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更新日:2018年4月6日
概要もとは安城城と呼ばれていました。安城町に所在し、碧海台地東縁部の半島状にのびる台地上に位置しています。台地の南・東・西側は湿田となっていて、天然の要害となっていました。築城・廃絶時期は明らかではありませんが、戦国時代には松平氏の居城となり、城を巡って織田氏との間で数度の攻防が繰り広げられたことは有名です。清康の代になって本拠地が岡崎に移され、江戸時代には畑となっていましたが、1792(寛政4)年に了雲院が移転してきて現在に至っています。1988(昭和63)年以来数度の調査が行われた結果、多くの地点で堀が確認され、一部の堀は堀の中を区切る畦状の遺構が検出されています。また、本丸に当たる現了雲院境内地の調査では、江戸時代の畑状遺構のさらに下層に戦国時代の遺構が残っており、現地表面から1m近く盛り土がれさていることが確認されました。 本丸跡 |
所在地安城市安城町赤塚ほか(大乗寺)
安祥城址(安城城跡)
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