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ページID : 28348
更新日:2025年4月15日
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高校名 | 題名 | 内容の概略 |
安城農林高校 | 大岡白山神社 |
家康の祖父、松平清康により社殿が整えられたが、安城合戦(1540~49年)で織田軍により焼失。後に家康が再建した。本殿は、安城市内最古の建造物。 |
本證寺の歴史 |
本證寺は鎌倉時代に創建、三河一向一揆を経て、江戸時代には200余の末寺を抱える大寺となった。平成27年(2015)には国の史跡に指定された。 |
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三河一向一揆 |
三河一向一揆は、1563年に不入権(治外法権と租税免除)が原因で、徳川家康と三河本願寺教団とが争った。一揆の罪が許されたのは、20年後のことだった。 |
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堀と寺内 |
本證寺は二重の堀に囲まれ、戦国時代には内部に不入権(治外法権と租税免除が認められていた。江戸時代には、4つの寺中、家老・代官・侍屋敷などもあった。 |
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安城東高校 | 安城城の歴史 |
岩津城の松平信光が「盆踊りの奇策」により安城城を奪取。その子、親忠を城主に据えた。長忠、信忠と続き、家康の祖父清康まで安城松平4代の居城だった。 |
安城合戦 |
1540年、信長の父である織田信秀が安城城を奪い取り、1549年に今川・松平軍が奪い返すまで10年間、両陣営によって安城城争奪戦が繰り広げられた。 |
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安城城の縄張り |
現在の安城城の縄張りは、小牧・長久手の戦い後、家康によって改修された形態と考えられる。堀が障子堀になるなど当時しては最新のものだった。 |
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山崎城 |
山崎城は、安城合戦の最中に、織田氏へ寝返った松平信孝によって築城された。堀は、幅13~16m、深さは3.4~3.8mある巨大なもので、現在もその一部が残る。 |
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安城南高校 | 本證寺の伝説① 雨漏り御殿とイブキの木 |
雨漏り御殿とは、親鸞聖人を本證寺へお越しになられた際に逗留された建物。親鸞聖人がイブキの枝を地面に挿すと、大木へ成長したという(現県天然記念物)。 |
本證寺の伝説② 貸し椀伝説 |
境内の龍宮池は龍宮とつながり、必要時には、龍が膳椀を貸してくれていた。ある時、1組(現県指定有形文化財)を返し忘れると、二度と貸してくれなくなった。 |
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聖徳太子絵伝と善光寺如来絵伝 |
聖徳太子絵伝は、10幅、全121場面で、聖徳太子の生涯を描く。善光寺如来絵伝は、4幅、36場面で善光寺如来が長野善光寺に鎮座するまでを描く。 |
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本證寺本堂 |
本證寺本堂は、三河一向一揆から100年目の1663年に再建された。内部には、中央に本尊 阿弥陀如来立像、右側に開基の慶円上人座像が鎮座する。 |