は昭和の末期(昭和62年)に市議会議員に初当選しました。そして、平成15年1月末まで市議を務めた後、同年2月から現在まで安城市長を務めています。よって、平成の約30年間の安城市政を語ることができる唯一の現職政治家ということになります。

そこで、多少の私見や主観も入ってしまうかと思いますが、平成の安城市政の流れを私なりにふり返ってみることとしました。

平成1~3年都市基盤構築の時代(市長 岩月収二氏)

現在の二本木地区に新幹線駅建設が決定したのが昭和59年、そして昭和末期の63年3月、東海道新幹線三河安城駅が開業しました。こうした動きに合わせて新幹線駅周辺(S.61-H.18)、北部地区(S.61-H.25)、作野地区(S.63-H.20)と、いずれも100ha前後の大型区画整理事業が施行されました。平成の幕開けとほぼ同時期に、新幹線新駅を核とした本格的な安城の都市基盤整備もスタートしたと言えましょう。

この時期には、歴史博物館、総合福祉センターといった大型公共施設が、ともに平成3年竣工予定で進められていました。このように長期にわたる複数の大型区画整理事業の推進とともに、主要な都市施設も建設せねばならず、財政的な不安を抱えた市政運営だったとふり返ります。

しかし、そんな財政運営への不安とは裏腹に、世の中は「平成バブル」期に突入しており、堅実な財政運営を目指そうとすればするほど、想定を超える法人市民税等の増収により市の基金(貯金)が積みあがるばかりでした。「安城市は上手なお金の使い方を知らない」というご批判の声が、当時の私の耳にも入ってきました。

もちろん批判する方々は、平成バブルという過去に例を見ない経済現象の実態を理解しておられた訳ではなく、基金の増加という一過性の現象が末永く続いてゆくとの誤解があったものと思われます。平成2年度当時、約84億円の財政調整基金を残され、岩月さんは3期12年の市長職を退任されました。

三河安城

【三河安城駅開業記念号発車式の様子】

平成3~15年 都市施設充実の時代(市長 杉浦正行氏)

今思えば、バブルの頂点だった平成3年2月に杉浦さんが市長に就任され、県議会議員当時の人脈を生かされ、西三河南部の中核都市にふさわしい都市施設を次々に整備してゆかれたのがこの時期です。大型公共施設のオープンを簡単にまとめてみますと、以下の通りとなります。年号はすべて平成です。(「安城の統計安城市年表」より)

3年 歴史博物館、東部公民館、総合福祉センター、南部公民館

4年 桜井公民館、堀内公園

5年 二本木公民館、下水道利用開始

6年 茶臼山高原野外センター浴室棟、教育センター

7年 中部公民館

8年 昭林公民館、安祥デイサービスセンター、丈山苑

9年 産業公園デンパーク、北部福祉センター、環境クリーンセンターごみ焼却施設

10年 消防署西出張所、リサイクルプラザ、西部福祉センター

11年 総合斎苑、社会福祉会館、マーメイドパレス、作野福祉センター

12年 消防署北分署

13年 スポーツセンター、ソフトボール場、せん定枝リサイクルプラント

14年 二本木保育園、三河安城小学校

15年 市民ギャラリー、埋蔵文化財センター

デンパークオープニング式典の様子

【デンパークオープニング式典の様子】

上記以外の事業として、平成11年には大規模な桜井駅周辺特定土地区画整理事業が始められた他、平成14年には更生病院が移転し、現在の地で「安城更生病院」として開院されています。そして、その新病院建設にあたり対象となる経費の3分の1に相当する額を補助金として、安城市が支払うこととなりました。この12年間はほぼ毎年、新しい大型公共施設の建設が続き、本市の都市施設は充実されました。

ところが、すでに平成4年頃から平成バブルの崩壊は始まっており、後に「失われた10年」と言われる時代に入ってゆきました。しかし当時は、まだバブル崩壊が日本社会にどんな影響を及ぼすのかについて、十分な共通認識が生まれていませんでした。その時代を象徴する出来事として、平成9年の北海道拓殖銀行の破たん、山一証券の自主廃業などが起きており、深刻な経済ニュースが続きました。

この時期、おそらく日本の経済構造が過去に例を見ない底割れ現象を起こしていたと思われます。しかし当時の一般認識として、バブル崩壊は高度経済成長期のオイルショック同様の一過性の現象と見なされ、そのため景気低迷は大きな経済サイクルの一環ととらえられ、いずれ回復期を迎えると受け止められていたように記憶しています。

平成10年に就任された小渕首相は、こうした経済認識の下で積極的な公共投資を進めることとされました。国が多額の補助金による誘導策をとることにより、都道府県から市町村に至るまで、全国各地で大規模な公共事業が進められました。この時期は、多額の公的資金を使い社会インフラを整備することが奨励される空気が生まれ、本市もそれに倣(なら)ったのが平成10年以降の大型公共施設の建設だったとふり返ります。

この時代、私も市議会の末席を汚していただけに、国の音頭取りによる大型公共投資が、後の国と地方の深刻な財政危機を生むことにつながってしまったことに、責任の一端を感じてしまいます。ただ幸いにしてこの時点では、安城市の財政は危機的な状況にまでは至ってはおらず、将来に向けた市政運営の選択肢を示すべく、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、私自身が市長選挙に出馬をすることとしました。

平成15~31年 行財政の体質転換の時代(市長 神谷 学)

平成15年までの積極投資のおかげで本市の都市施設は充実しましたが、財政的な不安は膨らみました。平成15年2月の市長選挙では、「堅実な財政運営」と「行政計画の見直し」を打ち出した私が、12年ぶりの投票による選挙で市長に就任することとなりました。

私はひとまず、大規模な公共投資計画の組み換えを行うこととしました。桜井駅周辺特定土地区画整理事業と合わせて進めていた鉄道高架事業よりも、地味ながら重要な小中学校を中心とした公共施設の耐震補強を最優先事業として取り組むこととしました。

市長に就任したこの時期、日本は未だバブルの後遺症から脱却できず、「失われた10年」から「失われた20年」へと差しかかりつつある時代でした。しかし、西三河地方では自動車関連産業の経営努力が重ねられ、平成17年の「愛・地球博」と前後して「元気な愛知」と喧伝される良好な経済状況が生まれました。

こうした望外の地域限定の好況により、財務体質の改善が図れたのは僥倖(ぎょうこう)としか言いようがありません。災害対策としての公共施設の耐震改修が一段落した頃、桜井駅周辺の鉄道高架事業といった大型事業を再開しましたが、この頃には本市の財政も一息つける余裕が生じていました。

ところが、数年間にわたる「元気な愛知」の時代の直後、リーマンショック、そして東日本大震災発生と前代未聞の事態が続き、再び日本経済ばかりではなく本市の財政運営にも大きな負の影響が及びました。こうした状況を予見できた訳ではありませんが、本市では「元気な愛知」時代の財政的な余力により、その後も計画的に都市基盤整備や都市施設建設などを進めることができました。南明治土地区画整理事業の推進、アンフォーレのオープンの他にも、体育館、ソフトボール場、文化センターなど、老朽化した公共施設の改修を順次進めることができたことは幸いでした。

アンフォーレグランドオープニングセレモニー

【アンフォーレグランドオープニングセレモニー】

5月1日より「令和」という新時代が始まりました。今の若い世代による後世の歴史的な評価に応えられますよう、新たな気持ちで市政運営に当たってまいります。新時代の市政運営に対しましても、引き続きのご理解とご協力をいただきますようよろしくお願い申し上げます。

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市長の動き

2019年5月19日(日曜日)

時間

行事

場所

午前9時45分 ふれあい田んぼアート2019(田植え) 和泉町
午後1時 安城七夕親善大使オーディション アンフォーレ

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