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更新日:2013年7月15日

平成24年度の調査

道城貝塚(東端町)

 道城貝塚は碧海台地の縁辺部に位置します。長田川沿いの台地の縁辺には、東端貝塚(市指定史跡)をはじめ、小山貝塚、八剣貝塚、貝戸貝塚、南山貝塚などの中世の貝塚が連なっています。

 今回の調査区では、貝が堆積している層(貝層)が20~30cm程度の厚みで見つかりました。貝層の下から見つかった柱穴から鎌倉時代の土器が出てきたので、この貝層は同じ時期に堆積したものと思われます。

道城貝塚2

白い斑点状のものが、貝殻です。約20~30cm程度堆積していました。

道城貝塚完堀

すべて掘りあげたところです。4つの柱穴がありました。一つの建物を構成していたと考えられます。

 

 

 

道城貝塚と周辺の遺跡

道城貝塚位置図

道城貝塚1

上写真の点線より左側に貝層が堆積していました。

点線より右側は、後世の掘削でなくなってしまったようです。

大藪畔遺跡(野寺町)

  大藪畔遺跡は碧海台地上に位置し、調査区北側には標高16m地点も確認できる微高地が存在します。本證寺境内地の南西にあたり、室町時代から江戸時代の遺物が採集できる一帯とされています。

  調査の結果、76基の柱穴、16基の土坑、2条の溝、12基の性格不明の遺構が検出されました。その他、焼土や炭化物、遺物を含んだ中世の火葬施設、地下式坑が発見されました。出土する遺物は、おおむね1350~1400年頃(14世紀中葉~15世紀代)の内彎型羽付釜や山茶碗が多く、灰釉陶器・土師器・天目茶碗がわずかに含まれていました。

  特筆すべき遺構として地下式坑が挙げられます。大きさは、幅1.4m、長さ1.7m、深さ1mの地下の空間が存在していました。地下式坑の天井から地面までの厚さは80cmもあったので、長い年月経っていても、天井が崩落せずに残っていました。出入り口としての竪坑は、人がひとり入る幅で精一杯の大きさで、地面を埋めた時には、30cm大の礫を5、6個積み上げ地下式坑を閉じていました。内部には、粘土層が深さの半分ほど堆積し、数点の礫と木片、灰釉陶器や天目茶碗などの遺物を数点含んでいたのみで、はっきりと機能を示すものは出土せず、中世墓としてか貯蔵施設としてかは現段階では断定できませんでした。

  なお市内では、姫地下式坑(姫小川町)、本神地下式坑(古井町)などが見つかっています。

大藪畔遺跡地下坑

地下式坑断面図

地下式孔内部

地下式坑内部

大藪畔遺跡と周辺の遺跡 

大藪畔遺跡map

地下式孔入口

地下式坑入口

 

 

北本郷古墳(和泉町)

 北本郷古墳は碧海台地の端部に立地し、現在は弥厚公園の敷地内にあります。 古墳の墳丘はすでに江戸時代に破壊されていますが、鏡や鉄剣、鉄斧、管玉などが出土しています。これらの副葬品から、この古墳は古墳時代前期後葉~中期初頭(およそ1,650 ~ 1,610 年前)に造られたことが分かっています。

 今回の調査は弥厚公園の整備に先立って実施しました。調査の結果、特にトレンチ5から古墳に関連した、たいへん貴重な調査成果を得ることができました。

 多くの古墳には、古墳の周りを区画するように一周、あるいは部分的に溝が掘られています。今回の調査では、この溝に該当する可能性がある遺構が確認できました。また、古墳を造るために当時の人が盛り上げた土(盛土)、あるいは古墳を造る前に地面のデコボコを平らにならしたと考えられる層も確認されました。

 さらには、古墳時代より前の弥生時代前期の土器(およそ2,400年前)も出土しており、この周辺には弥生時代から人々が生活していたということも明らかになりました。

 

北本郷古墳平面図 

 

 

北本郷古墳平面図

 

 

 

 

 

 

 

北本郷古墳と周辺の遺跡

北本郷古墳位置図

トレンチ5で確認された溝

北本郷古墳トレンチ5写真

トレンチ5から出土した土器

北本郷古墳遺物

トレンチ5からわかった北本郷古墳の断面

北本郷古墳トレンチ5断面

 

岩根前遺跡(小川町) 

 岩根前遺跡は、北を岩根城址(中世)、南を寺領廃寺(古代)にはさまれた、

碧海台地上に立地する遺跡です。

 調査の結果、奈良時代末~平安時代初頭(古代)と考えられる大型溝状遺

構1条、一辺3mの竪穴住居1棟、3×4.5mの掘立柱建物1棟や柱穴、鎌倉~室

町時代頃(中世)の火葬施設と思われる焼成土坑2基、柱穴が確認されました。

竪穴住居からは焼土・炭化物のまとまりが検出され、カマドが付随したことがわ

かりました。また、貼床や壁溝の跡も検出されました。焼成土坑からは炭化物や

焼土・焼壁が大量に検出されています。主な出土遺物は、古代の須恵器、土師

器甕、瓦、中世の土師器皿、山茶碗、常滑甕、青磁などでした。

 

今回の調査で、竪穴住居や掘立柱建物が見つかったことにより、寺領廃寺に

関わる集落の存在がわかりました。また中世においては、岩根城築城に至るま

での周辺地域の様子の一端が明らかになりました。

古代

  竪穴住居

竪穴住居

 

  掘立柱建物

 

岩根前遺跡と周辺の遺跡

 

中世

  焼成土坑

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

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