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更新日:2013年6月20日
概要15世紀後半、岩津を拠点とした松平信光は西三河に勢力を広げ、文明8年(1476)頃に矢作川を隔てた安城城を手に入れます。木戸城は、文明年間 (1469-1486)、信光(のぶみつ)から安城城を与えられた親忠 (ちかただ・安城松平家初代:1431-1501)に従い木戸村に移り住んだ成瀬直庸(なるせなおつね)によって築かれたと伝わります。しかし一方で、それらの記載に問題があることから一色氏被官(ひかん)の石川氏とする説もあります。本調査ではいずれかを立証することはできませんでしたが、松平信光・親忠の安城進出と遺物の年代が一致することから、安城松平家が誕生した時期に築かれた城館と考えられます。 木戸城は、土塁と堀に囲まれた方形単郭で、現在は主要部分が春日神社の境内になっています。社殿の東西には堀が比較的良好な状態で残っており、本殿が土橋として掘り残された場所に位置しています。 矢作川の改修に伴って2000(平成12)年に発掘調査が行われました。調査の結果、戦国時代の土塁・堀と共に、古墳時代後期~奈良時代の竪穴住居跡も見つかり、矢作川の対岸の西尾市古新田遺跡、志貴野遺跡と並んでこの地に古代集落が展開していたことも明らかとなりました。戦国時代の土塁は現地形で確認できる土塁の延長線上で確認されており、東側の土塁は、残っている基底部の幅が10.3m、高さは1.7mを測ります。この土塁に隣接して幅5.5mの溝が見つかっています。断面の観察から、土塁は一度改修を受けていることが明らかになりました。見つかった土器から木戸城の存続していた期間は15世紀後半であることもわかりました。 |
所在地木戸城東屋敷
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