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更新日:2013年6月20日
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概要碧海台地の東端に位置しており、1927(昭和2)年の道路改修工事の際に貝塚が発見され、昭和40年代に2度、1996(平成8)~1997(平成9)年にかけて調査が行われました。調査の結果、縄文時代晩期の貝塚・墓、鎌倉時代の建物跡・墓などが見つかりました。 貝塚は台地の縁辺部に西から東に向かって下がりながら広がっており、最大で厚さ1.1mを測ります。1996(平成7)~1997(平成8)年の調査では貝塚の北西部に同時期の墓域が確認されました。穴を掘って葬った土壙墓が13基、土器の中に埋葬した土器棺墓が19基見つかっています。これらのうちのいくつかでは人骨が残っており、当時の埋葬を考える上で非常に重要な資料となりました。土壙墓のうちの1つには、成人3人が埋葬されており、一見遺体を直接埋葬したように見えますが、よく見ると骨の位置が不自然であるため、いったん骨にした後に再度埋葬する再葬墓と呼ばれる墓であると判断できます。また、土器棺墓の中には骨が残っているものが2見つかり、妊娠7ヶ月相当の乳児と2歳6ヶ月相当の乳幼児が葬られていました。土器棺は日常使用している深鉢を転用しており、底部は打ち欠いてあります。 貝層はハイガイを主体としており、マガキ・アカニシ・ハマグリ・アサリ・タニシ類などがあり、シカやイノシシなどの獣骨、少数ですがマダイ・クジラ・ウミガメなどの骨も見つかっています。 鎌倉時代の遺構には、掘立柱建物と土壙墓が見つかっています。この内の1つには、副葬品として鉄製小刀と小皿が納められていました。 貝層断面再葬墓 & 土器棺墓
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所在地安城市堀内町羽開道 堀内貝塚の今 |
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