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更新日:2019年2月6日

姫小川古墳

 

国指定史跡

遺跡番号

 541002

墳 丘

 前方後円墳

概要

 姫小川町に所在し、矢作川中流域西岸の沖積低地に面した碧海台地の東縁に立地しています。基底部の標高は12.5m、水田面との高低差は約4mあります。姫小川古墳の近隣には獅子塚古墳・姫塚古墳が分布するなど、桜井古墳群では南側の支群をなしています。

 平成19年度の調査で築造当初前方部は長方形に近い形をしていたと考えられましたが、平成28年度の調査で前方部は台形に近い形だったと改められました。江戸時代の薬師堂建造に伴う改変や戦後の埋め立てによって、現在のような地形になっています。

 また、後円部の西側と北側では溝が確認されましたが、全周はせず、前方部の南側には溝はないようです。葺き石はなく、土を盛っただけの古墳だったようです。二子古墳の調査でも同様に葺き石は見つかりませんでした。このことから、今まで調査されていない他の桜井の古墳も同様であると考えられ、桜井古墳群の特徴になる可能性が高いと考えられます。

 平成28年度の調査では、くびれ部から埴輪の小片が出土しました。これは、壺型埴輪ではないかと考えられています。それまでは埴輪のない古墳と考えられていたため、大きな発見となりました(※)。

 築造年代を決めることは難しいですが、桜井古墳群の成立基盤となる古井遺跡群の継続時期と重複するであろうとの見通しから、古墳前期とみる見解が近年では主流となっています。とくに東日本の前期古墳は、前期前半は前方後方墳が主流を占め、後半から前方後円墳へと移行する傾向が広く認められます。このことから、姫小川古墳は古墳前期後半(4世紀後半)に築造され、西三河地域での最古級の前方後円墳となる可能性が高いと考えられます。

 墳長66.0m、前方部方位N-135°-E、基底高11.5m、後円部直径44.0m 、墳頂部直径19.0m 、前方部高7.0m、前方部長27.0m、前方部幅31.5m、前方部高2.0m、くびれ部幅19.0m、高さ2.8m。

 

(※)埴輪片の出土はごく少量であるため、埴輪を並べた古墳であるかどうかは検討の余地があります。現在の状況からは、たくさんの埴輪を並べたという状況は見えてきませんが、平成30年度の調査では墳丘近くから土師器の壺片が複数個体分出土したため、少しの埴輪と土師器(壺)を並べたか?という意見もあります。

 

所在地

  安城市姫小川町姫40ほか

  姫小川古墳周辺図

 

 姫小川古墳の今

姫小川古墳全景

姫小川古墳 地形測量図

姫小川古墳地形測量図

 

お問い合わせ

生涯学習部文化振興課文化財係
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