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更新日:2017年9月4日

2017年8月

8月28日(月曜日)

うだるような暑さが続いたこの夏でしたが、最近は急な降雨があり、打ち水効果ということなのでしょうか。以前と比べれば、日中はやや過ごしやすくなったように感じられます。そんな土日を選んで、私はトラクターに乗り畑を耕しました。

もともと農家のわが家では、年老いた両親が畑で野菜栽培をしており、ほぼ年中、軽トラで移動して農作業を続けていました。しかし、父親が80代半ばを越した頃、小さな接触事故を繰り返すようになり、家族で説得して運転免許証を返納することとしました。それに合わせて、長年の父の愛車であった軽トラは処分してしまいました。

家庭の安心を考えれば当然の処置なのですが、それとともに今まで父が耕していた畑を、だれがトラクターで耕すのかが問題として残り、結局跡取りである私が時間を見て耕うんすることとなりました。週末の休日に、安城市長がトラクターに乗って自宅の畑を耕す姿をイメージできる市民はあまりおられないと思いますが、市役所では市長の私も、家に帰れば農家の跡取り息子なのです。

とはいえこんな未来を概ね予測して、大学は農学部を選択し、その後の就職も農業専修学校の職員と、政治の世界に入るまでは、ずっと農から大きく離れることのない人生を歩んできましたので、今でも農業に関わることに抵抗はほとんどありません。トラクターに乗って畑を耕す雄姿を写真でお見せしてもよかったのですが、写してくれる人がいなかったのでお見せできないことが残念です。

 

トラクターで作業をしている時、コオロギと思われる秋の虫の音を耳にし、赤トンボの群れが飛んでいることにも気がつきました。また単調なトラクターのディーゼルエンジンに揺られていますと、昔働いていた八ヶ岳山麓の農業専修学校での思い出がよみがえりました。土の匂い、ディーゼルの排気の臭い、そして単調なエンジン音と、五感が昔の記憶を呼び起こしてくれます。

20代半ば過ぎまでは政治の世界とは全く縁がなく、たまのマスコミによる政治汚職のニュースに目をそむけていたような自分でした。あの頃の私を知る人たちは、だれも今の私を想像できなかったことでしょう。もちろん私自身も、その後、自分の生まれ育ったまちの市長になるなどとは想像すらしていませんでした。

政治の世界に入らなければ、今でもこうして土に向かい合う農業者だったのかなと考えながら、黙々と農作業を続けました。作業の途中、家内が愛犬の散歩がてら私のいる畑に野菜を収穫しにやって来ました。昔なら水分補給のドリンクを手渡してくれただろうに、今は激励のことばだけで帰ってゆきました。

時代も状況も様変わりしましたが、溢れかえる情報と無縁の中で、土に向かい合う「農」のひと時も悪くはないという気がしました。

8月21日(月曜日)

先週はお盆、この地域の主要企業も長期休業ということで、市内は車も少なくとても穏やかな1週間となりました。私自身もお墓参りをしたり、親族で会食をしたりと、ふだんなかなか持つことができない静かなひと時を過ごしました。また終戦記念日の8月15日は、遺族会の皆さんが毎年、安城神社で開催される平和記念祭に参加しました。その挨拶の要旨を以下に記すこととしました。

 

「昨年五月、サミットで訪日されたオバマ米大統領が、その帰路、広島に立ち寄られ、核廃絶のメッセージを世界に発信されました。私はテレビを通じて、核のない世界への新たな潮流を期待しました。

しかし私自身、それまで一度も広島の爆心地に立ったことはなく、昨年秋に広島を訪問しました。慰霊碑の前で世界平和を祈り、原爆資料館を見学しました。館内に並べられた被爆地の生々しい遺品や記録に、悲しみ、怒り、さまざまな思いが交錯しましたが、それら憤懣を不戦の誓いへ昇華する以外にやり場はありませんでした。

ところが、年明けとともに誕生したトランプ大統領は、挑発的とも思える独自の外交スタイルをとられ、それに反発する北朝鮮はミサイル発射実験を続けようとしています。核廃絶への期待は失せ、世界平和は大きく後退したかのように思われます。

こうした風雲急を告げる国際情勢に活路を拓くことができるのは、わが国では外交や防衛問題に直接関与できる国会議員の皆さんしかおられません。平和社会を希求する国民の願いに応え、大局的な国家のかじ取りをご期待申し上げます。

一方、こうした不穏な時世にあって、地方自治体の首長としては何ができるかを自問自答した時、自らの非力さを実感しています。私は、広島・長崎市長が核兵器廃絶への道を切り開こうと呼びかけて世界各市長により結成されている平和首長会議に加盟しておりますが、これまではスケジュールの都合上なかなか参加することはできませんでした。しかしながら、今後はスケジュール調整に努め積極的に関わっていきたいと考えております。

遺族会の皆さま方におかれましても、どうかこの終戦記念日を契機とされ、身近な方々で結構です、平和の尊さと不戦の誓いの大切さをお伝えいただきたく、よろしくお願い申し上げます。」

 

広島の爆心地の慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていました。このことばを口にするのは難しくはありませんが、過ちを繰り返さぬために、今を生きる私たちにどんな具体的な社会行動ができるのかを考えますと、ことばの重量感に押しつぶされそうになります。

7月末に初めての孫が生まれました。次代を担う幼児へ、平和な社会を引き継ぐために、今の私に何ができるのか。祖父になった私自身の自問自答は続いています。

 

8月14日(月曜日)

迷走台風5号が去った翌日から夏休みとし、早朝の松本駅を出発し上高地から槍ヶ岳登頂を目ざしました。当初は立山に登るつもりだったのですが、台風が富山県を直撃したため、安全を考慮し目的地を急きょ長野県に変更し、私なりの危機回避に努めたつもりでした。しかし、危機というものは思わぬ形で襲ってくるものだということを、今回の登山から学ぶこととなりました。

午前7時に着いた上高地は、梓川からの朝もやが美しく、当日の晴天はほぼ間違いないことが感じられました。槍ヶ岳の標高は日本4番目の3180mを誇るため、そこに至るまでの距離は長く、標準時間で上高地から徒歩9時間とされています。もちろん道中、休憩や昼食時間も必要になりますので、朝7時過ぎの上高地発の場合、相当な健脚でなければ当日の登頂は困難です。

そもそも私は休養をかねて夏山登山ですので、混み合う山頂小屋での宿泊をいかに回避するか、また体力を翌日にいかに温存するかという、この2つをテーマに計画立案しました。よって当日の登頂はやめて、山頂やや下のヒュッテ大槍で宿泊することとし、余裕をみて午後の早い時間の到着を目ざしました。

 

上高地側からの最終基地となる槍沢小屋には午前11時着。通常5時間近いルートを4時間弱で歩き切り、まずは良好なスタート。小屋で昼食をとり再出発した時点では、午後3時の宿泊先到着を想定しました。たまに元気な若者に追い抜かれるものの、良好なペースで歩行すること1時間半ほど。やがて涼しげな大雪渓を見つけ「早くあの上を歩きたい」と、それを励みに道を急ぎました。

雪渓上では雪上歩行となります。念のため「軽アイゼン」という簡易式の鉄の滑り止めを靴裏に装着し、足元を固めました。傾斜角度はやや急ですが、真夏でも体感温度は涼しく、雪渓歩行を楽しみながら登り続けること約20分。足元に不思議な違和感を覚え、アイゼンに目をやると、20年履きならした私の登山靴の靴底がはがれ始めていることに気がつきました。

未知の出来事に「まさかまさか…」なのですが、身の危険を覚えて今度は大急ぎの下山を決めました。靴底がはがれてしまえば裸足で歩かねばなりません。鋭い岩や小石の山道を何時間も歩き続けることは不可能です。問題はこのまま下山ができるかどうかでしたが、昼食をとった槍沢小屋に無事引き返すことができました。小屋に予定外の泊まりをお願いし、翌朝念のため小屋にあった針金を購入し靴と靴底とを縛りつけ、足早にスタート地点の上高地へと向かいました。

槍沢の雪渓の様子

【槍沢の雪渓の様子】

はがれかけた靴底は幸いそれ以上はがれることなく、無事帰路に着くことができ胸をなで下ろしました。接着剤の劣化により、古い登山靴の靴底がはがれるという記事を山の雑誌で読んだ記憶はありますが、まさか自分がそんな目に合うとは想像もしていませんでした。意外な盲点は足元にあったということでした。登山に夢中になっていた若い頃、頭はいつも山の世界で占められており、暇があれば次の登山に向けて道具の手入れに余念がありませんでした。

しかし今は、山行直前に道具を揃えるのみとなり、靴底の経年劣化を見逃してしまっていました。慣れからの意外な盲点は、日常生活や防災上の危機管理の中にも生まれていないかどうか。今一度、よくよくふり返らねばならないと反省させられました。

はがれかかった靴底の様子

【はがれかかった靴底】

8月7日(月曜日)

第64回安城七夕まつりが無事終了しました。今年は開催期間中、台風が南海沖から日本に向かっていたため、最終日の雨天を覚悟していました。ところが「嵐の前の静けさ」だったのか、不思議なことにお天気は持ち、今回も盛況のうちに七夕を終えることができました。ただ台風接近による影響か、暑さと湿度はなかなかのもので、外気に短時間でも身をさらしますと一瞬で汗まみれになってしまう酷暑を恨めしく思いました。

しかし、あの炎天下で交通誘導やゴミ拾いなどの活動をしてくださる方々が多数おいでになることに思いを馳せますと、文句を言ってばかりもいられません。私もゴミを拾ったり、会場の様子を巡視したりと、七夕会場の状況掌握に努めました。

 

今回は、七夕まつり前にアンフォーレがオープンしていたため、私は特に七夕会場エリアの人の流れがどのように変わるのかに関心を持ち、多くの来場者を観察していました。アンフォーレ西隣の「願いごと広場」では、盛大なイベントが次々と開催されていましたが、日中は直射日光が強く照りつける場所だったため、イベント終了ごとに出演者も観客の皆さんも一時避難をされ、図書情報館1階のエントランスホールは涼を求める人であふれ返っていました。

そのため図書情報館に入館された方の数は、初日が2万人弱、2日目・3日目が3万人強と、過去最高を更新したと聞いています。アンフォーレがイベントを楽しむ場となり、また暑い夏のクールシェアの場にもなったことを確認でき、こうした集いの空間がいかにまち中に必要とされていたかを実感させられました。アンフォーレは、その存在価値を十分発揮してくれたものと嬉しく思いました。

願いごとふうせん一斉飛ばしの様子

【「願いごと広場」にて開催された願いごとふうせん一斉飛ばしの様子】

ところで、図書情報館1階エントランスで座る場所を確保できなかった多くの皆さんは、2階以上の図書空間に入って行かれたようです。これまで図書施設にまったく関心がなかった方もかなりおいでのことだったでしょう。涼しい居場所を求めて図書空間に迷い込まれたことで、これまでの図書館とはまったくイメージが違う図書情報館内の雰囲気に驚いた方が多かったのではないでしょうか。

「牛に引かれて善光寺まいり」ということわざがあります。私はこれまで図書施設とは無縁だった方が、今後再び来館されるという事例が増えるではないかと期待しています。七夕まつりそのものが、多くの来場者に向けた図書情報館の内覧会になった可能性があります。

七夕まつり夜のアンフォーレ前の様子

【七夕まつり夜のアンフォーレ前の様子】

7月30日に最終整備を終えた「南吉ストリート」のベンチも、多くの来場者のよき休憩場所となっており、歩き疲れた皆さんにくつろいでいただけたことで、こちらもその存在価値を発揮してくれました。これからアンフォーレ以南の区画整理事業が進んでゆきます。これまでの都市整備による来訪者の流れを、今一度よく検証し、全体バランスのとれた夢のあるまちづくりを進めねばならないと思いました。

南吉ストリートの様子

【南吉ストリートの様子】

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