市長のページ

ここから本文です。

更新日:2016年6月8日

2016年5月

5月30日(月曜日)

24日(火曜日)午後、中国の4名の市長と2名の副市長を中心とされる訪日代表団9名の皆さんが、都市近郊農業を視察したいとのことで安城市へお越しになられました。事前に日本の全国市長会から依頼があり、大変に光栄なお話と思いましたのでお役にたてればとお受けしました。

河北省保定市市長とともに

【河北省保定市長とともに】

代表団の団長は人口1千万人を超す河北省の保定市長でしたが、ご一行の中には人口10万人ほどの内モンゴル自治区エレンホト市長もおられるなど、人口規模は大小さまざまな組み合わせでした。また面積では内モンゴル自治区フルンボイル市が、日本の国土の7割に匹敵する26.3万平方キロメートルと広大な行政区を抱えておられることを知りました。こうした想像を絶するほど多彩な中国の都市スケールに、本市での視察が参考になるのかと心配になりました。

当日は、安城市役所の市長応接室で面会の後、ご一行にはまず高棚町でイチジクのビニールハウスをご覧いただき、その後は福釜町のJA農産物直販所「でんまぁと安城西部」を見学いただきました。私は視察先には同行しなかったのですが、視察中は大変熱心に見学され、また多くの質問をされていたとお聞きしました。

中国市長代表団のみなさん

【中国市長代表団のみなさんとともに】

夕食時に再会し視察の感想をお聞きしますと、開口一番「あなたのまちではゴミが散乱していないのに感心した。立派だと思う」と言われ、嬉しく思いました。そして、「農村の道路まできちんと舗装されており感心しました。また農家の生活が企業での勤労世帯と変わらないのにも驚きました」とおっしゃられました。中国では都市と農村の環境整備や所得に大きな格差がおありのようで、その解決策を本市に見出そうとしておられたと思われます。

また、「でんまぁと安城西部」に出品されていた農産物に貼付されている生産者名やバーコードにも強い関心をお持ちになり、消費者が生産者を確認できることで食の安全性が保たれていると感心しておられました。おそらく中国でも食の安全に対する関心が高いものの、それをどう解決すべきかを模索しておられるものと想像しました。

中国と日本、国土面積や人口規模は大きく違えども、「生活環境の美化」、「都市と農村の格差是正」、「食の安全確保」といった市民生活の基本に関わる課題の重要性は、何ら変わるものではないことを再認識しました。私たちの日々の取り組みが、中国市長代表団の皆さんの参考となれば喜ばしい限りです。

 

実は「安城市はゴミの散乱のない清潔な都市だ」というのは、中国からの皆さんからお聞きしただけではなく、アメリカ、オーストラリア、デンマークなど、先進諸国からのお客さまからも同様のお褒(ほ)めをいただいてきています。このまちで日々の生活をする私たちには、現在の安城のまちの衛生環境を特別なものに感じませんが、異国からお越しの皆さんからすれば称賛に値するレベルのようです。このWebサイトを通じて、環境美化活動にご尽力下さる市民ボランティアの皆さま方に心からお礼申し上げます。環境美化へのご協力、本当にありがとうございます。

新しい「きーぼー530袋」です!

【新しく作成しました「きーぼー530袋」です!】

市内でのごみのポイ捨てがなくなった訳ではなく、それを拾って下さる皆さま方のお気持ちによってまちの美観が保たれています。それだけに私たちも、何とかして環境美化ボランティアに参加下さる人を増やさねばと考えてまいりました。あれこれ考えた結果、私たちが考案しましたのが写真にお示ししました新しいごみ袋です。まちのアイドル「きーぼー」を大きくプリントしてあり、これを見つけた皆さんが、ごみ拾いに参加してみたくなる気分になって下さることを願っています。

夏の一大イベント安城七夕まつりをはじめ色々な場で、多くの市民の皆さんがこの新しいごみ袋を片手にごみ拾いに参加下さることを期待しています。

5月23日(月曜日)

熊本地震発生から約1か月後の5月16日(月曜日)・17日(火曜日)の2日間、私は熊本県内の複数の被災地を訪問し実状を把握するとともに、改めて被災者の皆さま方に心からのお見舞いを申し上げてまいりました。南海トラフ巨大地震の発生が心配される私たちの地域です。熊本地震による市街地の被害について熊本市のようすを、また農村地帯の被害について益城町のようすを、以下に記しました。

熊本市

都市基盤の破壊という点では、ボランティアで訪問した阪神淡路大震災の方がはるかにひどかったと思われましたが、これはあの震災以降、国の耐震基準が強化されたためではないかと思われました。熊本市内では、マスコミにより歴史的建造物の熊本城の被災がクローズアップされます。そこで熊本城周辺を歩き、周辺の状況を確認して回ってみました。

基本的にはテレビ映像のとおり、熊本城をはじめ歴史的な建築物の被害が著しいと感じました。特に最近は、古い民家を改造したレトロ調の商店やカフェが流行していますが、そうした古民家の破壊が目立ちました。また古くからの墓石や記念碑、さらに神社の鳥居など、耐震補強の施されていない古い時代の石の構造物はほとんど倒壊していました。

熊本市内の家屋の倒壊の様子

【熊本市内の家屋の倒壊の様子】

また、一見しますと無傷に見えるビルなどの建築物でしたが、近づいてよく見ますと、半世紀ほど前に建てられたような耐震補強のない鉄筋コンクリートの公共施設は危険で使用できない状態にあり、古いマンションの外壁にもひびが入りタイルが落ちているようすも確認されました。また比較的新しいアーケードや通路部分でも、天井やひさしの一部落下が見られました。

益城町

震源地に近く被害の大きい益城町は、熊本市に隣接する農村地帯のため、こちらの農村部とよく似たのどかな風景の町なのですが、断層が走ったせいかお気の毒なほど破壊された民家が数多くみられました。農村集落の破壊の度合いは、断層線上と思われる場所がひどいと感じられましたが、他にも水田地帯と丘陵地帯といったように建物の立地している地盤による被害の違いがあるように感じられました。水田地帯に隣接する集落では地盤が軟弱のためでしょうか、全壊や半壊の家屋が多く見受けられました。また一方、丘陵地帯では傾いたり壁が落ちている家屋が多く見られたものの、比較的軽微な被害の家屋が多いように見えました。

益城町市内の家屋の倒壊の様子

【益城町市内の家屋の倒壊の様子】

益城町役場は丘陵地帯にありました。正面玄関ひさし部分が落下したため、裏口からの出入りとされていたものの、震災直後も庁舎内で仕事はできていたようです。しかし、危険建築物とされているため、今後の安全を考えて隣接する中央公民館へ、役所機能を全面移転されていました。その他の公共施設全般では、公民館に付帯する体育館も、また大きな総合体育館も、躯体(くたい)はしっかりしていたものの、ともにアリーナの天井板などが崩落しており、危険で使えない状態だったのが残念でした。もしも、非構造部材の耐震改修さえ行われていれば、こうした体育施設は地域住民の避難所として十分機能したものと思われます。

 

とりあえず今回の被災地報告は以上です。詳細な報告は「今月のメッセージ」にまとめ、6月20日(月曜日)に掲載いたします。

5月16日(月曜日)

天気がよければ春を通り越し、すっかり初夏を思わせるような気候となりました。さる5月11日(水曜日)に臨時市議会が開催され、正副議長を始めとする安城市議会役員、及び各会派の役員が改選されました。新たに市議会の役職に就かれた皆さま方に、心よりお祝い申し上げます。おめでとうございます。

 

私も市議会議員だった平成14年のこの季節、43歳で市議会議長に選出されたことを思い起こします。当時の安城市議会は、年功序列意識が幅を利かしており、旧態依然の古い慣行が根強く残されていました。

しかし、平成11年の統一地方選挙で議員定数を2名削減したことにより、当選回数の多い年配議員が次々に引退され、私は市議会の若手リーダー的な存在となっていました。そこで4期目のベテラン市議という立場を利用して、その後の数年間でかなり思い切った議会改革を断行し続けたため、古い議会の慣例に愛着をお持ちの古参議員からひどくにらまれ、議長へ選出の際に大変な内輪もめが起きた記憶があります。

こうした市議会の古い体質の打破や、新しい市政への転換を図ろうとする際には、自らのポストへの打算を捨てることができなければ、思い切った改革というものも実現できなかったと思います。まずは自分自身のポストへのこだわりから離れること。そして改革の評価は後世にお任せしようという割り切り。そうした虚心の自分になれた時、周囲の仲間の市議らの気持ちが動き賛同者が増え、その結果、目標とする議会改革を成し遂げることが可能になったとふり返ります。

こうした一連の流れをつくるのには情熱と戦略が不可欠と考えますが、それ以前に利害を超えた「虚心」の自分になるということが重要になります。昭和30年代末に歌われた美空ひばりさんの「柔(やわら)」という歌を、私はまだ覚えています。「勝つと思うな 思えば負けよ…」という歌詞を、私は子どもの頃に口ずさんでいた記憶があるものの、その意味は理解していませんでした。しかし、やがて大学時代に禅寺へ参禅するうちに、禅語の「放下(ほうげ)」ということばに触れ、歌詞の真意に納得できるようになりました。

 

同様の意味で、維新という歴史的な大改革を成し遂げた明治の偉人・西郷隆盛は、「金もいらぬ、命もいらぬ、名誉もいらぬ人が、一番扱いにくい」と言ったそうです。こうした虚心の人々が心を一つにできれば、そこから大きな力が生まれ改革が進み、大願を成就させることができるのではないでしょうか。私はよきリーダーのいるそんな集団にこそ、社会を動かすエネルギーが宿るものと考えます。

また、時代にかなった改革を進め多くの賛同者が集まれば、ポストは後から自ずとついてくるものだと知りました。新たに安城市議会をリードされる皆さんの心意気に心よりご期待申し上げております。

5月9日(月曜日)

ゴールデンウィーク(以下GW)が終わりました。今年のGWは飛び石連休となり、数日休んでは出勤し、また数日休んでは出勤の繰り返しとなったため、長期の休暇をとり、ゆったりとした日程で旅行に出かけられた方は例年より少なかったのではないでしょうか。

私はGW前には登山をしようかと考えていたのですが、お天気の関係上、結局どこにも遠出することなく地元での骨休みとなりました。各休日の半日ほどは自転車で長距離を走ったりプールで泳ぐなど体を動かし、残りの半日は本を読んだり映画を観て過ごすといった、文武両道のような日々を過ごしていました。連休中の市内の道路は、多くの市民の皆さんがお出かけになっておられるせいか、例年のごとくかなり空いていました。おかげで安全に自転車の走行ができ、また車での移動も円滑で、ストレスを感じない快適生活を送ることができました。

GW中のデンパークの様子

【GW中のデンパークの様子】

連休中に読んだ本で印象に残ったのは「大人のための昭和史入門(文春新書)」で、第2次世界大戦とその前後の日本の歴史が、何人もの識者の視点から論じられていました。特に興味深かったのは戦後の「昭和天皇実録」からの記述で、終戦1周年を迎えて歴代首相や閣僚を前に、昭和天皇が日本の敗戦に関して「かつて白村江の敗戦を機に改革が行われ、日本文化発展の転機となったことを例に挙げられ、今後の日本の進むべき道について述べられた」というくだりです。

7世紀の白村江の戦いは、日本と百済2万7千の連合軍が、唐と新羅によってわずか2日で全滅させられた決定的な日本の敗戦でした。しかし、この敗戦から日本は国防のあり方を真剣に考えるようになり、また戦勝国の高い文明に追いつくために唐にならった社会制度づくりや首都の建設も進められています。このような外圧による国家的な危機は、江戸末期の黒船来航時にも再来しますが、この時も世界の列強国家であった欧米諸国の文明をいち早く取り入れることで、日本はそれらの国の植民地と化すことを免れています。

敗戦の翌年、昭和天皇が日本の国家指導者たちを集められ、こうした日本独特の歴史と先人らの血のにじむ努力をふり返られ、国家再建への願いを時の指導者らに述べられたという事実を、私はこの本により知りました。その後の日本の高度経済成長をふり返れば、天皇のご期待に沿った日本の再建は見事に果たされたことになります。日本は外圧により窮地に立たされる都度、敵国の文明から多くを学びとり、国家として大きな飛躍を遂げるという歴史を繰り返してきたことになります。

この他、戦後改革、特に最近話題になっている憲法改正についても、当時のいきさつを知りたかったのですが、その点に関してはあまり多くを割(さ)かれていなかったのがやや残念でした。ただ、憲法改正、選挙制度改正、農地解放、財閥解体などに関して、「異なる法文化・言語を持つ日本で、改革は勝者だけではできない。勝者と敗者の協力があって初めて改革が可能になる」とありました。終戦直後に成し遂げられたさまざまな国家制度の改革は、一方的にアメリカから押し付けられたものばかりではなく、すでに戦前から一連の社会改革の素地が日本に内在していたことをうかがわれました。戦勝国アメリカの権威の下、先進的な考えを持つ日本の若いリーダーらが活躍の場を得て、今日に至る日本の社会システムが構築されてきたのでしょう。

 

あまり多くの本を読むことはできませんでしたが、普段なかなか読めないような分野の本を読むことができた貴重なGWとなりました。皆さんはどうお過ごしになられたのでしょうか。

5月2日(月曜日)

4月半ばに発生した熊本地震。その後、余震と本震が入れ替わるなど、現地の混乱と地震の頻発が伝えられています。九州中部の大地が落ち着くまで、まだ時間を要するのでしょうか。改めまして、お亡くなりになられた皆さまのご冥福をお祈り申し上げますとともに、1日も早い復旧・復興を願っています。

 

さて、今回の地震はいわゆる内陸部の直下型地震であり、この地域に発生した昭和20年の三河地震と同類の地震ではないかと思います。また阪神淡路大震災も同じ直下型地震でしたが、日本ではその後、この阪神淡路大震災を新たな事例として、建物の耐震改修基準が改められ、災害時の備蓄などが考えられて来たはずです。

しかし、全国的にそうした防災対策が進められていたにも関わらず、熊本地震では公共建築物でも大きな被害が出ている他、避難民による避難場所や救援物資の不足、それに伴う避難所の衛生環境の悪化が伝えられています。一連のマスコミ報道を見ていて、今回の地震から危機管理に関して本市が学ぶ点が多々あるように思われました。

そこで、熊本地震発生の翌週に、本市の災害対策本部の実働部隊による臨時会議を開催し、テレビ・新聞等で見聞きし被災地の情報をもとに、これまでの体制や備えで心配と思われる課題を洗い出してもらいました。それらを集約して、その翌週26日(火曜日)には「情報連絡会議」を開催し、各部長からそれぞれの部ごとの懸案事項を報告してもらい、本市の災害対策上の課題を確認し合いました。こうしたさまざまな情報交換を通じて、私が重要と感じた点をまとめると次の通りかと思われました。

1、来庁者の安全確保

本年4月1日の昼近くにも「三重県沖地震」があり、その直前には緊急地震速報が流れました。しかし、年度当初の辞令交付式の直後ということもあり、適切な対応できた部署は少なかったかと思われます。私自身も反省していますが、地震到達30秒前のアナウンスから到達までは意外と長く感じられ、この間に、まずは来庁者への安全確保を優先せねばならないと痛感させられました。

2、行政機能の確保

災害の発災後、各種証明書発給のため、市民生活の根幹に関わる届出や相談で市役所を訪れる方は多いと思われます。熊本地震では市役所庁舎への被害が生じ、市役所庁舎及び支所が危険建築物として閉ざされています。その時、市役所の代替機能をどこに確保するかを、あらかじめ考えておく必要があると感じました。

3、移動手段の確保

発災直後、市街地で多くの構築物が倒壊してしまった場合、それらの撤去まで自動車での自由な移動は不可能となるでしょう。その間の被災状況把握や情報連絡の移動手段を考えると、まずは自転車の利用が有効と思われます。しかし、多くの市職員がどんな自転車をどのように活用するのかなど、考えるべき課題は多いと思われました。

 

毎年4月の人事異動により、災害時の役割分担も変わります。その都度、新たにだれがどんな役割を担うのか、またどんな備品がどこにどれだけ置かれているのかなど、異動で替わったばかりの担当者がすぐに把握できていなかったことを反省させられます。よって、4月中には災害対策の情報連絡会議を開催し、それぞれの課題を整理し合うことを恒例化しておかねばなりません。本市にとっても学ぶべき教訓の多い熊本地震となりました。 

過去のひとことを読む

お問い合わせ

企画部秘書課秘書係
電話番号:0566-71-2201   ファクス番号:0566-76-1112