受け継ぐ想いを
未来へ届ける 望遠郷
ホーム > 市政情報 > 動画で見る安城市 > 安城市商業プロモーション映像「#Anjo起業 私が夢を叶えるまで!起業への5ステップ」 > 事業者へのインタビュー
ページID : 22877
更新日:2023年3月31日
ここから本文です。
安城市商業プロモーション映像「#Anjo起業 私が夢を叶えるまで!起業への5ステップ」に”起業の先輩”としてエキストラで出演していただいた3名の方に起業に関するインタビューを行いました。
収集癖があった。小学生の頃はキン肉マン消しゴム(キン消し)集めをしていた。高校生の頃はナイキのジョーダンシリーズ(スニーカー)をカラーバリエーションごとに集めていた。
高校生の時は、強豪のワンダーフォーゲル部(競技登山)に所属し、部活や学校生活に熱中していた。
大学生の時に、アメリカに短期留学したものの、言葉が分からなかったため、ホームステイ先の人に感謝の気持ちをしっかり伝えられずに後悔した。そのため、もう一回アメリカに行って、感謝の思いを伝えたいと強く思うようになり、就職活動を見送ってアルバイトでお金を貯めて、再び行くことにした。ホームステイ先に行ってみたが、既に引越されており、結果的に会うことはできなかったが、それでも行って良かったと思うことができた。
学生の頃からスノーボードに熱中し、初めはスノーボードにまつわる仕事をしようと考えていたが、仕事にしていくことに難しさを感じていた。
その後、大怪我を負い、身体を使った仕事をすることが難しくなり、選択肢が限定されたことによって、逆にやりたいことが明確となり、今の仕事で起業することを行動に移すことができた。
好きなことを仕事にしたいと考えていた。昔から好きなことはたくさんあったが、その中で何を仕事にするのが良いかを考えていたところ、好きな家具ブランドの取扱店舗が近くにないということに気付き、自分でやろうと考えた。
20代の頃には自分が今のような仕事をしているとは全くイメージしていなかったが、好きなことに熱中してきた結果、それが仕事になった。
小学生の頃、運動や勉強が苦手で、そんな中でも何とか自分のポジションを確立しようともがいていた。皆で同じことを勉強する学校生活にも違和感を抱いていたが、小学校3年生の写生大会で校長先生から絵の発想を称賛されたことをきっかけに、周りからの見られ方が変わり、漠然とではあるが、その頃から自分は将来アイデアを仕事にしていきたいと思うようになった。
しばらくは「絵が上手いこと」は周囲からのプレッシャーでしかなかったが、中学生の頃にはそれが自分の武器であることに気付いた。
その後、小学3年生の頃から目標にしてきた地元のデザイン科がある公立高校に入学した。そこでは、初めてライバルと思えるような同級生たちや生き方を教えてくれた恩師に出会うことができた。
高校を卒業してすぐに店舗装飾のデザインをする会社に入社し、現場での解体、設営などの作業を経て、デパートの売場等の祭事装飾やウィンドウディスプレイのデザインを担当することになった。
売場を一晩で様変わりさせるという仕事にはそれなりのやりがいは感じていたが、形が残るものをデザインしたいという想いに駆られ、自動車のホイールメーカーに転職した。そこでは、製造や設計等の望まない仕事をすることもあったが、やりたかったデザインの仕事で結果を出し、チーフデザイナーとなった。
その後、視野を広げようと転職した自動車メーカー系の専門商社で企画営業を担当し、外部の顧客とのやり取りから顧客目線を意識するようになった。
やりたい仕事ばかりではなかったが、それまでの経験からデザイン、設計、製造、営業までの全てを自分で行えるようになった。そういった状況の中で、自分のやるべきことを突き詰めた結果、気付いたら起業することになった。
子供の頃から好き嫌いがなく、食べることが好きで、大人が食べる物(おつまみ等)や変わった食べ物に興味があった。料理は全然できなかったが、中学生の時、作ったら母が喜ぶかなと思い、母がいないときに料理していた。
高校生のときは、遊びに夢中で料理から離れていたが、はまりやすい性格で、やりたいことはたくさんあった。一つ一つにそんなに熱意はなかったが、親は否定せずにいてくれた。
高校卒業後、東京の料理とは関係ない専門学校に進学したが、辞めて地元に戻り、若い時に結婚した。
結婚後は夫家族と同居し、ブロッコリーを切らずに茹でるなど、あまりにも料理が出来ず義母に驚かれた。それが悔しくて火が付き、まずはレシピどおり作ることから始めた。好物を作ると家族が喜んでくれるので、嬉しくなり、料理にはまった。
調理師の社長がいる会社で、新たに出来た社員食堂のパートとして仕事を始めた。社長から味が分かると認められ、いろいろな食材や食べ物を食べさせてもらい、料理の基礎を学んだ。
その後、同じ社長が営むテイクアウトの肉の専門店で働くことになった。
テイクアウトの肉の専門店で働くうちに、お客様が食べている姿も見たいと思うようになった。社長の後押しもあり、 4年前に好きな地元で、肉にこだわったカフェをオープンした。開業後しばらくは社長の支援を受けていたが、1年程前に独立した。
当初は、特別な日に食べる商品を提供してきたが、コロナ禍での休校をきっかけに、一人の主婦として、また、働く母として、普段の食事で罪悪感なく家族に出せるような商品も提供するようになった。人が好きなので、いろいろな人と出会えるイベントにもよく出店している。
店を始めてからまじめだね、ストイックだねとよく言われるようになったが、自覚はない。むしろ、自分がわくわくすることでないと気持ちを保つことができない。気分の浮き沈みがあるときは楽しめていない証拠だと考えている。好調な日もダメな日も、その日なりにその日の100%を出すように心掛けている。
こうしなきゃと決めず、とにかくやってみる。やらないで後悔するなら、やって感じたことを大切にしていけたら良いと思っている。
目の前のことで悩んだ時は、やらないで後悔するよりも、とにかくチャレンジすること。失敗したとしても、大切なのはそこから感じたことを次に生かしていくこと。違うなと思ったら軌道修正しても良い。身近にそれを否定せず受け入れてくれて、信頼できる話しやすい大人がいると良いと思う。