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更新日:2013年6月20日

安城市の産業組合について

産業組合とは

 産業組合は明治33年(1900)の産業組合法の公布により、全国の市町村で組織されました。市域では大正時代の設立が多く、昭和7年(1932)には26組合を数えました。各産業組合は事務所、農業倉庫などを建設し、組合員に対して物品の共同購買・販売事業や預貯金・融資といった信用事業などを行っていました。

 昭和14年(1939)戦時体制下にける政府は食料統制のため、米穀配給統制法を制定し米の集荷・配給機構を一元化しました。産業組合は、国の統治機関として集荷・配給機関の役割を担っていきました。

 その中、農業団体の統制が促進され、昭和18年(1943)の農業団体法施行の翌年、産業組合は解散され町農会(明治33年設立の農業指導・奨励をした農業団体)とともに安城農業会として統合され、各産業組合はその支所となりました。

 戦争が終わり、昭和23年(1948)に農業会は解散され、各支所は農業協同組合として発足します。

 昭和30年代後半には、農業をめぐる環境の変化に伴い、全国各地で農協の合併が促進されるようになります。安城市でも昭和38年(1963)に、東端農協と桜井農協を除く20の農協が合併し、安城市農業協同組合となり、各農協はその支所として活動しました。そして、東端農協は昭和57年(1982)に、桜井農協は平成5年(1993)に安城市農協と合併、安城市農協もまた、平成8年(1996)に刈谷、高浜、知立、碧南の各市のJAと合併し、あいち中央農業協同組合が発足しました。

農業倉庫とは

 明治45年(1912)5月の米穀検査の施工を契機に、産業組合による米穀の保管・共同販売業務と検査を行うために設置され始めたのが農業倉庫です。

 農業倉庫は5間×5間(1間=1.818m)の貯蔵室が2または3室連結され、その前面に下屋と呼ばれる庇が取り付けられている規格性の高い建物です。かつては各町内のほとんどに建てられていましたが、今では数えるほどしか残っていません。

 

 屋根を支える構造には、三角形を基本にして組んだトラスを採用しています。和小屋のように木材を縦と横に組んだ構造とは違い、トラスは屋根の重さを合理的に柱に伝える構造です。これにより部屋の中に柱のない広い空間を作り出すことができます。

 

トラス

      

和小屋

トラス構造

和小屋

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