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更新日:2022年7月24日
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祈祷貝塚は油ヶ淵近くの碧海台地南東部に位置し、縄文時代の貝塚とされています。個人住宅の建設に伴い、発掘調査を実施しました。調査の結果、江戸時代後期から明治時代の溝や井戸などが確認されました。このほか、地山直上に混貝土層が形成されており、多量の貝類が出土しました。また、井戸から戦国期の鍋が出土しました。 | ![]() |
▲祈祷貝塚位置図 | |
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↑ 完掘状況 | ↑ 出土遺物 |
保科正直邸は、信濃国高遠城主保科正直が天正12(1584)年の7月に徳川家康の妹婿となったのを機に徳川領内の山崎に築かれたとされます。城主の保科正直は天正18(1590)年の家康の関東移封に伴い多胡(千葉県)に移ったと伝わるため、屋敷は約6年間存続したとみられます。遺跡は西と南側に谷地形が発達した碧海台地東端に位置します。分譲住宅建設に伴い発掘調査を実施しました。 | ![]() |
▲保科正直邸跡位置図 | |
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↑完掘状況 |
↑ 出土遺物 |
本證寺は、鎌倉時代の創建と伝わる真宗寺院です。永禄6年(1563)に起こった三河一向一揆のときには、一揆方の中心的な拠点となり松平(徳川)家康と争いました。境内周囲は二重の掘(内堀・外堀)に囲まれ、さらに堀に沿って土塁をめぐらせていたことが明らかとなっています。これらの遺構は戦国期から江戸時代につくられたもので、現在でも内堀や外堀、土塁の一部を見ることができます。当時の姿を良好に残す希少な史跡として、国史跡に指定されています。 安城市では本證寺境内の保存、整備、活用に向けた遺跡の基礎情報を得るための学術調査を継続的に行っています。令和2年度は境内西側の内堀と外堀を中心に、14か所で調査を行いました。 |
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▲本證寺位置図 | |
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↑本證寺内堀状況 | ↑ 出土遺物 |