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更新日:2020年10月2日
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三河三白山というのは、大岡白山神社・上条白山媛神社・桜井神社の総称です。
松平清康(松平七代)は、1523(大永三)年に13歳で安祥城主となり、三河平定に乗り出しました。清康に従う将兵は、安城譜代といわれる家臣団で、出征中に家族は大岡・上条・桜井の三白山社に、お百度を踏んで武運長久を祈願したといわれます。
徳川家康(松平九代)は、1566(永禄九)年に三河守となると、さっそく大岡三白神社の本殿を造営し、ついで1603(慶長八)年に征夷大将軍になると、翌年、安城の代官米津正勝に検地を命じると共に祖父の業績を記念して、三社に社領を寄進し、社殿を造営させました。そのため世にこれを三河国三白山社と呼び、「和漢三才図絵」にも掲載されています。
大岡白山神社 |
概要松平清康が安祥城にいた頃、安城譜代といわれる家臣団の家族は、出陣の間、三白山にお参りして武運長久を祈願しました。もとは椎根津彦命(しいねづひこのみこと)を祀り、大岡明神と称していましたが、天正年間(1573~1593)に白山媛神を合祀しました。
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所在地大岡町宮東43
関連リンク |
上条白山媛神社 |
概要祭神に白山媛を祀り、もとは大市社と呼ばれる大市郷の鎮守神だったといわれています。1603(慶長八)年、征夷大将軍となった徳川家康は、祖父の業績を記念して三社に社領を寄進しています。 |
所在地上条町浮橋
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桜井神社 |
概要市内の大岡白山神社、上条白山媛神社と共に三河三白山として徳川家の崇敬が厚く、1614(慶長十九)年に社領50石が寄進されています。毎年10月末に大祭が行われ、桜井七ヶ村(堀内・印内・中開道・下谷・城向・西町・東町)と城山が持ち回りで神楽を奉納します。桜井神社は毎年違う神楽を奉納することになっています。また、お囃子(市指定)や棒の手(県指定)も披露されます。
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所在地
桜井町桜林17 ![]()
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