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更新日:2015年10月13日

2015年9月

9月28日(月曜日)

先週はシルバーウィークということで、休みの多い1週間でした。私は22・23日の2日間で、妻と二人で京都旅行へ行きました。有名な神社仏閣はどこも人が多く落ち着いた気持ちになれませんでしたが、鞍馬寺などごく郊外のお寺はそんなに人が多くなく、比較的落ち着いてお詣りできました。

夕刻に、鴨川べりの納涼床で食事をとりました。頭の上に空が見えるだけで解放感がありました。日本の伝統文化に接することで、心の落ち着きを得られるものです。

さてこちらは、この地域の伝統文化に関わる話題です。27日(日曜日)午後、初の「アイディア箱ずしコンクール」が開催されました。

「箱ずし」はひと昔前まで、この地域ではお祭りや祝い事などの際に、必ず作られた郷土料理です。子どもの頃、お祭りの季節が来ると、自宅でも親戚の家でも、女性が総出で色々な料理を作ったものでしたが、その主食となった象徴的な料理がこの箱ずしでした。酢飯を木箱に入れ、何種類かの具材をその上にのせて、箱の上から強めの圧力をかけてしばらく置くと、やや堅めの板状の寿司ができます。その板状の寿司を包丁で縦横に切り分けてゆくと、数々の立方体の箱ずしが出来上がってゆきます。

「アイディア箱ずしコンクール」審査の様子

【「アイディア箱ずしコンクール」審査の様子】

私の知る伝統的な箱ずしは上記の通りです。しかし、今回の参加者は「子ども部門」には家族連れの小学生、また高校生以上の「一般部門」の大半は女子高生といった顔ぶれで、いわゆる伝統に対するこだわりのない新感覚の世代が、この「箱ずしコンクール」に参加していました。

それだけに、カレーやケチャップを使った2層・3層構造の箱ずしがあったり、また寿司とは言うものの餡(あん)をはさみ抹茶の粉末をまぶした名古屋名物ういろう風のスイーツ系箱ずしもあったり、さらに具材にいちじくやトマトを使ってみたりと、あれこれよく考えたものです。またデザインも卵焼きでごんぎつねを描いてみたり、丸い形の箱ずしがあったりと、伝統的な箱ずしが脳裏に焼き付いている私たちの想像をはるかに超えた、斬新な目新しい箱ずしがいくつも見られました。

「子ども部門」最優秀賞の作品

【「子ども部門」最優秀賞の作品】

私も試食してみましたが、古い固定観念を捨てて食せば、なかなかおいしいと思いました。特に郷土料理のこの寿司には、かつて蛋白源としては魚類が使われたものでしたが、今回は安城牛?らしき肉がうま煮として使われており、新鮮味とともに案外酢飯と肉の相性がいいということを知りました。

新たな郷土料理の発掘と同時に、若い人たちに地元のお米を主食とすることの意義や安心感を知ってもらうためのよき機会となったのではないかと考えます。また参加者のほとんどは女の子でしたが、子どもの部、一般の部、それぞれに男性の参加も見られました。中には子どもの部では小学生の娘さん、一般の部ではそのお父さんと、部門別のW入賞を果たされ表彰を受けられた親子もおいででした。家族の絆づくり、そして安城農業を盛り上げるため、こうした食のイベントが継続されることを期待しています。

9月21日(月曜日)

今年は、明治用水の計画立案者、都築弥厚の生誕250年に当たっています。その弥厚は、9月に69歳で亡くなっておられます。今年は9月20日(日曜日)に、和泉町にある弥厚公園において、弥厚のご遺徳をしのぶ「弥厚祭」が和泉町内会主催で開催され出席しました。

都築弥厚は今から250年前の江戸時代後期、明和2年に和泉町に生まれています。家業の造り酒屋に精を出しておられましたが、52歳で家業を息子に譲り、かねてより思い描いていた新しい農業用水構想の具体化に向けて奔走されました。そこまでは私も小中学校の時代に、先生からお聞きした記憶があったのですが、近年になって都築弥厚は、日本地図を作るため全国を測量して歩かれた「伊能忠敬(いのうただたか)」と親交があったということを知りました。

都築弥厚像修繕完成式の様子

【都築弥厚像修繕完成式の様子】

伊能忠敬は、年齢で都築弥厚の20歳年上。現在の千葉県北部に生まれ育った方ですが、家業は造り酒屋で都築弥厚とよく似た境遇でした。もともと星の観測に興味を持っていたため、50歳を機に家業を息子に譲り、江戸の天文方暦局に出入りさせてもらい天体観測をし、天文学にいそしむ生活を送ることとなりました。伊能はそこで暦の改暦作業に関わるうちに、地球の正確な大きさが分からねば精度の高い暦ができないことを知ります。

「地球の直径はどれくらいなのか?」。暦局の人々は、オランダの書物から地球が丸いことを知っていましたが、子午線1度の長さについては意見が分かれていたようです。そこで伊能は「北極星の高さを2つの地点で観測し、見上げる角度の比較で緯度の差が分かり、その2地点の距離が分かれば地球の外周が割り出せる」と提案したようです。この2つの地点は遠ければ遠いほど誤差が減るため、江戸から蝦夷(北海道)までの距離を測ることが望まれました。

しかし、当時は幕府の許可がなければ蝦夷地には行けません。そこで移動の自由を得るため“日本地図制作”を名目に、国土の測量を幕府に申し出たようです。幕府も国防のため正確な地図を必要としており、伊能らの申し出は認められました。伊能らは現在の愛知県にも測量に来ており、おそらくその時点で二人の出会いがあったのでしょう。都築弥厚は、伊能忠敬の測量図などを見せてもらううちに、矢作川の水を引く明治用水の構想のきっかけを得たものと思われます。

伊能忠敬は50歳の時、そして都築弥厚は52歳の時、それぞれ家業を息子に譲り隠居の身となり、新しい第二の人生を歩み出しておられます。昔は、「人生五十年」と言われたようです。よって二人の第二の人生は、当時としては晩年からの新たな挑戦だったということになりましょう。

伊能忠敬は日本地図完成を前に73歳で亡くなりますが、その基礎資料となる全国測量を無事に終えました。都築弥厚も測量を終え用水計画図を作成したものの、幕府からは希望通りの認可は出ないままに69歳で亡くなっています。ともに生前中に自らの最終目標を叶えることはできませんでしたが、後世へと引き継がれる偉大な足跡を残されました。

今日、「六十の手習い」という言葉があり、また大変な長寿社会となりつつあります。人生の残り時間は、この二人の時代と比べれば格段と長くなっています。自らの仕事にどの時点で区切りをつけるのか、またその後の第二の人生で何をなすのかなど、この二人の偉人の生き方には考えさせられることが多くあると感じました。

【お詫び】

20日の弥厚祭の式典あいさつで、私は伊能忠敬の出生年を勘違いしてしまい、「都築弥厚と伊能忠敬は3歳違い」と口にしましたが、正しくはここに記したとおり20歳の違いでした。当Webを通じてお詫び方々、訂正申しあげます。

大変失礼しました。<m(__)m>

9月14日(月曜日)

先々週の根羽村までの120kmの自転車走行を終え、何人かの方から「筋肉痛は大丈夫ですか?」と聞かれましたが、結局、特別な筋肉痛はなく翌週が過ぎてしまいました。この1年間ほどは市長選挙などで多忙だったため、100kmを超すような長距離走行はできなかったのですが、週末を利用して60km前後の練習はしており、また市長選挙の運動でも自転車を活用していたおかげもあるのでしょうか、不思議と穏やかな1週間を送ることができました。ただ、スポーツ自転車で長時間の前傾姿勢を強いられましたので、腰にはやや違和感が残りました。

さて、日長が短くなってきたせいでしょうか。月日のたつのが早く感じられるようになってきました。敬老の日が近づいてきたこともあり、8日(火曜日)に市内最高齢の105歳のおばあさんに敬老訪問をしました。この方は耳が遠いものの、まだまだしっかりしておられ、ご自身の日常生活のことを中心にいろいろなお話を聞かせてくださいました。お生まれは明治43年とのことで、10数年前に亡くなった私の祖母と同年と気がつきました。私の祖母も長生きだったという印象があっただけに、本当に驚いてしまいました。

本年、安城市内には100歳以上の方が66名おいでになられるということが分り、長寿社会の到来を実感させられました(うち男性10名、女性56名)。高齢者の皆さんには元気で長生きしていただきたく、いっそうのご長寿をお祈り申し上げます。

敬老訪問の様子

【敬老訪問の様子】

また、週の半ばには台風18号がこの地域に接近しました。大きな台風ではなかったものの、日本の近海で発生し、かつその後の動きが速かったため、これまでとは違った対応を迫られました。特に心配しましたのは学校給食の提供で、約2万3千食近い給食の提供は、献立に沿った食材の搬入や調理、さらに各学校への配送などいくつかの過程があります。よって、この流れを途中で急に止めれば、給食はその時点で大量の生ごみと化してしまうため、どの時点でどんな判断をするのが社会的な影響を小さくできるかという点で、担当者らは頭を痛めています。

暴風警報がどの時点で解除され、子どもたちは何時ごろに登校できるのか。気象予報士でも予測が困難と思われることを予想しつつ、子どもたちに学校でひもじい思いをさせることなく、また大量の廃棄物もできるだけ出すこともなくといった給食に関する難題は、今後も急な台風接近のつど頭痛の種となることでしょう。

しかし、私たちは大した被害もなく台風をやり過ごすことができたものの、台風17号と18号の挟み撃ちとなった形の関東から東北にかけては、大量の雨雲が発生し豪雨となり深刻な洪水被害が出てしまいました。多くの犠牲者もおいでになられます。亡くなられた皆さまのご冥福をお祈り申し上げ、一日も早い復旧・復興をご祈念申し上げます。

豪雨による堤防の決壊という事態を想定した時、どのタイミングでどんな形で注意を呼びかけることが最良なのか。私たちにとっても、深く考えさせられる重要な課題です。今回の台風では本市内で大きな被害は出ませんでしたが、それでも河川の急な増水など気がかりな現象は起きております。最新機器の活用なども含めて、より充実した危機管理のあり方を考えてまいります。

9月7日(月曜日)

「全国源流サミット」という河川の源流域の首長がお集まりになられる会議があるということを、今年に入って、本市と上下流のお付き合いのある長野県根羽村の村長さんからお聞きしました。「その源流サミットが根羽村で開催されることになったので、ぜひ安城市長さんにはパネルディスカッションのパネラーとしてご出席いただきたい」というお話になり、9月5日(土曜日)に開催された第6回全国源流サミットに出席しました。

しかし、全国の河川源流域の自治体といえば町村が大半と思われ、お付き合いのない町村長の皆さんに安城市と根羽村との上下流のお付き合いをどう具体的にアピールしようかと考え、安城市から根羽村までの矢作川沿い120kmを自転車で出かけることとしました。サミット前日の夕方には打ち合わせと交流会があり、それに間に合うようにこちらを4日(金曜日)に出発しました。

自転車で根羽村まで向かいました!

【自転車で根羽村まで向かいました!】

4日朝は曇天でしたが、その後の天気の回復が見込まれており、私は自宅を午前6時半に出発しました。伴走してくれる市役所自転車部の職員4名と安城市役所で合流し、明治緑道経由でまずは豊田市に向かって北上しました。ルートの詳細は私にもよく分からない部分がありますが、自転車部で走っている職員らはルートに明るく、午前10時には矢作ダムの近くで愛知・岐阜の県境を過ぎ、大正村のある旧明智町で昼食をとることができました。

私の走行距離は昼食場所までで約85kmを示しており、そこから始まるという35kmの本格的な山道を前に、すでにかなりの疲労を感じていました。荷物を積んで走ってきてくれた自動車で山道を乗り越えようかと考えたのですが、伴走する職員らが「この先、大した急坂はないですから」と言うので、それならと自走で再び出発したのですが、山道に入ると間もなくとんでもない急登が待っていました。

あまりの勾配に私は自転車で上ることができなくなり、やむなく徒歩で自転車を引いて急坂を上りました。しばらくして峠に出ると「大馬渡(おおばと)峠」との看板には、この坂が地域3大急坂の1つであり、かつて馬1頭では荷車を引くことができず、3頭の馬で坂を乗り越えたと書かれていました。しかし、中には疲労により力尽きて死んでしまう馬もいたらしく、峠には馬たちの安全祈願のための馬頭観音が祀られており、「急坂はない…」というのは私を自転車で根羽村まで向かわせるための方便であるということを悟りました。

道に詳しいと自称する市職員によると、「本当に、ここがこのルート最大の難所です」との話でしたので、騙(だま)されついでに行けるところまで行こうと再び走り続けることとしました。確かにその後、とんでもない急坂はありませんでしたが、とにかく延々と上り坂は続くので足には堪(こた)えます。時々休憩し、ストレッチ、給水、カロリー補給、そして走行を繰り返しているうち、気がつけば長野県に入っており、道路標識から根羽村に近い場所を走っていることが分かるようになってきました。

根羽村隣の平谷村を抜けて、午後3時過ぎに根羽村の観光施設「ネバーランド」に着きました。その時、ちょうどネバーランドを見学されていたサミット参加予定の首長や講師など関係の皆さん数十名が、施設の外にお出になられて拍手によるお出迎えをして下さいました。「途中で歩きはしたものの、やはり自分の足で来てよかった」と、頑張った自分が誇らしく思えました。

道中、市職員らの苦しまぎれの方便を恨んだものでしたが、到着してみると自力で辿り着いた値打ちというものが本当によく分かります。ひと汗流した入浴時、さすがに体重は4kgも減っていましたが、サミット打ち合わせを終えた後の参加者による夕方の交流会で、私はヒーローになりました。

無事に根羽村に到着しました~!

【無事に根羽村に到着しました~!】

本来、「全国源流サミット」のパネルディスカッションの内容も書くつもりでしたが、私個人としては安城市から根羽村までの自転車走行の方が印象に強く、そちらの紹介で終わってしまうのが残念です。歴史的な矢作川の上下交流を、私なりの体力と気力勝負のパフォーマンスで華麗に(?)印象づけることができました。もちろんパネルディスカッションではパネラーとして根羽村との交流を語りましたので、参加された17町村の首長を始めとする参加者の皆さんへは、理屈を超えた熱意をお伝えできたことと思います。

私は現在57歳です。年齢を考えれば、体を張ってのこれほどのパフォーマンスは、今後そう何回もできるものではありません。私自身の思い出に残る全国源流サミットとなりました。サミット関係の皆さま、そして市役所自転車部の有志の皆さんに、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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