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更新日:2019年8月13日

市長のときどきブログ下学上達

最近の出来事の感想やちょっとしたコメントを書いています。
これまでの「月曜のひとこと」と「今月のメッセージ」から変更します。

2019年8月13日

山の日に思う

8月11日は「山の日」でした。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨として制定されています。この日を意識したわけではありませんが、スケジュール調整により夏季休暇をとれることとなったため、7日から9日にかけて登山に出かけてきました。

八ヶ岳連峰の一つ天狗岳(2646m)頂上付近

【八ヶ岳連峰の一つ天狗岳(2646m)頂上付近】

基本的に、私は毎年夏山に登ってきましたが、昨年は気象が不安定で、夏は週末ごとに台風の接近を知らせる天気予報が続きました。万一、日本アルプスの奥山にまで入り込むと、携帯への電波が届かないだけではなく、仮に知らせを受けて緊急下山をしても、安城市へ帰るのに数日間を要するような山域もあります。

台風襲来があった場合、私は本市の災害対策本部長を務めねばなりませんので、昨年は残念ながら夏の登山を断念することとなりました。

 

そんな訳で今回が、私にとっては2年ぶりの夏山となり、その日が来るのをとても待ち遠しく感じた一方、本年も日本列島沖合には複数の台風が発生しており、またもや空振りのひと夏に終わるのかという心配をしていました。期待と不安の入り混じった8月入りとなりましたが、2日から4日にかけての安城七夕まつり以降は比較的お天気が安定し、ようやく久々の夏山に出かけることができました。

登山の楽しみは、すでに山に出かける前から始まっています。まずは「どこの山に登ろうか」、そして「どのルートから入ろうか」。次に「どの山小屋に泊まろうか」、また「この土地の名物はなにか」、「近くに温泉はあるのか」など、あれこれ地図とにらめっこをして頭を悩ませている段階から、すでに意識は山の世界に入り込んでいます。

私は数年前の夏、槍ケ岳中腹の雪渓で登山靴の靴底がはがれかかってしまい、歩行できなくなるというアクシデントでリタイアしてしまいました。よって今回は、そのリベンジ登山を考えていたのですが、太平洋の南海上に台風が生まれたことで、日本上空の大気が不安定になることが見込まれました。よって、緊急事態の発生も想定した結果、下山が容易な北八ヶ岳を選択することとなりました。

槍ケ岳の標高は3180m、それに対して北八ヶ岳の天狗岳は2646mです。日本アルプス辺りでは標高2500mほどが森林限界とされており、そこから上に行くことは万一の暴風雨を遮(さえぎ)ってくれる森林がないことを意味します。「台風さえなければ…」という恨めしさを、「次の楽しみにとっておこう」に切り替えることとしました。市長の無謀な登山への挑戦をほめてくれる市民はおいでになりません。個人の満足追求よりも、公的責任の遂行を優先的に考えねばなりません。

 

北八ヶ岳のルートを記しても、多くの皆さんにはどこを歩いたのかは分からないと思いますが、山好きの方の参考になればということで、とりあえず記すこととします。

8日 渋の湯⇒黒百合平⇒天狗岳⇒根石岳⇒本澤温泉⇒しらびそ小屋

9日 しらびそ小屋⇒黒百合平⇒渋の湯

森林部のほとんどは苔むした樹林帯

【森林部のほとんどは苔むした樹林帯】

ここに掲載した写真は、渋の湯から黒百合平に至る道中の苔むした樹林帯です。この山域は諏訪湖から発生する水蒸気や、域内に点在する湖沼や河川の湿気などにより、苔が発生しやすい環境にあります。そのため、まずは苔むした緑の樹林帯を縫う登山道を進むこととなります。

ところで、冒頭の写真は今回登った天狗岳です。標高が2500mを超しますので山頂部は森林限界を超え、岩肌がむき出したアルペン風の景観を呈しています。この日は、私が写真を撮った午前10時半頃までは快晴で、日本アルプスの山々が遠望できましたが、間もなく写真の左手にある入道雲が視界を遮るようになりました。雲が発達して雷が発生するのを恐れ、写真撮影後はすぐに下山しました。後で知ったことですが、前日の午後3時ごろ、八ヶ岳に比較的近い南アルプス北岳の標高3000mほどの登山道で、落雷の直撃を受けて亡くなられた登山者がおいでになりました。大自然は美しくもあり、また恐ろしくもあることを思い知らされます。ご冥福をお祈りします。

天狗岳登頂後はひたすら樹林帯を下り、道中の本澤温泉で一休みし天然の濁り湯につかることができました。そして、その後は通いなれた「しらびそ小屋」に宿泊しました。この小屋の経営者とご家族とのお付き合いは長くなってきており、旧知の知り合いのようにお話させていただいています。標高2100mの森林に囲まれた素朴な山小屋として、時々テレビなどでも紹介されているようです。この日の宿泊客は私の他に3名だったため、4人で食卓を囲み歓談し気ままな一夜を過ごすことができました。

重い荷物を担ぎ、薄い空気にあえぎ、全身を汗まみれで歩き続けていると、「なんでこんなバカなことをやっているのか」と思えてしまうこともあります。しかし一方で、澄んだ空気ときれいな水が五臓六腑へ沁み込むのでしょうか、体細胞の一つ一つが浄化されるような感覚に浸ることができます。

通いなれた山小屋からの懐かしい風景

【通いなれた山小屋からの懐かしい風景】

登山人口が減ってきているように感じられます。信仰の対象となっている山、スポーツ登山の山、自然観察を楽しむ山、いろいろな山がありますが、そこに分け入ろうとする意識には相通じる底流があるように感じます。「山の日」を契機に、日本の山岳文化や自然保護に関心をお持ちくださる方が増えてゆくことを期待しています。

2019年7月29日

新美南吉の誕生日

7月30日は、本市にゆかりの深い童話作家である新美南吉の誕生日です。彼は今年で、106回目の誕生日を迎えたことになります。

もともと、新美南吉は大正2年のこの日、現在の半田市の渡邊(わたなべ)家に生まれ、正八と名づけられました。しかし彼が4歳の時、実母は病気で亡くなってしまいます。その後、彼が8歳になった時、父の再婚を機に実母の実家である新美家に養子に出され、新美姓を名乗ることとなります。以来、本名は新美正八となりました。新美南吉という名前はペンネームです。

新美南吉「弥厚翁」

【安城高等女学校郷土室にて】

新美南吉は24歳(昭和13年)から、29歳(昭和18年)で亡くなる直前の5年間、当時安城のまちにあった安城高等女学校の教員として、安城のまちで過ごし安城のまちで働いていました。彼は幼少時から、地域では成績優秀の秀才として知られ、大学入学前に「ごん狐」、在学中には「手袋を買いに」の童話のほか、詩や小説なども書いており、文才も早くから文学界で知られていたようです。

しかし一方、生活は困難を極め、大学卒業の後、安城の地に奉職するまでの間、不遇の連続だったように思われます。そもそも、師範学校への入学試験にて、当時の身体検査で不合格となっています。また、大学を卒業の頃、世の中は不況で就職に苦労します。そして、せっかく初就職できた直後、胸の病気のため退職し故郷にて療養生活を送ることとなります。

その後、健康を回復して就職はするものの、小学校の代用教員、畜禽研究所勤務など、自身の能力を生かせる職に就けない状態が続きます。こうした南吉の境遇を見かねた恩師の紹介にて、安城高等女学校の教員に採用されることとなりました。この時の両親と彼自身の喜びは大きく、当時の日記には、以下のように記されています。

「女学校の先生になればもう何のはずかしいことがあらあずに。一ぺん女学校でも中学校でも先生になってくれればもう明日死んでもええと思っとっただと母は言った。

父が、小心の父があまりの喜びで狂い出さねばいいとそんな心配をした。」

南吉も自らを、「さて僕は女学校の先生です。何だかヌクヌクして歩いている。」と記すほどで、高等女学校時代の新美南吉はおそらく彼の人生上、最も幸せな生活を送っていたものと思われます。

復元された南吉の下宿先の部屋の様子

【復元された南吉の下宿先の部屋の様子】

安城高等女学校では若い女生徒たちを相手に、英語と国語、さらに農業も教え、時には遠足や修学旅行の引率もしています。また、そんな教員生活の傍らで童話や詩などの創作活動も続けており、29歳になって初めての童話集「おぢいさんのランプ」が発刊されます。その時の喜びは、恩人への手紙で次のように記されています。

「昨日、拙作童話集が十冊有光社の方から届けられました。そして案外よく出来ているので喜ばしく思いました。(中略)

自分のを手にとって見ますと、だいたいは下畑さんのと同じことながら、親のよく目か、装てい・挿絵なども自分のの方がずっと重みがあり、これならばどこに出してもはずかしくないと思いました。棟方氏に頼んでいただけてまったくよかったと思います。(中略)

よい本を作って下さってありがとう存じました。あらためて感謝いたします。」

「おぢいさんのランプ」の挿絵は、当時すでに注目されていた棟方志功によって飾られました。童話作家としての新美南吉自身も、文壇から大きな期待を寄せられていたことがうかがえます。

 

しかし、彼の幸せは長続きすることはありませんでした。胸の病(喉頭結核)再発のため、自宅療養に入った後、高等女学校を4年弱で退職することになりました。高等女学校の教え子らが心配して見舞いに行っています。しかし、もうその頃には声も出ないほど病気は進んでいたようです。

3月22日の午前8時。29歳の新美南吉は、ご両親に看取られて短い生がいを終えました。亡くなる直前、見舞いに来てくれた女生徒らに、こんな手紙を残しています。

「たといぼくの肉体はほろびても君達少数の人が(いくら少数にしろ)僕のことをながくおぼえていて、美しいものを愛する心を育てていってくれるなら、僕は君達のその心にいつまでも生きているのです。」

「いしゃはもうだめと

 いいましたがもういっぺん

 よくなりたいと思います

 ありがと ありがと

 今日はうめが咲いた由」

新美南吉の誕生日である7月30日には、南吉が高等女学校教員当時に過ごしていたアンフォーレ界隈にて「南吉生誕祭」を行います。今年は、新美南吉が安城で下宿を始めて80年という節目の年に当たります。

南吉は、昭和13年4月安城高等女学校に赴任の後、学校から翌年春より周辺に住むようにとお達しが出たため、安城町字出郷(現在の安城市新田町)で下宿を始めています。生まれ故郷の半田市に次ぐ、南吉の第二の故郷として、多くの皆さんとともに安城の新美南吉を偲びたいと思います。

昨年度の新美南吉生誕祭の様子

【昨年の新美南吉生誕祭ステージの様子】

昨年度の新美南吉生誕祭「南吉リアル謎解きゲーム」の様子

【昨年の新美南吉生誕祭「南吉リアル謎解きゲーム」の様子】

2019年7月12日

もう一つの家族団欒

7月6日~11日にかけて、ドイツのデュッセルドルフ市に暮らす娘夫婦と孫に会いに出かけてきました。6月議会が終わり、夏休みの家族連れで混雑する直前のこの時期を逃すと、落ち着いて出国することができないため、4か月近くも前から航空チケットを予約しての渡航が実現しました。

私の二人の娘のうち、上の娘がドイツの青年と結婚したのが5年前。私はその時以来のドイツ訪問となり、9か月ぶりに現地で孫の顔を見ることができました。私的な旅行のため、EU社会について理解を深める滞在にまでは至らなかったものの、ドイツで暮らす娘夫婦らから見聞きさせてもらったことを簡単にまとめてみました。

家族写真

【家族写真】

デュッセルドルフ市(ドイツ連邦共和国ノルトラインウェストファーレン州)

デュッセルドルフ市はノルトラインウェストファーレン州の州都で、ライン川沿いのルール工業地帯の中心都市の一つとされています。オランダとの国境に近く、またベルギーにも近いという地理的条件にあるため、この地方の大企業の本社が多く立地し、また日本企業のEU支社や事業所もたくさんあるようです。そのため市内には、日本企業の駐在員とその家族もお住まいになっており、ドイツ国内で最も日本人が多い町と聞いています。

デュッセルドルフ市の街並み

【デュッセルドルフ市の街並み】

人口は60万人ほどですが、この規模の都市でありながら、バスや路面電車はもちろんのこと、地下鉄まで走っていることには驚きます。5年前は主要鉄道駅周辺の中心市街地で地下鉄の延伸工事が行われていましたが、現在はもう工事がほぼ完了しており、複数の地下鉄路線があるように聞きました。また、これに加えて市内を横切るライン川では、観光客を乗せる船の他、貨物船も運行されています。さらに市街地郊外には国際空港もあるなど、州都とは言え日本の60万都市では考えられないほどの多様な交通機関による人とモノの移動が実現しており、その充実ぶりをとてもうらやましく思いました。

ライン川の畔

【ライン川の畔】

私の娘が暮らす地域は、中心市街地に出るのに路面電車で10分ほどの閑静な住宅街です。その路面電車駅周辺は小ぶりな商店街の様相を呈し、スーパーマーケット、パン屋、肉屋、雑貨屋、洋品店、カフェ、レストランなどが並び、生活に必要なほとんど物品を買いそろえることができます。繁華街ほどではないにしても、各店舗に活気があったのが印象的でした。

路面電車の様子

【路面電車の様子】

ドイツ人の娘の夫は、自宅から50kmほどのアパレルのネット通販の会社に車で1時間ほどかけて通勤していますが、午後5時には帰宅するということです。帰宅後は育児や夕食の支度など、夫婦で家事分担をし合っているようです。日本で暮らす下の娘夫婦とは、生活時間のゆとりや家庭内での男女共同参画の度合いが大きく異なります。

彼は私たちの滞在に合わせて1週間の有給休暇を取ってくれました。感謝の言葉を述べ、「ドイツ人は年間1か月の有給休暇が与えられるって本で読んだけど…」と聞いたところ、彼から返ってきたのは「有給は6週間(42日)ですよ」との答えにさらに驚かされました。

娘の夫と孫とのひととき

【娘の夫と孫とのひととき】

異国の地で暮らす娘には娘なりの苦労はあるのでしょうが、それでも家庭生活では夫による家事や育児への協力が得られ、さらにゆったりと休暇をとっての家族旅行も楽しんでいるようです。ちなみに彼の会社は主にEU全域を商圏とする企業で、決して仕事が少ない訳ではなく、業績は順調で右肩上がりを続けているということです。それでも時間に余裕のある生活を送れているというのは、私たち夫婦から見てもうらやましい限りでした。

マーストリヒト市(オランダ王国リンブルグ州)

デュッセルドルフ市での滞在中、娘夫婦から「どこか行きたいところある?」と聞かれました。私はそもそも孫の顔を見るのが目的で、他に何も考えてはいなかったのですが、彼から「オランダのマーストリヒトに行きませんか」と言われました。日本人感覚からすれば、ドイツに出かけて、さらに隣の国にまで足を伸ばすことなど考えてもいませんでしたが、彼の言葉に甘えて連れて行ってもらうこととしました。

マーストリヒト市の街並み

【マーストリヒト市の街並み】

マーストリヒト市と聞いて、確か「マーストリヒト条約」という有名条約があったことを思い出しました。調べてみますと、1991年にマーストリヒト市で開かれたEC首脳会談で、EUの創設を規定した条約だったとありました。それほどの重要な国際会議が開催された町はどれほどの都市なのかと思いましたが、人口17万人ほどと安城市と変わらないほどの規模に驚きました。またマーストリヒト市は、小さいながらもオランダ王国リンブルグ州の州都でもありました。

デュッセルドルフ市からマーストリヒト市まで、距離にして約110km、彼が運転する車で1時間少々でした。休日のドライブ感覚で隣国に行けるという環境は、大陸独特のものなのでしょう。最高時速無制限というアウトバーンを走り、国境を抜けると、オランダでは独特の速度制限があり、140km、120km、100kmなど、道路の周辺環境により制限速度が違うことに気が付きました。

交通の様子

【交通の様子】

視察ではありませんので、マーストリヒト市の特色など詳細までは分かりませんでしたが、デュッセルドルフ市と同様に地方空港があり、また高速道路網が発達し、さらに市内を流れるマースト川には数隻の大きな客船が停泊しているなど、交通の利便性は高く、また歴史のある古い町のためか人気の高い観光地でもあるということも分かりました。この日は日曜ということもあり、まち中のカフェはのんびりと過ごす人たちで大にぎわいでした。まち中を闊歩してウィンドウショッピングを楽しむ人も多く、自転車で回遊する人たちも目立ちました。

マースト川の客船の様子

【マースト川の客船の様子】

安城市と同規模の人口ながら、うらやむほどのにぎわいを目の当たりにしたものの、視察ではありませんので市の責任者に直接お話しを聞けなかったのが残念でした。小ぶりながらも重要な国際会議が開かれたことから、かなり格式の高い都市には違いないと感じました。もしも機会があったら、今度は公的な視察として訪問し、詳細を調査してみたいと思いました。

マーストリヒト市の街並み

【マーストリヒト市の街並み】

2019年7月1日

男女共同参画週間

6月23日から29日までの1週間は「男女共同参画週間」でした。今年度の「男女共同参画週間」には、『「男女共同参「学」」「知る 学ぶ 考える 私の人生私がつくる」』というキャッチフレーズが付けられています。

安城市内でも6月22日(土曜日)に市民交流センターにて、こうしたテーマに沿って、「さんかく21・安城」の皆さんの企画による学習会が企画・運営されました。私は主催者としてあいさつに立ちました。その一部をご紹介します。

男女共同参画週間イベントでのあいさつの様子

【男女共同参画週間イベントでのあいさつの様子】

「さて、今年は統一地方選挙の年、2月から4月にかけて選挙が続きました。安城市議会議員選挙では、先期までは女性市議4名で過去最多となっていたところ、今回はさらに最多の6名の女性候補者がお出になり、全員が当選を果たされました。それでも市議会議員定数28名からすれば20%ほどということですが、市議会の空気も、有権者の意識も、徐々に変わってゆくものと期待されます。

ところで本日は、愛知教育大学教授の山根先生をお迎えして、「どうなってるのかな 世界の子育て・子育ち事情」という演題についてご講演いただくとのことですので、私事で恐縮ですが、二人の娘の子育て環境について、簡単にご紹介申し上げます。

まず上の娘ですがドイツ人男性と結婚し、現在ドイツで暮らしています。また下の娘は日本人男性と結婚して、わが家の隣で生活しています。ともに1歳の子どもがいるという共通点がありますが、日本とドイツの娘夫婦の生活を見ていて、子育ての以前の問題として、両国の労働環境の差に驚かされます。そして、そのことがそれぞれの今後の子育ての在り方に、大きな影響を及ぼしてゆくように想像しています。

先に子どもを産んだのは下の娘でした。娘の夫はこの地域の製造業に務めており、娘の出産当日、1日会社を休んで対応してくれました。親としては、自分たちの過去に照らし合わせて、それをごく普通のことととらえていました。

しかし、次にドイツにいる上の娘が出産した時、彼女の夫の対応に驚かされました。彼はアパレルのインターネット通販の企業勤務ですが、育休を2か月とると言い出しました。娘の出産は昨年1月で、彼はまず出産時に1か月の育休をとり母子の世話をし、そして10か月後の11月にもう1か月の育休を取り日本に孫を見せに行こうと考えてくれました。

ところが育児に疲れてきた娘が気分転換で、6月に子どもと一時帰国したいと言いだした時、彼は有給休暇で半月休みとして日本に同行してくれました。そしてその半年後の11月にも、当初予定通りの育休にて親子3人で再び来日してくれました。ちなみにドイツ人には年間30日の有給休暇が与えられ、ドイツ社会ではそれを完全消化するのが当然とされているようです。よって、彼は昨年中に、育休2か月、有給1か月、計3か月も会社を休んだことになりますが、まだ会社を解雇されていません。

この他にも驚かされたのは、ドイツにいる娘の夫は毎日午後5時には帰宅しているということでした。聞くところでは、午後4時に会社を退社しているそうです。日本にいる娘の夫は、帰宅は早くて午後8時、通常は午後9時くらいと思われます。

私が言いたいのは、国によって就労環境がこれだけ違えば、育児や家庭生活での男女共同参画にも、大きな違いが出てくるのは当然ではないかということです。詳しくは、後ほど山根先生からお話があるかと思いますが、国による子育ての違いについては、まず労働環境の違いから考える必要があるのではないかと実感させられました。

現在の労働環境のままで、日本にいる娘の夫に育児や家事の協力を求めれば、彼は過労死してしまうのではないかと心配します。それだけにドイツ人の働き方がうらやましく思われ、日本でも働き方そのものを見直してゆかねば、子育てに関しての男女共同参画は極めて難しいと思われます。

そこで、どのようにして社会環境を変えてゆくのか…ですが、今から5年ほど前、ドイツにいる娘の夫のご両親がわが家にお越しになられました。その際、市役所内を見学していいだいたところ、お父さんが開口一番口にされたのは「この市役所はどうして男ばかりがこんなにもたくさん働いているのか」というひと言でした。次に「このまちの市議会の女性議員の割合はどのくらいなのか」と尋ねられました。私は当時「30名の市議会議員の中で、女性議員は2名です」と答えたところ、「それでは女性議員がいないも同然だ」と驚かれました。

「では、あなたのまちの市役所と市議会の男女比はどのくらいですか」と問いかけたところ、「市役所では男女半々で働いている。議会はまだ半々に至ってないが、女性議員は4割ほどいる」と述べられ、その違いに驚いた記憶があります。

後に調べてみたところ、国際的に見た女性の社会参加の割合で、ドイツが特別高いという訳ではありませんでした。北欧諸国が飛び抜けて高く、ドイツはヨーロッパの平均と思われましたが、そのヨーロッパの平均的な社会から見ても、日本の女性の社会参加は大きく見劣りするということかと理解しました。

日本人の私たちはこれからわが国、あるいはこの地域における望ましい男女共同参画の形を描き、それに向けて就労環境や社会制度を変えてゆく必要があると思います。理想社会に至る道のりは遠く、時間を要するように感じられます。

しかし、本市でも政治への女性参加が進みつつあります。また最近では、人手不足などを背景に女性の社会活躍が一層期待されるようになってきています。こうした気運を活かして、私たちも働き方を考え、子育て支援の環境整備を進め、日本に見合った男女共同参画社会を実現させてゆかねばならないと思います。」

 

日本でも働き方改革が進みつつあり、若い人たちの男女共同参画に対する考え方もずいぶん変わりつつあると感じます。女性の社会進出が、新たな社会活力となってゆくことを期待していますし、またそうなるような地方行政運営に努めてまいります。

孫たちとのひと時

【2人の孫たちとのひと時】

2019年6月19日

6月補正予算(案)の紹介

本年2月に市長選挙が実施され、当選者の方針によって重要政策が変わる可能性がありましたので、今年度の当初予算は必要経費のみを中心とした「骨格的予算」としてとりまとめ、政策的な事業は年度途中の補正予算対応としてありました。

そして選挙の結果、引き続き私が市政を担うこととなったため、私の選挙公約関連の事業を柱とし、速やかにそれらを実行するための補正予算を、この6月議会で審査していただいております。以下に、一般会計の補正予算案とした17億8千万円余の主な事業内容についてご紹介させていただきます。

1、健幸都市推進事業(公民連携プロジェクト)

私が目指す「みらいが日本一元気なまちづくり」に向け、イノベーションの創出や未来投資の促進に向けた、公民連携を推進するための事業を進めてまいります。具体的にはJR安城駅、三河安城駅、および名鉄新安城駅周辺のまちの活力創出に向けて、新たな民間投資をどう呼び込むか、担い手の育成や市民参加のあり方をどうするかなど、多くの方々を交えて話し合う場を創り出してゆきます。

JR安城駅周辺では南明治地区区画整理地内で、新たな民間の大型投資が進められています。また開業30年を過ぎた三河安城駅は、そろそろ周辺の再整備を考える時期に差し掛かっています。さらに新安城駅は築50年を迎え、現在名鉄による駅舎の建て替えが進められています。

こうした主要3駅周辺で始まっている大きな環境変化を、新たなまちの起爆剤とすべく活発な議論が交わされることを期待しています。

~つながる。はじまる~安城のみらい創生フォーラム

【~つながる。はじまる~安城のみらい創生フォーラムの様子】

2、安城プレミアムお買物券事業

10月には消費税引上げが予定されており、低所得者と子育て世帯の消費に与える影響を緩和するため、国の経済対策として「プレミアム付商品券」が、プレミアム率25%で発行されます。ただし、この事業には所得制限や子育てに関する条件があり、生活支援策としての色合いが濃いように感じます。

そこで、本市独自の事業として、18歳以上の市内在住のすべての方が購入可能な、安城商工会議所が発行する「安城プレミアムお買物券」の関連経費9千900万円余の補正をお願いしております。このお買物券のプレミアム率は10~20%で、幅がありますのは、個人商店や建設会社で利用可能な券20%券、量販店で利用可能とする10%券の2種類があるためです。

国と市独自のプレミアム券発行により、安城市内の消費喚起と経済活力の向上を目指してまいります。

3、多言語コミュニケーション支援事業

出入国管理法が改正され、これまで高度専門人材に限定していた外国人労働者の受け入れ政策が転換され、単純労働分野への就労が可能となりました。今後は建設業や農業など、人手不足の業種に就労する外国人が増えてゆきますが、それに伴う社会トラブルを防いでゆくことを考えねばなりません。

トラブルは社会制度や生活習慣の違いから生じるのでしょうが、その背景には、ことばの違いによるコミュニケーション不足があると考えられます。そこで、まずは多国籍化の進む外国人市民との市役所内でのコミュニケーションのサポートを図るため、テレビ電話通訳システム及び電話通訳システムの導入経費350万円余の補正予算をお願いしております。テレビ電話通訳はタブレット端末を介し、外国人来庁者と職員、そして遠隔地の通訳者の三者が、顔の見える対話で問題解決を図ることができるようになります。

また、電話により通訳者を介して、外国人と本市職員三者が同時会話することも可能となります。対応については、いずれのサービスも英語、中国語、韓国語、ベトナム語など10言語以上となっており、市内に暮らすほとんどの外国人の方々の相談に応じることができると思われます。

テレビ電話通訳システムのイメージ図

【テレビ電話通訳システムのイメージ図】

4、多世代住宅支援事業

児童虐待、高齢者の孤独死など、現代社会の問題の背景には核家族化の進展があるように思います。多世代の家族が近くに暮らし、家族の助け合いが可能な環境があれば、悲しい事件や事故を防げた可能性があります。本市で新たに創設する多世代住宅支援制度の予算は、2千200万円余の補正をお願いしています。

この制度は、祖父母から小学校修了前の孫までの3世代や、75歳以上の高齢者と子の2世代といった多世代が、同居したり、近くに住んだりすることで、互いに支え合い助け合うことにより、子育てファミリーや高齢者世代が安心して生き生きと暮らし、地域社会で活躍できることを目指す住宅支援制度です。

具体的には、家族の互助に必要な生活環境づくりの支援として、家屋の新増築や近隣(半径2km)のマンション取得などに補助金を出す制度で、耐震改修、空き家改修、まちなか居住などの条件加算もあり、上限100万円までの補助を受けることができます。6月議会で認定いただければ、7月より実施してまいります。

多世代住宅建築の様子

【多世代住宅建築の様子】

以上、6月議会に上程した補正予算案の中から、特徴的な施策を紹介いたしましたが、この他にもいくつかのきめ細かな新しい施策を展開してゆくこととしています。

市長選挙、市議会議員選挙、それぞれ一段落して、いよいよ新しい市政が軌道に乗って動き出します。

2019年6月5日

初夏の風景に思う

今年の5月は、夏を思わせるような気候が続きました。また晴天が続いたため週末のイベントは賑わいありがたく感じたものでしたが、一方で水不足を心配せねばならないような状況にもあり大変心配させられました。しかし、幸い5月下旬に適度な降雨があり、私たちの生活の水がめである「矢作ダム」は平年の水位を取り戻しましたが、農業用の水がめである「羽布ダム」は相変わらず低水位のままで心配は続きます。

安城のまちも都市化が進み、ありのままの自然はなくなり、季節感が失われてきているように思われます。それでもよく注意をすれば、季節の移ろいを実感できる風景や現象を目にすることができ、私たちの暮らしが自然のサイクル内に置かれているということが実感されます。

麦秋

出穂期を迎え5月に入っても青々としていた麦畑は、初夏の気候とともに褐色に色づき始め、気がつけばいつの間にか麦秋を迎えています。この季節、湿った空気により梅雨の到来が近いことを感じさせられますが、生産農家の皆さんは貴重な晴れの日に麦の刈り取りをお急ぎの様子です。

赤松町にあるJAあいち中央総合センター内に見える大型サイロは、米・麦の乾燥・調製(選別)を行い貯蔵する施設です。サイロは1号機から5号機まで合計5基が稼動でき、最大で20万俵(1万2千t)の貯蔵ができるそうです。JAあいち中央管内で生産された麦は収穫の季節を迎えると、短期間にこのカントリーエレベーター等施設に搬入され、乾燥・調製・貯蔵された後、検査を受けて出荷されるのを待つこととなります。

色づいた麦の穂の様子

【色づいた麦の穂の様子】

ツバメ

わが家の軒下に巣を作ったツバメが、卵を産んでいたことは妻から聞かされて知ってはいたのですが、肝心の親鳥の姿をなかなか見かけることがなく気を揉んでいました。しかし、最近になり卵を温めるメスの姿と、それを見守るオスの姿を確認することができ安心しました。雛(ひな)が大きな口を開けてかわいい顔を見せるのも間近でしょう。

親が子を虐待するという痛ましい事件を見聞きする大変残念な時代となりました。野生の生き物たちは、だれに教わるともなしに新しい命を授かり、親はそれを命がけで守ろうとします。都市化の進展により、身近にこうした小動物が見られなくなってきたことが、人間の精神を荒廃させてしまっているのでしょうか。

ツバメはオスとメスがそれぞれ役割分担をして、うまい具合に男女共同参画をしているように見えます。私たちは、時にはいろいろな動植物を観察して、貴重な学びができるようなひと時を持つ必要があるのではないかと考えさせられました。

わが家のツバメの巣

【わが家のツバメの巣】

全国植樹祭

「第70回 全国植樹祭 あいち2019」が、天皇・皇后両陛下のご出席のもと、尾張旭市の愛知県森林公園にて開催されました。終戦から間もない昭和25年より始められた全国的なこの行事、当時の世相等いろいろな社会背景があるのだろうと少々調べてみました。

日本は天然資源が乏しい中で、国を挙げて第二次世界大戦を戦ったため、燃料としての木材が必要となり全国各地で伐採が進められた上、さらに戦後復興の過程でも大量の樹木伐採が続けられました。全国的に山林は荒れ、台風などによる豪雨のたびに各地で土石流や洪水が発生し、甚大な被害が頻繁に出るようになってしまいました。

そのため戦後間もなく、国の指揮で造林補助政策による治山事業や林道整備が進められ、昭和25年には「造林臨時措置法」が制定され造林地を指定するとともに植林が奨励されました。全国植樹祭が始まったのは、まさにこの年で、こうした国を挙げての国土緑化の動きに呼応する形で、全国植樹祭が続けられてきたものと思われます。

式典では天皇陛下からのお言葉があり、70年にわたる先人の国土緑化への努力に感謝され、「健全な森を次世代のために作っていくことは、私たちに課せられた大切な使命」と述べられました。会場には1万人を超える方々がおいででしたが、すべての参加者が静かに聞き入っておられ、お言葉の間、広い会場が静寂に包み込まれたのが印象的でした。

即位後、初めての地方訪問のご公務がこの全国植樹祭へのご出席でした。私は皇太子であられた時代に、安城市内の水のかんきょう学習館と安城市歴史博物館をご視察になられた際に2度直接お会いしております。今回は遠い客席からのお姿拝見でしたが、お言葉からあの頃と変わらぬ穏やかなお人柄が伝わってまいりました。令和という新しい時代の象徴としてのご活躍をご祈念いたします。

開始前の様子 植樹の様子

【第70回全国植樹祭あいち2019式典開始前及び植樹の様子】

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