受け継ぐ想いを
未来へ届ける 望遠郷
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更新日:2024年5月24日
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城向遺跡は、桜井松平家の居城であった桜井城跡の西に広がる集落跡です。これまでの発掘調査で、古代の集落跡や戦国時代の屋敷地とみられる遺構・遺物が多く見つかっています。 今回の調査は、集合住宅建設に伴い実施しました。調査の結果、古代の竪穴建物跡、中世の溝と井戸などが見つかりました。さらに、江戸時代以降の井戸や耕作に利用されたとみられる溝なども複数見つかり、古代より現代まで、この地で長らく人々の生活が営まれてきたことがわかりました。 |
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▲城向遺跡位置図 |
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↑竪穴建物跡 完掘状況 | ↑古代の遺物 | ↑中世の遺物 |
岩根遺跡は、寺領廃寺跡(寺領町)の北、岩根城跡の周辺に広がる古代・中世の集落跡です。令和4年度は、岩根遺跡で3件の発掘調査を実施しました。どの調査でも、古代の竪穴建物跡を中心に、古代・中世の柱穴や溝を確認しました。竪穴建物跡には、カマドの痕跡が良く残るものもありました。カマド跡からは、古代土師器の甕(調理具)の破片や炭化物、焼土が多く出土しました。 岩根遺跡がある鹿乗川に近い小川町一帯や南の寺領町などには、古代。中世の集落が広がっていたことが年々明らかになってきています。 |
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▲岩根遺跡位置図 |
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↑完掘状況 | ↑古代の遺物 | ↑中世の遺物 |
令和4年度の本證寺境内での調査は、「本證寺伽藍絵図」(寛政年間)に描かれた角寺「金龍寺」推定地を調査しました。その結果、残念ながら江戸時代の金龍寺に関わる痕跡は見つかりませんでしたが、戦国時代の溝を確認しました。 |
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▲本證寺境内位置図 | ↑完掘状況 | ↑戦国時代の溝 遺物出土状況 |