受け継ぐ想いを
未来へ届ける 望遠郷
石川丈山邸跡
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更新日:2013年6月20日
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概要石川丈山は、天正11年(1583)、この地に生まれました。石川氏は代々松平に仕え、丈山の曽祖父の代からこの地に住んでいると伝えられます。 丈山は、幼い頃から武芸に秀で、剛勇さで知られる三河武士の中でも際立った存在でした。しかし、元和元年(1615)の大阪夏の陣で先駆け禁止の軍令を犯した責を取り、蟄居し、やがて武士自体を辞めてしまいます。 その後の丈山は、儒学者藤原惺窩に強く感化され、風雅の道を志すようになります。特に漢詩文、書の一書体である隷書や築庭では、彼の才能がいかんなく発揮され、現在でも高く評価されています。晩年の丈山が住んでいた京都詩仙堂の庭も、丈山自身の手によるものです。 発掘調査は、1987年と1993年に行いましたが、いずれの調査においても、居館の構造の復元につながる遺構は見つかっていません。しかし、出土した遺物には、16世紀初頭から16世紀末までの内耳鍋や羽付釜、陶製の小椀、摺鉢などがあり、文献上において石川氏が参集泉村に居住したとされる年代と一致します。このことは、この地を石川氏の居館と推定する有力な証拠と言えます。 現在、丈山邸跡は、その京都詩仙堂の庭園と建物を模して整備され、丈山苑となっています。苑内には、丈山銅像のほか、処々に丈山の漢詩碑を配しています。 |
所在地和泉町中本郷180
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丈山銅像 |
丈山苑 |