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更新日:2013年6月20日
概要安城市北部の柿さき町に所在し、碧海台地の東端に位置しています。1994(平成5)~1995(平成6)年にかけてほ場整備事業に伴う発掘調査が行われ、縄文時代晩期、古墳時代後期~奈良時代、鎌倉時代、近代の遺構や遺物が見つかりました。 縄文時代の遺構は明確なものがありませんが、調査区の南東部にピット(穴)が密集して見つかっています。また、古墳時代後期~奈良時代にかけては竪穴住居41棟、掘立柱建物17棟が見つかりました。近代の遺構には防空壕と考えられる穴が4基見つかり、1944(昭和19)~1945(昭和20)年に設置されていた岡崎航空基地に関連した施設と考えられます。古墳時代後期~奈良時代にかけては竪穴住居は、おおむね一辺が5m前後の方形に掘り込んで、4本の柱穴を持ち、北側の壁に接してカマドを設けているものが一般的です。また、北東の隅にひときわ深い穴があるものが多く、何かを貯蔵した穴ではないかと考えられています。安城市ではこれだけたくさんの竪穴住居と掘立柱建物が見つかっている遺跡はなく、御用地遺跡の東2kmの位置に立地している岡崎市小針遺跡との関連も含めて古代の安城や西三河を考える上で貴重な遺跡となっています 竪穴住居 と 掘立柱建物
竪穴住居跡 掘立柱建物跡 |
所在地:安城市柿さき町御用地・稲荷ほか 御用地遺跡 測量略図調査区全景 |
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