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更新日:2016年3月8日

2016年1月から2月

2月29日(月曜日)

2月も末となり、そろそろ卒業シーズンを迎えました。今年、市内の学校で最初に卒業式のご案内があったのが安城学園高等学校で、23日(火曜日)に出席してまいりました。毎年この時期は、安城市議会の3月定例会が控えていることもあり、議会の質問への答弁打合せの関係で、学園高校卒業式には出席できる年もあれば、出席できない年もあります。今年は何とか出席することができ、来賓祝辞を述べさせていただきました。以下は、その祝辞要旨の一部です。

 

「(前略…)近年、安城のまちがずいぶん様変わりしつつあることは、日々学園高校に通う皆さんもお気づきではないかと思います。昔ながらの家並みが新しくなり、また七夕まつりで盛り上がった交流広場は使えなくなり、現在は大きな建物の骨組みが立ち上がっています。JR安城駅南の昔ながらのまち並みの地域は、古くからの建物が密集しており、かねてより災害発生時に大変な被害が出てしまうことが心配されていたため、安城市が地元の皆さんとの話し合いにより都市整備の事業を行っております。古い建物の移転を図り、緊急車両がスムーズに行き来できる道路や、災害時には避難場所になる公園を建設し、災害に強い住環境の優れたまちに作り変えつつあります。

その都市整備事業の大きな目玉として、現在、交流広場跡地に愛称を「アンフォーレ」という図書情報館を核とする都市施設を建設しています。アンフォーレのアンは安城のアン、フォーレはフランス語で森を意味する造語です。アンフォーレの建物自体は年内には完成しますが、現在の中央図書館に収められている40数万冊の書物を移動させねばならず、アンフォーレのオープンは来年6月としています。学園高校のすぐ近くに、最新のIT機器が充実した新しい図書施設が間もなく開館します。どうか下校時、時間に余裕がある日はこのアンフォーレの図書情報館にお立ち寄りいただきまして、友だちとの情報交換や勉強・読書などで、充実したひと時をお過ごしいただきたいと思います。(…後略)」

安城学園高等学校卒業式の様子

【安城学園高等学校卒業式の様子】

アンフォーレのオープンは来春の卒業式にも間に合いませんが、安城のまちは今後、大きく様変わりをしてまいります。このまちの母校を卒業した若者たちが、やがて「こんな見違えるような安城のまちとかかわりを持てて良かった。自分の子どもにもぜひ安城市で学生生活を送らせたい」と思ってくれるような、そんな良き都市環境整備に心がけてまいります。

2月22日(月曜日)

人には個々人でいろいろな記念日があります。私にも誕生日、結婚記念日などの私的な記念日がありますが、この他に公人として重要な意味を持つ記念日に2月15日の「安城市長就任の日」があります。1期目の市長就任は平成15年2月15日、そして4期目の就任は昨年の2月15日です。

思い起こせば、市長就任1期目の4年間は、まだ激しい市長選挙のしこりが残っており、市長提案で出した議案が市議会で否決され、修正を強いられることもありました。区画整理事業などの重要な公共事業も地元で賛否が割れており、日々の公務は針のむしろに座っているような気持ちで、心身ともに疲労困憊(こんぱい)してしまい、「1期4年、市長が務まるだろうか…」と毎日本気で考え込んでいました。

そんな厳しい時代もありましたが、今となっては「鉄は熱いうちに打て」ということばが思い出されます。まだ40代半ばの駆け出し市長時代のつらい経験は、精神的な強靭さと粘り強い交渉力を身につけるためのよき鍛練になったように思われます。もしも、あのスタート時点から周囲に持ち上げられて、おだてられながら過ごしていたなら、気の緩みや慢心によりどこかで大きな失態をしでかしていたのではないかという気がします。

 

さて、20日(土曜日)には、今池小学校開校30周年の記念式典がありました。昭和61年4月1日、市内19番目の小学校として今池小学校は、名鉄新安城駅南部の急速な都市化とともに開校し、長年、家庭・地域とともに学校づくりを進めて来ています。その積み重ねてきた歴史は、校庭のケヤキの成長のみならず、特色ある教育活動や施設に垣間見ることができます。

今池小学校30周年記念式典の様子

【今池小学校開校30周年記念式典の様子】

自然と触れ合う機会を増やすために始められた全学年での植物栽培活動は、自然を慈(いつく)しむ心につながっていると思います。こうした活動は、明治用水の水を引き込んだ「すいすい水路」の整備に発展し、保護者や地域の皆さんにいただいたコイやフナが泳ぐ姿を校内で観察できるようになりました。

また今池小学校PTAは、地域ぐるみで学校を支えられ、熱心なPTA活動を展開して来られました。長年の活動の成果は、全国的な評価を受け、平成22年度には日本PTA全国協議会長表彰、平成26年度には文部科学大臣表彰を受けています。こうした地域の皆さんのご協力により、今池小学校はいつの間にか地域の集いの空間となり、災害発生時の安全な避難場所でもあり、また子どもたちと地域の方々がつながることのできる拠点ともいえる場所になりました。

今池小学校開校30周年記念式典のさ中、ふと「そういえば自分は、この学校の20周年記念式典にも出席したんだった」と気づきました。この10年間で学校もケヤキも大きく成長しましたが、果たして私自身はそれに負けないくらいの成長を遂げたと言えるのだろうかと、自問自答を続けています。

2月15日(月曜日)

10日(水曜日)、安倍晋三首相の奥さま安倍昭恵(あきえ)夫人が安城市にお越しになられ、錦町小学校を訪問されました。訪問の趣旨は、重度の障害をお持ちでありながら自ら起業をされ、現在は社長を務めておいでの佐藤仙務(ひさむ)君(24歳)との座談会をお持ちになることで、私も錦町小体育館で子どもたちとともにお二人のお話をお聞きしました。佐藤君は愛知県内にお住まいで、1歳の時に脊髄性筋萎縮症(せきずいせいきんいしゅくしょう)と診断されました。この病気の根本的な治療法は、現段階ではまだ確立していません。

安倍昭恵さん佐藤仙務さんふれあい講演会

【安倍昭恵さん佐藤仙務さんふれあい講演会】

車いすによる寝たきり状態の佐藤君は、養護学校の高校部・商業科を卒業されています。高等部に在学当時、先生から将来の夢を聞かれ、彼は「有名になりたい」と述べたそうです。自ら自由に活動することができない身体で、どう有名になるのかの当てもなかったそうですが、とにかく夢だけは大きく抱いていたとお話しされました。もともと楽天的な性格だったのでしょうか。

高等部を卒業後、重度の障害を持つ幼馴染(おさななじみ)とともに会社を立ち上げられたのは、「働く場所がないのであれば、自分たちで会社を作ろう」という理由とのことでした。幼馴染はものづくりが得意だったようですが、佐藤君は文字を打ちメールを送ることが得意で、それぞれが得意な能力を活かしあいホームページや名刺の作成を請け負う会社を立ち上げられました。

彼はパソコンを介して、両手によるマウス操作と会話や表情により業務をおこなっておられ、自称「寝たきり社長」と自己紹介されていました。たまたま彼が昭恵夫人のFacebookにアクセスされ、そこから夫人との交流が始まったようで、夫人も彼に名刺を作ってもらっておられます。私は日本の原風景を思い出されるような素朴なデザインの名刺をいただきました。

市役所にて安倍昭恵首相夫人と懇談の様子

【市役所にて安倍昭恵首相夫人と歓談の様子】

講演終了後、昭恵夫人が市役所に立ち寄ってくださいましたので、応接室にてしばらく歓談させていただきました。重度障害をお持ちの身でありながら、雇用される当てがないなら自ら社長になろうという佐藤君の大らかな発想。そうした生き方や気持ちを抱いて頑張る彼のような若者を、青少年に知ってもらうことができれば、若者の自殺はもっと少なくなるのではないかという私の率直な感想を夫人にお伝えしました。

受験シーズンを迎えています。若者たちにはできるだけ多くの人生の選択肢を示してあげ、多少の失敗があったとしてもさらに別の多様な生き方もあるという、柔軟な進路選択ができるよう周りから助言してあげたいものです。とかく学校と塾とに追われがちな現代の子どもたちは、多種多様な進路や生き方に気づかないことが多々あるように思われます。そうした閉塞(へいそく)感を打破するために、昭恵夫人が佐藤君との座談会を企画されたのでしょう。

会場のマイクの加減でしょうか、特に佐藤君のことばがフロアでやや聞き取りにくかったのが残念でしたが、それだけに聞き耳を立てて彼のお話を何とか聞き取ろうとしていた子どもたちの熱心な姿が印象的でした。佐藤君のすべてのことばが聞き取れなかったとしても、彼が伝えようとしていた強い思いは幼い子どもたちの心に伝わったものと感じられました。今後ますますの佐藤君のご健闘と、安倍昭恵夫人のご活躍を心よりご祈念申し上げました。遠路お越し下さりありがとうございました。

2月8日(月曜日)

7日(土曜日)、「梨の里小学校(篠目町)」の開校10周年記念式典に出席しました。梨の里小は平成18年4月3日、のどかな梨畑の隣りに市内21番目の小学校として誕生しました。私は平成15年に安城市長になっており、人口増加によりマンモス校化していた「二本木小学校」と「作野小学校」の分校を、どこにどう作るかの議論を当時の教育委員会の皆さんとともに進めてきました。

学校の位置、また学区のあり方、さらに学校名と、地元の方々やPTA役員の皆さんと話し合いを重ねたのですが、温かなご理解をいただく一方、地元の学校への思い入れの強さによる異議や進言も多く、そうした多種多様な意見の集約に大変な苦労をした思い出がよみがえります。そんな紆余曲折を経て梨の里小学校は、無事に現在の地で開校の日を迎えることができたことが、昨日のように思い出されます。

梨の里小学校開校10周年記念式典~全校生徒による群読 梨っ子賛歌~

【梨の里小学校開校10周年記念式典~全校生徒による群読 梨っ子賛歌~】

校名の「梨の里」は、梨の産地として知られるこの地にふさわしい名前として、当時の開校準備に関わられた先生方の話し合いの中から生まれた校名でした。10年後の今では、すっかり地域の皆さんに定着しており、地域や関係の皆さまから愛され親しまれる学校になっています。また今日は通学路も整備されていますが、開校当時は多くのボランティアの方々に登下校を見守っていただきました。それは今のスクールガードの原点となっていると聞いております。

こうした地域の学校支援は登下校にとどまらず、読み聞かせや図書館整備にも波及し、多くのボランティアの力添えで梨の里小の教育活動が推進されてきました。また、当時の教育委員長の杉浦辰子さんが、子どもたちの成長を梨の実の成長に例えられ、「梨っ子の樹」という壁画をお描きになられ、「梨っ子のゆめ」という絵本を寄贈されました。それは梨の里小独自のものであり、子どもたちの心の拠り所になっているそうです。

そんな梨の里小は平成25年度、全国学校体育研究最優秀校の文部科学大臣賞を受けております。また翌26年度、皇太子ご夫妻が明治用水会館に行啓をされた際、現在の5年生の子たちが、明治用水「水のかんきょう学習館」において環境学習に取り組むようすをご覧いただいております。皇太子妃雅子さまは、「愛知県で若い世代の子どもたちが、自ら考え取り組もうとしている姿を心強く思いました」と称(たた)えてくださっています。

さらに昨年の11月、私が梨の里小を訪問し6年生の児童らと「ティーミーティング」を開催して、「これからの甘ひびきの広報活動」について議論した思い出もあります。式典の中で、そうした開校当時の産みの苦しみを思い出す一方、その苦労の末に産まれた今日の学校の晴れやかな風景が、とても嬉しく思われました。私はあいさつの中で、この学校も巣立つ子どもたちも、そして地域も、歳月とともに立派に成長されることを心よりご期待申し上げました。

2月1日(月曜日)

年明け間もなく、私の元にアメリカ大使館から1通の案内状が届きました。それによりますと、アメリカ国務省と日米交流財団が3年間にわたり進められてきた「友好の木(ハナミズキ)イニシアティブ」が、昨年末までに3千本の植樹を終えられたそうで、その寄贈先の安城市長にもアメリカ大使館でのケネディ大使とのパーティーに参加いただきたいということでした。「そういえば…」と過去をふり返ってみますと、今から3年ほど前の平成25年4月に、在名古屋アメリカ領事とご一緒に安城公園内にハナミズキを植えた記憶がよみがえりました。あの植樹活動は、その後も根気強く続けられており、当初目標であった3千本に達成し終了したということでした。

日米交流財団及び友好の木-ハナミズキ・イニシアチブのレセプションにてケネディ大使と

【日米交流財団及び友好の木-ハナミズキ・イニシアティブのレセプションにてケネディ大使と】

そもそもこの友好の木イニシアティブの発端は、アメリカ合衆国の首都ワシントンのポトマック河畔の3千本の桜が、約100年前の明治45年(1912年)に日本からアメリカへ友好の証として贈られており、その返礼として今度はアメリカから日本へハナミズキを贈ろうという趣旨でした。安城市にはこの運動のかなり早い段階でハナミズキが贈呈された訳ですが、その理由は安城農林高校の初代教頭をお勤めの熊谷八十三氏が、病害虫に強い桜苗木の育成に関わられたことによります。

こうした過去の偉人の皆さん方のおかげで、アメリカ大使館からお招きをいただき、26日(火曜日)にケネディ大使と面会することができ大変光栄に存じました。限られた短い時間ではありましたが、私から改めて安城市と友好の木イニシアティブとの関係をお伝えいたしました。はるか昔の偉人の皆さんのご厚意が、長い歳月の後、今日に至って大きく再評価されたと言えましょう。多くの皆さまに感謝申し上げ、シャンパンで祝杯を挙げてまいりました。

 

さてアメリカ大使館訪問の翌日、翌々日と、東京で全国市長会の会議が続きました。財政委員長の私が出席した会議の主な議題は、平成28年度の地方財政や税制改革の見通しについてで、早い段階でこうした重要な見通しを耳にすることができたことをありがたく思いました。

全国市長会財政委員会にて

【全国市長会財政委員会にて】

しかし最近、愛知県で問題視されています地方法人税の国税化については、そのマイナスの影響が及ぶのが財政力の豊かな都市の多い東京都と愛知県に限られているせいか、その他の道府県の市長らにはほとんど関心が持たれていないという現実があると感じました。実際のところ全国市長会の正副会長がお揃いの役員会で、私から「愛知県内でも特に豊田市などは、100億円を超えるマイナスの影響が出ており深刻な財政問題になっています」とお伝えしましたが、相づちを打ってくださったのは東京都内の市長お1人に過ぎませんでした。他の多くの市長さん方は、どうやら地方法人税の「国税化」をほとんど問題視しておられず、むしろ地方法人税の「偏在是正」として肯定的にとらえておられるようで、地方法人税を「召し上げられる立場」と、地方法人税の「おすそ分けに預かる立場」とは、地方税の制度改正に対する受け止め方がこんなにも違うのだということを実感しました。

地方法人税の国税化の方向性は、国の法律ですでに定められてしまっていることなので、法改正をしない限り変えようがないのですが、財政難に苦しむ市町村が圧倒的大多数の全国情勢に鑑(かんが)みれば、国会での見直しは不可能に近いと思われます。よって、せめてその余波に苦しんでいる都市がこの地域に多数あり、こうした自治体の犠牲のもとに地方財政の安定が成り立っているということを、全国の首長の皆さんに知っておいていただきたいものです。それが全国市長会の役員会に、愛知県から出席している私の使命の1つと考えています。

1月25日(月曜日)

20日(水曜日)早朝の降雪により、朝方は一面の雪景色と化してしまいました。普段の通勤は公用車で送迎してもらっている私ですが、この日は午後に私用があったため自家用車での通勤としていたので、車の運転に大変な神経をつかいました。

安城市辺りの降雪は年に数回ほどですが、家族が雪道で事故を起こすことを避けるため、わが家の車の1台にはスタッドレスタイヤを履かせています。よって雪が降ったからといって慌てることはありませんが、私の周りを走る車の全てがスタッドレスとは限りませんので、大きなトラックなどが後ろに追随している時などには、追突される不安がつきまといます。「危機管理」ということばが喧伝される時代となりましたが、さまざまなケースを想定するとその対策もなかなか大変なものだと実感させられます。

デンパーク近くの雪景色

【デンパーク近くの雪景色】

台風、大雨、地震、津波、そして雪と、気象や地形の変化に富む日本では、ありとあらゆる災害の可能性があり、日本人はそうした気まぐれな自然とともにたくましく生きてきました。こうした自然の猛威は大きなハンディに思えますが、おかげでそれら猛威から身を守る術や、自然と共生する生活の知恵が生まれてきたのでしょう。

こうした日本人独自の創意工夫の中から、世界で通用する優れた科学的な発見や技術が生まれたと考えられます。自然の気まぐれな性質を見抜き、被害を最小にとどめ、その恵みを活かすことのできる社会としたいものです。

 

話が前後しますが、先週の19日(火曜日)、第8次総合計画が審議される総合計画審議会が開催され、パブリックコメントとして寄せられたさまざまなご意見を受けての修正案を認定いただきました。これによって、健やか幸せを意味する「健幸都市」を目ざす第8次総合計画案がまとまり、3月定例市議会の議案としてゆくことになります。

近い将来、本市も超高齢社会を迎えますが、その時、この地域の医療や福祉が崩壊してしまうようなことがあってはなりません。医療福祉こそが地域社会の命綱であり、健全な形で末永く堅持されねばなりません。幸いこれまでのところ、目ざす都市像の「健幸都市」に異議を唱えた方はおられませんが、本市が健幸社会を目ざすことの真意を市民の皆さんにしっかり認識いただき、自らの老後の過ごし方や常日頃の健康づくりを、今から考えて実践していただくことが大切です。

先週は、城南町内会や安城南ライオンズクラブから、市長講話をいただきたいとのご依頼が入っていましたので、本市が「健幸都市」を目指すことの意義についてお話しさせていただきました。お集まりの皆さん全員が熱心にお話をお聞き下さり、だれもが超高齢社会の到来に対して漠とした不安をお持ちであることがうかがえました。こうした未来への危機意識を共有し合い、支え合いの精神が広がる地域社会としてゆきたいと願っています。

1月18日(月曜日)

「ボッチャ」という競技をご存知の方は少ないかと思います。ボッチャはBocciaとつづり、イタリア語でボールを意味することばだそうです。ヨーロッパで生まれたスポーツで、重度脳性麻痺者もしくは四肢重度機能障がい者のために考案されたもので、パラリンピックの正式種目となっています。Web上には、「ジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールに、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールを投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりして、いかに近づけるかを競います」とありますが、ごく簡単な表現をすれば冬季五輪の種目となっているカーリングのストーン(臼のような形の石)を、柔らかいボールに置き換えたような競技を想像すればよいのではないかと思います。ボールはソフトボールをやや小さくしたくらいのものです。

 

さて前置きが長くなりましたが、安城市内にお住まいの梅村祐紀君(21歳)が、昨年12月に開催された日本ボッチャ選手権大会で3位に入賞され、15日(金曜日)にその報告においでになりました。私が彼とお会いするのは彼の高校当時から3回目かと思いますが、その都度ボッチャでの上位入賞の報告を受けています。障害に負けずにさまざまな挑戦をされる若者は、市内に何人もおいでになりますが、1つの競技にここまで打ち込まれ腕を上げて来られた方を、私は他に存じ上げておりません。

車いすの生活を送っている梅村君にとって、車いすは彼の足そのものと言っても過言ではありませんが、その車いすは普通のものとはずいぶん違って見えます。腕で体を支えるためのバー、腰の安定のためのサイドボード、お尻が浮かないようにとシートベルトなど、彼の車いすにはかなり凝った部品がオプションで装着されているのが分かります。お聞きしたところでは、梅村君自身が考案した部品を専門の方に開発してもらい、ボッチャに勝つために車いすに装着しているとのことでした。一つ一つの部品の役目をお聞きしてみますと、彼の体の機能をうまく補助できるように工夫されているのが分かり、それぞれの部品の重要性が理解できます。

梅村君は、「安城市内の身体障害者の皆さんにもボッチャの面白さを知ってもらい、より多くの人に参加してもらいたい」と、ご自身の抱負を語られました。私は、「そのためには梅村君自身がボッチャで立派な成績を上げて、マスコミなどで取り上げられることがよいでしょう」とアドバイスしたところ、彼は真剣な表情で「今夏のブラジルでのパラリンピックは無理でしょうが、東京でのパラリンピック出場を狙っています」と答えてくれました。

梅村君は現在、国内では注目され始めていますが、国際的にはまだまだ無名に近い選手のようです。週2回名古屋に通っての練習を続けねばならず、彼はもちろんのこと彼を支えておられる祖父母のご苦労もなかなかのものかと思われますが、東京でのパラリンピック開催までもう4年ほどです。今しばらく頑張られ、梅村君とご家族の大きな夢が良い形で叶うことを心よりお祈り申し上げました。安城市民の楽しみが、また1つ増えました。

日本ボッチャ選手権大会3位入賞の梅村君とともに

【日本ボッチャ選手権大会3位入賞の梅村君とともに】

1月11日(月曜日)

新しい年が明け、今年もたくさんの年賀状が家に届きました。公職選挙法では、「政治家はその選挙区内にある者に対して、年賀状などのあいさつ状を出すことが常時禁止」とされています。ただし、答礼のための自筆によるものは禁止されていないため、年始は時間がある限り手書きによる年賀状の答礼に追われるという大変な現実があります。今年は比較的落ち着いて返礼が書けましたが、昨年は年明け早々に市長選挙があり、すべての年賀状に欠礼せざるを得なくなってしまいました。昨年正月に年賀状をくださった皆さん、大変失礼いたしました。

色々な方の年賀状に目を通していますと、ずいぶん遠隔の知人であっても、このWebサイトを通じて私の日常を確認くださっているということに気づかされます。ご無沙汰ばかりしていますが、遠方からの激励に感謝申し上げます。ありがとうございます。

 

さて10日(日曜日)には、午前に安城消防署で消防出初め式があり、また午後にデンパークで成人式を開催しました。出初め式は本市の安全安心に関わる年初の儀式ですし、成人式は新成人らに社会の一員としての自覚を促す重要な式典です。かつては別々の日に行っていたためさほど苦にはなりませんでしたが、今では午前が出初め式、午後が成人式という同日開催となりましたので、服装の着替えから頭の切り替えまでなかなか骨が折れる一日となりました。

消防出初式の様子

【消防出初め式の様子】

消防出初め式では、「昨年末の『今年の漢字』で安城市の『安』が選ばれ、全国の多くの方々が安城市の存在を思い起こされたことでしょう。『安城市は今どんなまち?』と問われた時、その名前の通りに安全安心なまちですと胸を張って言えるようなよいまちにしてゆきましょう」と消防団員を激励しました。

また成人式では、「大震災、経済変動と、この20年間は激動の時代の連続でしたが、皆さんをしっかり育てて下さったご両親に感謝しましょう。まだまだ不透明感の残る時代が続きますが、人口増加が続く『ふるさと安城』に秘められた可能性を活かして、皆さんの夢や目標実現に向けて頑張って下さい」と、新成人とそのご家族を祝福しました。

成人式の様子

【成人式の様子】

主催者の私には公式行事のはしごなのですが、出席される人たちにとっては一生に一度の思い出の催しとなります。よって一期一会の精神、それを意識した一日二つの真剣勝負の式典は、私にとってはなかなかの精神負担となってしまいます。翌日の「成人の日」の祭日は、終日心労の癒やしに努めることが慣例となっています。

 

この連休をピークとして、新年の恒例行事も徐々に数が少なくなってきます。先週後半からは、私による新年度の予算査定が始まっています。これからしばらくはじっくり腰を据えて本市の未来に思いを馳せ、多くの皆さんに喜んでいただけるような新年度の予算案を仕上げたいと思っています。

1月4日(月曜日)

明けましておめでとうございます。新しい1年が始まりました。昨年末の仕事納めから本日の仕事始めまで、わずか1週間しかたっておらず、社会の流れが急に変わった訳ではないものの、何かしら新しい気持ちにさせられるのが日本の正月というものです。この正月を機に、心新たに市政運営に取り組んでまいります。本年も1年間、どうぞよろしくお願い申し上げます。

1月4日仕事始め式の様子

【1月4日仕事始め式の様子】

さて正月休み中、私はこれまで気になっていた映画「杉原千畝(すぎはらちうね)」を見てきました。

今から十数年前、私が市議会議長としてアメリカの姉妹都市ハンチントンビーチ市に訪問した時、海岸通りで建国記念日の盛大なパレードを見学していますと、近くにおられた現地の老婦人からたどたどしい英語で、「Are you japanese?」と確認されました。「Yes…」と答えますと、彼女は「Chiune(ちうね)、Chiune」と繰り返されました。私はてっきり「Chiune」という英単語があるのかと勘違いし、何のことか分からなかったのですが、彼女は「Chiune Sugihara」と言い直され、それが人の名前であることに気がつきました。

私は当時、かつて日本の外交官だった「杉原千畝」という人物の存在を知ってはいましたが、目の前の老婦人と杉原千畝との関係が分からずにきょとんとしていると、彼女は懐から1枚の紙を取り出し私に見せてくれました。そこには「杉原千畝」の署名が書かれており、その英文に目を通すと、それは昔、杉原千畝が発給したビザなのだと理解できました。彼女は戦時中、杉原千畝のビザによりドイツの占領下であった東欧から逃れて、アメリカに渡って来られた方だったのです。たまたま建国記念パレードを見学されている時、日本人の私の姿を見つけ、感謝の念から声をかけずにはいられなかったのでしょう。

彼女は自分の一命を救ってくれたビザを生涯肌身離さずにお持ちになり、偶然日本人の私に会った瞬間、それをとり出されお見せ下さったのです。英会話はお互いたどたどしく、しっかり意思疎通を図れるような会話には至りませんでしたが、彼女が何を言おうとしているのか、また私がそれをどう受け止めたのかは、ことばを超えて互いに分かりあえたものと確信しました。私はその時、日本人であることに誇りを覚えました。忘れられない思い出です。

 

そんな過去の経験から、今回の映画はぜひ見ておきたいと思いました。地味な、しかも硬い内容で、決して楽しい映画ではありません。合法と非合法の狭間で悩みぬいた末、外交官としての将来を捨てる覚悟で、多くのユダヤ系の人々を救うため日本渡航のビザを発給した彼の行為と精神は、70年の時間を経た今日も燦然(さんぜん)と輝きます。

「私のしたことは外交官としては、間違ったことだったかもしれない。しかし私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」。すでに亡くなった杉原千畝の残したことばです。国家が誤った方向に突き進んだ時、純粋な個人の正義も罪に見なされることがあるという現実が分ります。それでも自らの信念を貫き通すことができるのかという厳しい問いを突き付けられた思いでした。

彼は一介の公務員という立場だったのですが、政治の立場に立つ者こそ見ておくべき映画であると感じました。正月早々、意義深い映画を観ることができました。

 

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