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更新日:2013年6月20日
大岡白山神社は養老2年(718)の創建と伝えられ、はじめ大岡明神と称していたといいます。天文2年(1533)に徳川家康の祖父である松平清康が社殿を造営しましたが、天文9年(1540)に織田軍の兵火により消失したと伝えられています。その後、永禄10年(1567)に家康により再建され、慶長9年(1604)に社領138石を寄進されています。
桁行3間(1間=1.818m)、梁間2間の三間社流造で、昭和11年頃に檜皮葺から銅版葺に変更されました。
地元の有志により編纂された郷土史『大岡の郷』には、永禄10年に家康が再建した際の棟礼(棟上、建前の時に工事の由緒、年月日、建築主または工匠などを記して棟木などに打ち付ける札)の存在が記されています。部材の形状、絵様(梁などに彫られている文様)や柱の面取りの仕方などから、小屋組や屋根など一部を除き当時以来のものと判断されます。当初の部材の残り具合からすると、安城市最古の建物で、流造の本殿としては、県内で7番目の古さになります。現在は、本殿と拝殿の間に渡殿が増築されて棟続きとなっていますが、建築当初、本殿は独立して建っていました。
平面図 |
身舎柱 |
身舎柱(もやばしら)の床下部分の内側は、断面が十六角形に面取りをされています(左の写真・平面図参照)。このように表からは見えないところにも、細かい仕上げが施されている点は室町時代以前の特徴で、江戸時代になると、八角形以下になっていくようです。 |
桁行 立面図 |
木鼻 |
木鼻と呼ばれる梁などの端が柱の外側に出た部分について、左の写真のように中央にえぐれがある形状は室町時代にみられる特徴です。時代が下ると、象や獅子、植物文様をかたどったものに変化していきます。 |
梁間 立面図 |
絵様の彫りが浅く、装飾が簡素なこと、また渦が正円に近いこと(左の写真参照)は、建築年代が古い特徴のひとつです。 |
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