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更新日:2019年9月25日

市長のときどきブログ下学上達

最近の出来事の感想やちょっとしたコメントを書いています。
これまでの「月曜のひとこと」と「今月のメッセージ」から変更します。

2019年9月25日

平成30年度安城市決算から

平成30年度の日本経済は、輸出が昨年半ば以降、減少基調にあったものの、企業収益が高水準な中で設備投資が増加し、雇用や所得環境が改善してきたことにより、個人消費の持ち直しが続き、緩やかな回復基調が続きました。

また昨年の夏には、大阪北部地震や西日本を中心とした記録的な豪雨など自然災害が相次ぎましたが、政府は、災害からの復旧・復興のほか、防災・減災、国土強靭化のための3か年緊急対策などで対処することとしており、本市におきましても地震対策としてのブロック塀撤去に対する補助制度や、暑さ対策として小中学校の普通教室等における空調設備設置を進めてまいりました。

このような中、本市の平成30年度決算が良好であったことを市議会に報告しています。今回は、平成30年度の決算の概要についてご説明申し上げます。

1、本市財政の概要

平成30年度一般会計の歳入総額は733億9千万円余、歳出総額は660億1千万円余となり、歳入歳出ともに過去最高であった平成28年度に次ぐ過去2番目の規模となりました。歳入と歳出の差引額は73億8千万円余となり、翌年度へ繰越すべき財源を除いた実質収支は、37億1千万円余の黒字となりました。

財政状況では、経常収支比率は77.1%、財政力指数は1.27で、いずれも良好な財政状況を表しております。

市税決算額の推移

2、平成30年度の主要事業

1「健康」生涯にわたり心身ともに健康にすごせるまち

・健康づくりのきっかけイベント

新美南吉生誕105年記念「安城市健幸ウォーキング」を開催したほか、健康づくりきっかけ教室、あんじょう健康大学などを通じ、市民の皆さんが主体的に健康づくりに取り組める事業を進めてまいりました。

安城市ケンサチウォーキングの様子

【安城市健幸ウォーキングの様子】

・スポーツ環境の整備

改修を終えた市体育館とソフトボール場のオープニングイベントをホームチームのご協力をいただき開催し、市民と選手の交流を図ることができました。この他、レジャープールでは耐震化及び老朽化対策のため改修工事を進めました。

2「環境」くらしの質を高める持続可能なまち

・安心安全

町内会が管理する防犯灯のLED化を促進するための調査を実施するとともに、市が管理する道路・公園・駅施設などの屋外照明灯につきましてはリース方式によるLED照明灯に更新しました。

LED照明灯

・都市基盤の整備

桜井駅周辺に桜西公園を整備するとともに、市内の主要道路新設改良事業を行ったほか、名鉄新安城駅では、バリアフリー通路を改修し、自由通路と橋上駅舎の一体整備を促進するとともに、南安城駅ではバリアフリー整備を終えました。

3「経済」地域の魅力、潤いと活力あふれるまち

・産業振興

デンパークで「あいち花フェスタ」を開催し、安城産の花きの生産振興と需要の拡大を図りました。また、既存企業の流出抑制や新規産業を誘致することを目的に、榎前地区での企業立地の推進を図るとともに、アンフォーレ内の安城ビジネスコンシェルジュでは、商業・サービス業からものづくり産業まで、中小企業の経営課題の解決と創業促進のための総合的な支援を行いました。

さらに、南明治第一土地区画整理事業地区内における市有地有効活用事業では、土地の共同化と高度利用化の誘導を図り、市の中心商業・業務地にふさわしい魅力と活力にあふれる都市拠点を形成することを目的として、事業施行者の決定とともに市有地売却などを進めました。

あいち花フェスタ

【あいち花フェスタの様子】

4「きずな」人々が優しくつながり、支え合う安全安心なまち

・生涯学習

文化センターの耐震化・長寿命化のための改修工事を完了しました。また、館内プラネタリウムの全面改修に合わせて制作した特別番組「安城 星と水の物語」は、明治用水の歴史と宇宙とのつながりに、思いを馳せることのできる作品に仕上がりました。

プラネタリウムリニューアルオープン番組「安城星と水の物語」

【プラネタリウムリニューアルオープン番組「安城 星と水の物語」】

・防災・減災

特定福祉避難所などでの防災倉庫の設置や災害用マンホールトイレの設置を引き続き進めたほか、大阪北部地震での被害状況を踏まえて、ブロック塀などの撤去費用に対する補助制度を開始しました。

5「こども」子どもたちを社会で豊かに育むまち

・子育て支援

7月には「子ども発達支援センター・あんステップ♬」を、子どもと保護者がともに一歩ずつ前進していける、療育体制の拠点としてスタートさせることができました。また、低年齢児を中心とした保育需要に対応するために、和泉保育園を改築するとともに、民間保育園2園の新設工事に対する助成を行いました。

子ども発達支援センターあんステップ

【あんステップ♬開所式】

・学校教育

小学校の3・4年生の外国語活動実施に伴いALTを増員したほか、ハード面では、桜井小学校において児童数増加に対応するため普通教室を増築したのをはじめ、各校の校舎等改修やトイレの洋式便器化を進めました。

また教室などにおける空調設備の設置につきましては、令和元年度末までの完了に向けて事業を進めてまいりました。

 

平成30年度は、市長の私や市議会の皆さんにとっても、実質的に1期4年の任期の最終年度に当たりました。第8次安城市総合計画に示す「幸せつながる健幸都市 安城」を実現すべく、各種事業の推進を図り、ある一定の成果をお示しすることができました。

統一地方選挙を通じて、今年から市長として5期目の任期を務めることととなりました。こうした地道な成果の総合評価として、有権者の皆さんから、新たな任期を与えていただけたものと思っています。国の内外を問わず、ますます先行きの不透明な時代となりました。市民の皆さんの健幸生活をしっかり支えられる市政運営に努めます。

2019年9月9日

「ソフトボールの聖地」再び

8月29日(木曜日)から9月2日(月曜日)にかけて、「文部科学大臣杯第54回全日本大学女子ソフトボール選手権大会(通称 インカレ)」が、本市の総合運動公園で開催されました。大学スポーツの全国レベルの大きな大会が、本市で開催されることは大変光栄なことであり、私自身も、また市のスポーツ関係の皆さんも、高い関心をお寄せいただき多大なご協力をくださいました。この場をお借りして感謝申し上げます。猛暑の中、本当にありがとうございました。

さて、安城市とソフトボールとの歴史は長く、遡(さかのぼ)ること今から70年近くも前の昭和25年、戦後第5回目の国体が愛知県で開催されることとなり、その国体からソフトボール競技が正式種目になりました。そして、ソフトボール競技の会場をお受けしたのが当時の安城町で、私たちの町で日本初のソフトボール公式試合が開催されました。

昭和25年戦後第5回目の国体

【第5回国民体育大会(昭和25年)】

その後、市ソフトボール協会の協力のもと、県大会はもとより、東海大会やインターハイが開催されていました。こうしたまちを挙げてのソフトボール競技の盛り上がりの中で、地元実業団の倉敷紡績株式会社安城工場、また高校の部では安城学園高等学校が、全国レベルの大会でそろって優勝するというニュースが全国に流れた輝かしい時代もありました。

そして、平成に入り間もない平成6年、戦後2回目の愛知国体「わかしゃち国体」が開催された際も、本市が会場を提供するとともに、選手の宿泊先の確保など、多くの市民の皆さんと一体となり女子ソフトボール競技を受け入れてまいりました。

平成6年愛知国体「わかしゃち国体」

【第49回国民体育大会「わかしゃち国体」(平成6年)】

そして4年前、株式会社デンソーの女子ソフトボールチームである「デンソーブライトペガサス」が、活動の本拠地を刈谷市から安城市に移されるというニュースが入ってきました。実業団リーグの有力チームが本市においでになったため、地元でのリーグ公式試合の開催をお願いしましたところ、着座して観戦できる椅子席の数が基準に満たないなどの理由で、公式試合の開催が困難なことが分かりました。そこで、当時としてはそんなに古くはない球場ではありましたが、ソフトボール専用球場を大規模改修するとともに、全国でも数少ない電光掲示板も新設したことで、昨年7月に実業団リーグの公式試合が開催できる球場としてリニューアルオープンを果たすことができました。

日本女子ソフトボールリーグの様子

【日本女子ソフトボールリーグの様子】

その後、私たちのソフトボール球場改修の動きが全日本大学ソフトボール連盟役員の方々の耳にも入り、今回の全日本大学女子ソフトボール選手権大会(通称インカレ)も開催されるという方向で、話がトントン拍子に進んでゆきました。インカレは本年から5年間、私たちの総合運動公園の球場で開催されることとなっています。そして、5年間の実績などが検証され、良好な評価をいただければ、その後も引き続き末永くインカレ女子ソフトボールの会場とされるとのお話を伺っています。

第54回全日本大学女子ソフトボール選手権大会開会式

【第54回全日本大学女子ソフトボール選手権大会開会式】

本市のソフトボール球場が、日本女子ソフトボールリーグの公式試合会場としてはもちろん、全日本大学ソフトボール連盟からも良好な環境のソフトボール会場として認めていただけ、全国の選手や関係者の皆さんに「ソフトボールの聖地」として、末永く愛され親しまれるスポーツのまちとなってゆくことを期待しています。

またこれを機に、ソフトボールに限らずさまざまな競技スポーツを市民の皆さんに身近に感じてもらえるように、全国レベルの大会や五輪合宿などの誘致に努めます。トッププレーヤーの活躍を間近でお楽しみいただくとともに、高い技能を持つ選手らと触れ合う機会を設けてまいります。

本市は、「幸せつながる健幸都市 安城」を目指す都市像に掲げ、子どもから大人まで、スポーツを通じた健康づくりや仲間づくりを進めるとともに、健康寿命を延ばすことを目的としたさまざまな取り組みを展開しております。さまざまな種目のスポーツ大会の開催が、地域スポーツの活性化と市民の健幸生活の実現につながってゆくことを願っています。

2019年8月26日

兵士の目から見た戦争

お盆前のある新聞の書評で紹介された「日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実(吉田 裕著)」という本を読みました。この本が「兵士の目線」と「死の現場」に焦点を合わせて書かれたという点に興味を持ちました。

戦没者数は、日本だけでも軍人・軍属が230万人、民間人が80万人、合計310万人とされています。大量の戦死者を出した背景はなにか。そして、戦地ではどのように兵士が亡くなっていったのか、その事実を理解できたように思いました。

明治基地彗星の写真1

【彗星33型の前での搭乗員の集合写真 明治航空基地(碧海郡明治村。現東端町一帯)にて】

日米海軍戦力の推移

太平洋戦争での日米の軍事力を把握するのに分かりやすい表がありましたので、一部を抜粋しました。これは海軍戦力を比較してみたものですが、戦争が長引くにつれて日本が資源不足で新しい艦船を作れなくなったのに対して、アメリカは次々に新たな艦船を作り出し、終戦間際にその差は4倍近くにまで開いてしまっていました。

 

S.16年開戦時

(真珠湾攻撃)

S.18年戦争中期

(ガダルカナル戦)

S.19年戦争末期

(フィリピン作戦)

日本隻数

237

212

165

米国隻数

345

457

791

対米比率(%)

69

56

25

圧倒的な軍事力の差が生じていたにもかかわらず、敗戦の色濃い戦争を継続したため、戦争末期になると兵士の死者数は膨大な数に上ってゆきます。ただし、その多くはどうやら「名誉の戦死」以前の悲しい死亡が多かったことを知り愕然とさせられました。

戦病死と餓死

終戦末期の混乱の中、なかなか正確な統計がなかったようですが、一つの事例として日中戦争での死者(満州を除く)は、昭和16年時点で戦死者戦約1万2千5百人に対して、戦病死者は1万2千7百人とされています。つまり、この年の戦病死者が全戦没者に占める割合の50%を超えたという資料が残されているそうです。アジア・太平洋戦争に関してはそれ以上に過酷と考えられ、さらに戦病死の割合が多かったと推測されます。

アジア・太平洋戦争では餓死者の数も多く、研究者の間で意見は分かれているようですが、広義の餓死者(栄養失調、風土病など)は、日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者数230万人の60%という見解がある一方、40%と推定する研究もあるようです。フィリピン防衛戦では戦没した52万人ほどのうち、陸軍戦没者に関しは「その約35~40%が直接戦闘によるもので、残り65~60%は病没。悪疫によるのはその半数で、その他は悪疫に伴う餓死」と記されていました。

先に海軍戦力を示しましたが、海上輸送を守る艦船を沈没され続けた結果、前線部隊に無事到着した軍需品の割合(安着率)は、昭和17年96%、18年83%、19年67%、そして終戦の20年には51%にまで低下していたようです。戦争末期には必要とされる物資が前線に届くことはなく、兵器や食料のない過酷な状況での死者が増えていったようです。

日参団(昭和13年ごろ根崎町)の様子

【日参団(昭和13年ごろ根崎町)の様子】

海没者

陸海軍の軍人・軍属合わせて35万8千人が海没死を遂げていたそうです。輸送船として使われていた日本商船の暗号は、昭和18年半ばに米軍に解読されており、これ以降、敵艦による待ち伏せ攻撃が可能になります。日本側は多数の船舶を喪失したため、一輸送船当たりの人員・物資の搭載量が過重となってゆきます。そのため敵艦の攻撃を受けた時の犠牲者数が膨大になっていったようです。

また日本側は、原材料不足の中で貨物船を急造せねばならず、設計・建造の簡素化、資材・労力の節約などにより、低速航行しかできない輸送船が増えることとなりました。そのため低速航行による船団を組まざるを得ず、敵艦による魚雷や爆弾による命中率を高めてしまいます。「輸送船数の減少⇒低性能の船舶の増加⇒さらなる輸送船舶の喪失」という負の循環に陥ってしまいます。

自殺と処置

陸海軍ともに、アジア・太平洋戦争開戦前から自殺者が多かったという分析がありました。原因は現代風にいう「いじめ」です。古参兵による下士官への私的制裁が過酷で、物理的な暴力だけではなく、侮辱や屈辱など精神的な苦痛を与えるやり方が好まれていたそうです。それは古参兵の憂さ晴らしに過ぎなかったものの、命令に対する絶対服従を求める教育的な効果を持っていたとされます。

また、過酷な行軍や激しい戦闘中や飢えと病が蔓延する悲惨な退却の中、捕虜となることを禁じられていたため、自ら自決する兵士も数多くいたとも考えられます。硫黄島の戦闘では、敵弾による戦死者は30%、自殺者は60%、そして「お前が捕虜になるなら殺す」という他殺が10%の他、事故死もあったとされています。

「処置」というある種の他殺もあったようです。日本の軍隊では「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」として、捕虜になることが禁じられていました。そこで劣勢の部隊が撤収する際、ケガや病気、飢餓などにより動けなくなった兵士を仲間や軍医が安楽死させることが常態化していたようです。その際、自決したものについては名誉の「戦死」扱いすることと周知させたところ、銃による自殺者が多発したとも記されています。

防空訓練御幸町内会の消火訓練の様子

【防空訓練 御幸町内会の消火訓練の様子(昭和19年ころ)】

戦争を知らない世代の感想

読み進むにつれて気が滅入ってしまう本でしたが、当時の記録によるこうした戦地の実情を知り、戦争に対する認識が変わりました。

私は当時出征された方々の多くは、「お国のために死ぬのが本望」とされていたものと漠然と思ってきました。しかし、そうした一般的なイメージは、すべての戦没者を称えるために美談化された側面があるのではないかと想像されました。残された遺書や手紙からうかがえる兵士の心情も、厳しい検閲を通過させるため真情を押し殺し、配慮して書かれたものと推測されます。戦地で家族や郷里を思慕する方は多かったことでしょう。

また私は、再び戦争を繰り返さないためにとの思いで、ある機会に「戦争経験者にはぜひその体験を語っていただきたい」と口にしたことがあります。それに対して、かつて軍医として戦地に赴かれた方から「あんな出来事はもう思い出したくはない」と告げられたことがあり、いかに自分自身が戦闘の悲惨さに無知であったかということを思い知らされました。そんな戦地の惨状を知れば知るほど、痛ましい戦争を指揮し長期化させた当時の軍幹部を断罪したくなります。

ところで、来年の夏で終戦75周年を迎えます。国策を誤り大きな被害を出してしまったアジア・太平洋戦争を風化させないために、安城ゆかりの方々と戦争との関りを改めて再認識するための特別展示を考えています。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」、これは西ドイツ大統領や統一ドイツ大統領を務めたワイツゼッカー氏のことばです。今となっては古色蒼然とも思える戦争の歴史ですが、事実は事実として受け止め、忘れないでい続けることが私たちに与えられた重要な使命と思われます。

明治基地彗星2

【明治航空基地にて出発直前の様子】

2019年8月13日

山の日に思う

8月11日は「山の日」でした。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨として制定されています。この日を意識したわけではありませんが、スケジュール調整により夏季休暇をとれることとなったため、7日から9日にかけて登山に出かけてきました。

八ヶ岳連峰の一つ天狗岳(2646m)頂上付近

【八ヶ岳連峰の一つ天狗岳(2646m)頂上付近】

基本的に、私は毎年夏山に登ってきましたが、昨年は気象が不安定で、夏は週末ごとに台風の接近を知らせる天気予報が続きました。万一、日本アルプスの奥山にまで入り込むと、携帯への電波が届かないだけではなく、仮に知らせを受けて緊急下山をしても、安城市へ帰るのに数日間を要するような山域もあります。

台風襲来があった場合、私は本市の災害対策本部長を務めねばなりませんので、昨年は残念ながら夏の登山を断念することとなりました。

 

そんな訳で今回が、私にとっては2年ぶりの夏山となり、その日が来るのをとても待ち遠しく感じた一方、本年も日本列島沖合には複数の台風が発生しており、またもや空振りのひと夏に終わるのかという心配をしていました。期待と不安の入り混じった8月入りとなりましたが、2日から4日にかけての安城七夕まつり以降は比較的お天気が安定し、ようやく久々の夏山に出かけることができました。

登山の楽しみは、すでに山に出かける前から始まっています。まずは「どこの山に登ろうか」、そして「どのルートから入ろうか」。次に「どの山小屋に泊まろうか」、また「この土地の名物はなにか」、「近くに温泉はあるのか」など、あれこれ地図とにらめっこをして頭を悩ませている段階から、すでに意識は山の世界に入り込んでいます。

私は数年前の夏、槍ケ岳中腹の雪渓で登山靴の靴底がはがれかかってしまい、歩行できなくなるというアクシデントでリタイアしてしまいました。よって今回は、そのリベンジ登山を考えていたのですが、太平洋の南海上に台風が生まれたことで、日本上空の大気が不安定になることが見込まれました。よって、緊急事態の発生も想定した結果、下山が容易な北八ヶ岳を選択することとなりました。

槍ケ岳の標高は3180m、それに対して北八ヶ岳の天狗岳は2646mです。日本アルプス辺りでは標高2500mほどが森林限界とされており、そこから上に行くことは万一の暴風雨を遮(さえぎ)ってくれる森林がないことを意味します。「台風さえなければ…」という恨めしさを、「次の楽しみにとっておこう」に切り替えることとしました。市長の無謀な登山への挑戦をほめてくれる市民はおいでになりません。個人の満足追求よりも、公的責任の遂行を優先的に考えねばなりません。

 

北八ヶ岳のルートを記しても、多くの皆さんにはどこを歩いたのかは分からないと思いますが、山好きの方の参考になればということで、とりあえず記すこととします。

8日 渋の湯⇒黒百合平⇒天狗岳⇒根石岳⇒本澤温泉⇒しらびそ小屋

9日 しらびそ小屋⇒黒百合平⇒渋の湯

森林部のほとんどは苔むした樹林帯

【森林部のほとんどは苔むした樹林帯】

ここに掲載した写真は、渋の湯から黒百合平に至る道中の苔むした樹林帯です。この山域は諏訪湖から発生する水蒸気や、域内に点在する湖沼や河川の湿気などにより、苔が発生しやすい環境にあります。そのため、まずは苔むした緑の樹林帯を縫う登山道を進むこととなります。

ところで、冒頭の写真は今回登った天狗岳です。標高が2500mを超しますので山頂部は森林限界を超え、岩肌がむき出したアルペン風の景観を呈しています。この日は、私が写真を撮った午前10時半頃までは快晴で、日本アルプスの山々が遠望できましたが、間もなく写真の左手にある入道雲が視界を遮るようになりました。雲が発達して雷が発生するのを恐れ、写真撮影後はすぐに下山しました。後で知ったことですが、前日の午後3時ごろ、八ヶ岳に比較的近い南アルプス北岳の標高3000mほどの登山道で、落雷の直撃を受けて亡くなられた登山者がおいでになりました。大自然は美しくもあり、また恐ろしくもあることを思い知らされます。ご冥福をお祈りします。

天狗岳登頂後はひたすら樹林帯を下り、道中の本澤温泉で一休みし天然の濁り湯につかることができました。そして、その後は通いなれた「しらびそ小屋」に宿泊しました。この小屋の経営者とご家族とのお付き合いは長くなってきており、旧知の知り合いのようにお話させていただいています。標高2100mの森林に囲まれた素朴な山小屋として、時々テレビなどでも紹介されているようです。この日の宿泊客は私の他に3名だったため、4人で食卓を囲み歓談し気ままな一夜を過ごすことができました。

重い荷物を担ぎ、薄い空気にあえぎ、全身を汗まみれで歩き続けていると、「なんでこんなバカなことをやっているのか」と思えてしまうこともあります。しかし一方で、澄んだ空気ときれいな水が五臓六腑へ沁み込むのでしょうか、体細胞の一つ一つが浄化されるような感覚に浸ることができます。

通いなれた山小屋からの懐かしい風景

【通いなれた山小屋からの懐かしい風景】

登山人口が減ってきているように感じられます。信仰の対象となっている山、スポーツ登山の山、自然観察を楽しむ山、いろいろな山がありますが、そこに分け入ろうとする意識には相通じる底流があるように感じます。「山の日」を契機に、日本の山岳文化や自然保護に関心をお持ちくださる方が増えてゆくことを期待しています。

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