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更新日:2023年8月10日

安城歴史の散歩道

 安城市には、貴重な史跡・文化財がたくさんあります。現在、10の地域をめぐるコースをパンフレットで紹介しています。まずは身近なコースから、お散歩気分でめぐってみませんか。
パンフレットは、安城市歴史博物館・安城市民ギャラリーやJR安城駅観光案内所KEY PORT(キーポート)で、
無料配布しています。

 

~お願い~
寺社や各史跡等は、個人の所有であり生活の場でもあります。
見学の際には、所有者に承諾を得たり、ごみは持ち帰るなど、マナーを守るようお願いします。
誰もが気持ちよく安城の歴史にふれることのできるよう、ご協力をお願いします。

 

【1】丈山、弥厚の里めぐり 画像をクリック!

 石川丈山は、安城市和泉町出身の文人です。元は徳川家康の家臣でしたが、大阪夏の陣を期に儒学者に転じました。のち京都の詩仙堂に住し、漢詩人としての名を高めました。

 都築弥厚も、丈山と同じく和泉町出身です。この地域随一の富豪であり名望家だった弥厚は、安城の農業発展のために、碧海台地に用水を引く開発計画を文政10年(1827)に幕府へ出願します。このとき計画は実現しませんでしたが、これがのちに明治用水、そして日本デンマーク安城の礎となりました。

【2】「日本デンマーク」と「新美南吉ゆかりの地」めぐり 画像をクリック!

 近代より安城は、明治13年(1880)の明治用水の完成と、明治24年(1891)の国鉄東海道線安城駅の設置により発展してきました。明治34年(1901)、県立農林学校の開校により、先進的な農業経営が導入され、大正末期から昭和期初めには、農都「日本デンマーク」として、全国に知られました。

 また、安城は全国的に有名な童話作家のひとりである新美南吉(現・半田市生まれ)が教員として暮らした街でもあります。安城高等女学校で英語、国語、農業を教えながら創作に励み、多くの作品を残しました。

【3】東海道と鎌倉街道めぐり 画像をクリック!

  東海道は、慶長6年(1601)、徳川家康の五街道整備により制定されました。街道は一里塚の設置や道の両側にマツを植えるなど整備・管理されました。 街道の並木は旅人に風情を添え、夏は陰をつくり、冬は風雪を防ぐのに役立ちました。

 鎌倉街道は、古代の官道をもとに源頼朝が開いた鎌倉と京都を結ぶ道です。安城市内では、宿駅八橋(知立市)から矢作川渡方面に向かう道の、里町から山崎町に至る8.5kmに及んでいました。現在は、里町不乗森(のらずのもり)神社の北側に30m、尾崎町熊野神社の西側に60m程、その面影を残しています。

【4】福釜松平と箕輪・高棚の社寺めぐり  画像をクリック!

 福釜松平家は、安城松平家の分家です。福釜町、東端町付近を治めました。初代・親盛が創建したと伝わる社寺もあり、そのひとつ・宝泉院は、福釜松平家の菩提寺となりました。宝泉院より西100m程の松林の中には、「殿さんのお墓」と呼ばれる墓地があり、福釜松平初代親盛、二代親次、三代親俊の墓が並んで建てられています。

 箕輪町・高棚町には、福釜松平家ゆかりの地以外にも、由緒ある社寺が並びます。

【5】安祥城址と古戦場めぐり  画像をクリック!

 戦国時代、安祥城(安城城)は、安城松平4代(親忠・長忠・信忠・清康)の居城でした。安城松平家は、のちに徳川家康を輩出した一族です。安祥城を拠点とし、西三河を中心に勢力を拡大しました。

 しかし、徳川家康の祖父にあたる松平清康が殺害された、いわゆる「守山崩れ」を機に、松平一族は織田方・今川方に分裂し骨肉の争いを展開します。この城をめぐっても幾度か攻防が繰り返されました。

 現在、城の周辺には戦場となった場所に塚や墓碑が築かれ、城址は歴史公園となり、歴史博物館・市民ギャラリー・埋蔵文化財センターが建ち並びます。

【6】桜井古墳群と三河一向一揆めぐり  画像をクリック!

 安城市が誇る古墳時代前期から中期の古墳群、桜井古墳群。中でも、二子古墳・姫小川古墳は、西三河においては古墳時代前期最大級の大きさで、国史跡にも指定されています。ほかにも大小の古墳が20基余り存在します。

 桜井古墳群から南へ進むと、三河一向一揆の舞台となった本證寺があらわれます。戦国時代に起こった、徳川家康の三大危機に数えられる三河一向一揆。本證寺は、三河一向一揆の中心的な寺院として家康と敵対しました。現在でも、境内の周りには当時を偲ばせる堀や土塁の一部が残っています。

【7】三河一向一揆の舞台 本證寺を歩く 画像をクリック!

 永禄6年(1563)、三河一向一揆で松平(徳川)家康と争った、本證寺。一揆後、坊主衆は領国追放、建物は破却となりますが、江戸時代に再興し、多くの末寺を抱える大寺となりました。平成27年(2015)には国史跡にも指定され、ますます注目を集めています。境内の周りには当時を偲ばせる堀や土塁の一部が残り、建造物をはじめとする数々の文化財が今日まで伝えられています。夏になるとハスの花が咲き誇り、カワセミが訪れることも。

【8】明治航空基地と東端・根崎・城ヶ入を歩く 画像をクリック!

 明治航空基地は、海軍の基地として、太平洋戦争中の昭和18年(1943)4月に地元の人々や学生を動員して建設がはじまり、翌年5月から未完成のまま使用されはじめました。範囲は東端町、根崎町、和泉町にまたがっています。最終的には6本の滑走路が造られました。現在、関連施設の一部がいくつか残っています。このほか、市指定の寺院・神社建造物などが所在します。

【9】三河安城駅周辺の開拓地めぐり 画像をクリック!

 JR東海道新幹線・東海道本線三河安城駅は、昭和63年(1988)に西三河地区の玄関として開業されました。これにより、周辺の街並みは大きく変貌し、現在も変化しつづけています。しかし、その中にも明治用水や旧産業組合農業倉庫などかつての日本デンマークを支えた施設や、風情ある社寺などがいくつも所在し、周辺の歴史を伝えています。

【10】アンフォーレ・ウォーク ガイドマップ 画像をクリック!

 平成29年6月にオープンした図書情報館アンフォーレ。アンフォーレを拠点に歩ける、「安城城争奪戦(安城合戦)の古戦場を歩く」「日本デンマークゆかりの地を歩く」「新美南吉ゆかりの地を歩く」「安城八景を歩く」の4コースをまとめました。

new1】「どうする家康」特別版 画像をクリック!

どうする家康-特別版

半場川散策路

半場川の河川堤防を活用し、安全に水辺空間を楽しみながら散策ができるルートを作りました。

半場川散策ルート(PDF:5,688KB)

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生涯学習部文化振興課埋蔵文化財センター
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