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更新日:2017年4月4日

安城歴史の散歩道

 安城市には、貴重な史跡・文化財がたくさんあります。現在、8つの地域をめぐるコースをパンフレットで紹介しています。まずは身近なコースから、お散歩気分でめぐってみませんか。
パンフレットは、歴史博物館・埋蔵文化財センターやJR安城駅観光案内所KEY PORT(キーポート)などで、無料配布しています。
~お願い~
寺社や各史跡等は、個人の所有であり生活の場でもあります。
見学の際には、所有者に承諾を得たり、ごみは持ち帰るなど、マナーを守るようお願いします。
誰もが気持ちよく安城の歴史にふれることのできるよう、ご協力をお願いします。

明治航空基地と東端・根崎・城ヶ入を歩く

   明治航空基地は、海軍の基地として、太平洋戦争中の昭和18年(1943)4月に地元の人々や学生を動員して建設がはじまり、翌年5月から未完成のまま使用されはじめました。範囲は東端町、根崎町、和泉町にまたがっています。最終的には6本の滑走路が造られました。現在、関連施設の一部がいくつか残っています。このほか、市指定の寺院・神社建造物などが所在します。

三河一向一揆の舞台 本證寺を歩く

   永禄6年(1563)、三河一向一揆で松平(徳川)家康と争った、本證寺。一揆後、坊主衆は領国追放、建物は破却となりますが、江戸時代に再興し、多くの末寺を抱える大寺となりました。平成27年(2015)には国史跡にも指定され、ますます注目を集めています。境内の周りには当時を偲ばせる堀や土塁の一部が残り、建造物をはじめとする数々の文化財が今日まで伝えられています。夏になるとハスの花が咲き誇り、カワセミが訪れることも。

桜井古墳群と三河一向一揆めぐり  画像をクリック!

   安城市が誇る古墳時代前期から中期の古墳群、桜井古墳群。中でも、二子古墳・姫小川古墳は、西三河においては古墳時代前期最大級の大きさで、国史跡にも指定されています。ほかにも大小の古墳が20基余り存在します。

   桜井古墳群から南へ進むと、三河一向一揆の舞台となった本證寺があらわれます。戦国時代に起こった、徳川家康の三大危機に数えられる三河一向一揆。本證寺は、三河一向一揆の中心的な寺院として家康と敵対しました。現在でも、境内の周りには当時を偲ばせる堀や土塁の一部が残っています。

 

 

安祥城址と古戦場めぐり  画像をクリック!

   戦国時代、安祥城(安城城)は、安城松平4代(親忠・長忠・信忠・清康)の居城でした。安城松平家は、のちに徳川家康を輩出した一族です。安祥城を拠点とし、西三河を中心に勢力を拡大しました。

   しかし、徳川家康の祖父にあたる松平清康が殺害された、いわゆる「守山崩れ」を機に、松平一族は織田方・今川方に分裂し骨肉の争いを展開します。この城をめぐっても幾度か攻防が繰り返されました。

   現在、城の周辺には戦場となった場所に塚や墓碑が築かれ、城址は歴史公園となり、歴史博物館・市民ギャラリー・埋蔵文化財センターが建ち並びます。

 

福釜松平と箕輪・高棚の社寺めぐり  画像をクリック!

   福釜松平家は、安城松平家の分家です。福釜町、東端町付近を治めました。初代・親盛が創建したと伝わる社寺もあり、そのひとつ・宝泉院は、福釜松平家の菩提寺となりました。宝泉院より西100m程の松林の中には、「殿さんのお墓」と呼ばれる墓地があり、福釜松平初代親盛、二代親次、三代親俊の墓が並んで建てられています。

   箕輪町・高棚町には、福釜松平家ゆかりの地以外にも、由緒ある社寺が並びます。

 

東海道と鎌倉街道めぐり 画像をクリック!

    東海道は、慶長6年(1601)、徳川家康の五街道整備により制定されました。街道は一里塚の設置や道の両側にマツを植えるなど整備・管理されました。 街道の並木は旅人に風情を添え、夏は陰をつくり、冬は風雪を防ぐのに役立ちました。

   鎌倉街道は、古代の官道をもとに源頼朝が開いた鎌倉と京都を結ぶ道です。安城市内では、宿駅八橋(知立市)から矢作川渡方面に向かう道の、里町から山崎町に至る8.5kmに及んでいました。現在は、里町不乗森(のらずのもり)神社の北側に30m、尾崎町熊野神社の西側に60m程、その面影を残しています。

 

「日本デンマーク」と「新美南吉ゆかりの地」めぐり 画像をクリック!

    近代より安城は、明治13年(1880)の明治用水の完成と、明治24年(1891)の国鉄東海道線安城駅の設置により発展してきました。明治34年(1901)、県立農林学校の開校により、先進的な農業経営が導入され、大正末期から昭和期初めには、農都「日本デンマーク」として、全国に知られました。

   また、安城は全国的に有名な童話作家のひとりである新美南吉(現・半田市生まれ)が教員として暮らした街でもあります。安城高等女学校で英語、国語、農業を教えながら創作に励み、多くの作品を残しました。

 

丈山、弥厚の里めぐり 画像をクリック!

    石川丈山は、安城市和泉町出身の文人です。元は徳川家康の家臣でしたが、大阪夏の陣を期に儒学者に転じました。のち京都の詩仙堂に住し、漢詩人としての名を高めました。

   都築弥厚も、丈山と同じく和泉町出身です。この地域随一の富豪であり名望家だった弥厚は、安城の農業発展のために、碧海台地に用水を引く開発計画を文政10年(1827)に幕府へ出願します。このとき計画は実現しませんでしたが、これがのちに明治用水、そして日本デンマーク安城の礎となりました。

 

 

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生涯学習部文化振興課埋蔵文化財センター
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