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更新日:2011年10月12日

安城市の農業のあゆみ

明治用水の開さく

かつて安城市の大部分は、安城ケ原、五箇野ケ原、猿町ケ原なとど呼ばれた原野でした。都築弥厚、岡本兵松をはじめとする多くの先人たちの努力によって、明治13年(1880年)に明治用水(碧海郡今村上倉池までの新水路)が完成してから、以後年とともに幹線水路、支援水路がひかれ、原野は開墾され、水田に生まれ変わりました。

日本デンマークの由来

大正10年頃から昭和15年までの安城を中心とする碧海郡一帯は「日本デンマーク」と呼ばれていました。そのように呼ばれるに至ったのは、以下の理由によるものでした。

  • 明治30年代中頃、町農会、愛知県立農林学校、愛知県農事試験場が相次いで開設され、農都としての発展の基礎が築かれたこと。
  • 農林学校の初代校長として赴任した山崎延吉をはじめ良き指導者と明治用水の豊富な水資源に恵まれ、米麦を中心に畜産、そ菜、園芸など典型的な多角経営農業が行われたこと。
  • 農民の協同意識が強く、農産物の販売や肥料などの購入を共同で行うなど、産業組合の普及・活動が特に盛んだったこと。
  • 零細貧困状態の農業を何とか引き上げようとする勤勉な精神を持っていたこと。また、全村学校運動により、一般にも学校が開放され、農村教育が行われたこと。

組織農業の実施

昭和30年代に入ると土地基盤整備事業が進められ、さらに、昭和40年代には農業の近代化を図るため大型機械化を積極的に推進し、農業の組織化を全国に先駆けて実施しました。また、昭和53年に水田利用再編対策がスタートすると、集団転作などの課題に直面しましたが、昭和56年から集落に農用地利用改善組合を設立し、転作の集団化を成功させてきました。

集落農場構築構想

昭和63年度には、市・安城市農協・桜井農協・安城農業改良普及所との間で協議を重ね、集落全体を一つの農場として捉える集落農場構築構想を打ち出し、翌年度から農用地利用改善組合が実施主体となって集落ぐるみで農業振興に取り組む集落農場構築活動が展開されました。

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