受け継ぐ想いを
未来へ届ける 望遠郷
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更新日:2013年6月20日
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寛政2年(1790)〜12年(1800)および文化4年(1807)〜文政3年(1820)に西尾の庄屋を勤めた家柄であり、当代庄エ門氏で15代目です。
主屋は天保13年(1842)の造営とされ、離れ座敷(横屋)は、現在の行政区画では岡崎市に属する新堀村、深見家にあった座敷を明治18年(1884)に購入、移築したものです。茶室は離れ座敷が移築された明治18年頃に現地で新築されたと推測されます。
杉浦家の主屋は、六間取り系の平面を採用する庄屋階層の主屋では幕末においてカッテが板敷きであったこと、未だ座敷飾りを設けることなく南面奥の室が仏間として機能していたことを示す点で貴重な遺構となっています。また茶室は、変則的な構えではなく汎用性の高い構成で、幕末以降、茶の湯が広く庶民に流布した時代の数奇屋建築の特徴を示しています。離れ座敷は、典型的な数奇屋書院の木割、意匠を示した建物で、幕末頃の建築と考えられます。
主屋外観 |
茶室外観 |
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