受け継ぐ想いを
未来へ届ける 望遠郷
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更新日:2024年6月5日
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桜林小学校から東の沖積低地に大きく広がる弥生時代から鎌倉時代の集落跡です。小学校建設時やその後の調査で、弥生時代から古墳時代の土器や木製品が大きな溝から大量に出土し、令和2年度(2020)の児童クラブ建設時の調査でも、古墳時代の竪穴住居跡が見つかっています。 今回、小学校のエレベーター棟増築工事に伴う発掘調査により、古墳時代前期の竪穴住居跡2棟と弥生時代から古墳時代の土器片が多く含む小さな溝を確認しました。その中には北陸系の土器などがあり、遠い地域との交流をうかがわせる貴重な資料が見つかっています。 |
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▲中狭間遺跡位置図 |
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↑完掘状況 | ↑溝 遺物出土状況 | ↑古墳時代の遺物 |
姫遺跡は、碧海台地の東縁部に位置します。平成16年度の調査では、戦国期の井戸や溝、柱穴が確認され、中世の集落跡の一角をなしていたとされます。 今回、分譲住宅建設に伴う発掘調査を実施しました。調査の結果、古墳時代後期から奈良時代前半の溝、中世の火葬施設等を確認しました。特に調査区中央を南北に縦断していた幅約3mの溝からは、土師器・須恵器が多量に出土しました。 これまでに近隣で実施されてきた姫小川城跡、姫塚遺跡などの発掘調査では、主に中世の集落跡が確認されてきました。今回の調査では、新たに古墳時時代後期の集落に関する遺構・遺物を確認し、人々が古墳時代に姫小川古墳東側の沖積地から西側の台地上へ居住域を移していったと考えられます。 |
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▲姫遺跡位置図 |
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↑完掘状況 | ↑溝 遺物出土状況 | ↑古墳~奈良時代の遺物 |
塚越古墳は、市内南東部の碧海台地縁辺部上に位置します。桜井古墳群の一つであるこの古墳の保存活用に向けて、基礎情報を得るため学術調査を行いました。 塚越古墳は、昭和24年に地元有志の方々によって発掘が行われ、紡錘車形石製品や鉄製品が出土し古墳時代前期後半(4世紀後半)の古墳とわかりました。 平成29年度にも、古墳の大きさや形を知るための発掘が行われ、古墳の全長が45mほどと推定できました。また古墳の周囲の溝から円筒埴輪が出土しましたが、古墳の形は確定できませんでした。 今回、古墳の周囲から幅6m以上の溝が見つかりました。この溝は古墳の周溝とみられ、その形や溝が延びる方向から前方後方墳である可能性が高くなりました。また溝の中から埴輪のほか、平安時代の土師器や須恵器、灰釉陶器が出土し、古墳に隣接して人々が住んでいたことが明らかとなりました。 |
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▲塚越古墳位置図 |
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↑空撮 | ↑埴輪片 |