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更新日:2015年5月15日

2015年3月から4月

4月27日(月曜日)

26日(日曜日)、市議会議員選挙が終わりました。当落がほぼ確定しましたのは概ね午後11時ですが、当落線上の方は午前0時近くまで心穏やかではなかったことでしょう。当選を果たされた28人の市議の皆さんに、心よりお祝い申し上げます。ご当選誠におめでとうございます。

さて私自身も、12年前までは市議会議員を務めていました。私の市議初当選は、28年前の昭和62年で、その後4期16年間近く市議会議員を務めさせていただきました。振り返れば、色々な思い出がよみがえります。

1期目(S.62~H.3年)とにかくひたすら勉強・勉強の時代

一介の農業青年が28歳で市議会議員に初当選したものの、右も左も分からぬような状態で、何から勉強をすればよいのかすら分かりませんでした。名古屋の大手書店に時々出かけ、地方自治に関する専門書を何冊か買い込み、同じ本を2度ずつ読むことを自らに課し、この4年間で地方自治の基本を理解することができました。

2期目(H.3~7年)委員長として市政運営の実務を学ぶ

当選回数順、年齢順という市議会の暗黙のルールにより、2期目にしてようやく委員会の委員長に就任できました。任期中に総務常任委員長と、デンパーク建設特別委員長に就任しました。市政運営の実務を知ることができ、書物による勉強の段階よりもさらに深い学びとなりました。

3期目(H.7~11年)議会役職に就き意見の取りまとめ役に汗

この任期で、市議会副議長と最大与党会派の副会長を務め、議会運営や意見集約など、政治的な意見の取りまとめ役として汗を流しました。いくら勉強を重ねて貴重な提案をしても、多数の賛同が得られなければ、提案そのものに意味はなくなります。任期最後の市議選挙直前の時期、議員定数削減の推進役を務めることとなり、賛否の分かれる中で筆舌に尽し難い苦労をしましたが、多数派工作などにより2議席削減に成功しました。

4期目(H.11~15年)議会の慣例を逆手にとって議会改革を断行

当選回数至上主義という市議会の古い慣例は、40歳で4期目を迎えた私には好都合でした。若いながらも与党会派のリーダー的な立場を利用し、これまで遅々として進まなかった市議会改革を一気に推し進めました。こうした性急な改革は年配議員らの怒りを買い、最大与党会派の分裂に至ってしまいましたが、市議会議長も務めやりがいを感じられた任期となりました。

私自身、市議としての16年間で色んな経験をしましたが、困難に立ち向かった場合の方が、やり遂げた時の充実感は大きかったとふり返ります。よき先輩たちに育てていただき、よき仲間らに支えてもらい、色々な実績を積むことができ今日の私があるのだと実感しています。当選された28人の市議の皆さんも、よき同志を得られ、より困難で重要な課題解決に当たっていただき、立派な社会貢献を成し遂げられますことを心よりご期待申し上げます。

4月20日(月曜日)

いよいよ安城市議会議員選挙が始まりました。市議会ではこの選挙直前に議員定数を2人削減の28人とされましたので、今回は33人の立候補者による激戦の様相を呈しています。私は告示日の19日(日曜日)、ほぼ1日がかりで先の市長選挙で応援して下さった候補者を中心に激励に回りました。いくつもの選挙事務所を回っているうちに、今から28年前の私自身の初めての市議会議員選挙のことを思い出しました。

昭和62年4月、当時28歳だった私は市議会議員に初当選したのですが、そもそも私はその半年前まで、政治の世界に入るなどということは考えたこともない一介の農業青年でした。その頃、私は国の主催する海外青年派遣に参加をさせていただき、秋に20日間ほど中国で青年交流をしてきたばかりでした。そんなある日、I さんから中国での土産話を聞かせてほしいというお誘いがあり、指定された料理屋に出かけたところ、いきなり半年後の市議会議員選挙への出馬の要請がありました。私は I さんの真意がさっぱり分からず、私を高く評価いただけることは嬉しく思いつつも、明確に出馬のお断りをしました。私の住む地元には現職市議がおいでになり、お断りするのは当然のことと思いました。

ところが、I さんは私の返事にひどく落胆されてしまわれ、その表情があまりにもお気の毒に見えました。そこで私は冗談まじりに、「もしも現市議の方が急病か事故かで不在になったら、その時私は本気で出馬を考えますから元気を出して下さいよ。世の中、どこで何が起きるか分からないものですよ」などと激励したことで、I さんも少し気を取り直され、その後はお酒を交わして別れました。

ところが1週ほどの後、話題になった地元市議が視察先で倒れたという噂が流れました。「なぜ倒れられたのだろう?」と不思議に思っていると、搬送先の病院での検査の結果、市議は病魔に侵されており余命数ヶ月らしいという状況と知り、私はその瞬間、目に見えない何者かにより背中を押されたような気がして背筋が寒くなりました。大きな政治的な志があった訳でもない私が、政治の世界に入ったきっかけは、以上のような運命的な顛末によります。

第23回参議院議員通常選挙の開票風景

【第23回参議院議員通常選挙の開票風景】

その後、「このまま農業に専念して家族の幸せに尽くす人生」と、「市議に立候補して15万市民の幸せに尽くす人生」、どちらの人生により高い価値があるのだろうかと自問自答した末に、市議会議員への出馬を決意しました。あれから28年が経過しましたが、政治に対する考えは今も何ら変わっておりません。

私は大学生時代の禅寺通いから、「他人のために尽くす生き方の中にこそ真の己の幸せが存在する」という釈迦の高尚な思想やことばに触れました。市長としての今の生活そのものが、その思想の実践につながると思われ、逝去された地元市議のご冥福をお祈りしつつ、これまでの不思議なご縁を大切にせねばならないと感じています。孤独に苛(さいな)まれることや、つらい思いをすることもありますが、そんな苦難を乗り越えて多くの方々に感謝される生き方に喜びとやりがいを見出します。政治というのは「高度な利他の実践活動」というのが、私自身の28年間の政治経験による率直な実感です。

選挙に立候補した人たちは、政治的な力を用いて何をしようとしているのか、またどんな政治的な立場を目指そうとしているのか等々、現実的な目標を知ることも大切でしょうが、そもそもどんな思いで「選挙」という政治のスタートラインに立っているのかという基本姿勢こそが、もっと問われるべきなのではないでしょうか。

候補者はその基本姿勢を真摯に語るべきでしょうし、有権者の皆さんも目先の実利に惑わされず、候補者の政治姿勢そのものをしかと見定めていただきたいと思います。4月26日(日曜日)、私は一政治家としてではなく、一有権者として投票所に出かけます。

4月13日(月曜日)

先週は東京で、2日間続けて全国市長会の役員会が開催されたためやや忙しかったのですが、1週間通じて公式行事は少なく比較的穏やかに過ごすことができました。よくよく考えてみれば、本来この時期は愛知県議会議員選挙が実施されることとなっており、たまたま安城市では県議選が無投票だったため静かな1週間であったことに気づかされます。

全国市長会の様子

【全国市長会の会議の様子】

しかし1週間後には、今度は市議会議員選挙が実施される予定で、今回も立候補予定者が30名を超えると聞いているため、選挙戦が始まりますと市内は喧騒に包まれることでしょう。また私自身も、市長選挙で応援を下さった立候補者の応援に駆け付けることとしています。

このように選挙が始まれば、当事者の皆さんは元より、安城市政に関わりの深い皆さんもあちらこちらの応援にお出かけになられ、師走以上の目まぐるしい季節となることでしょう。日本のよき地方自治のために避けて通れない地方選挙ですが、4年に1度のことですので何とかこの大変な季節を乗り切り、建設的な市政運営ができるような市議会の構成となることを願っています。

さて近年、地方選挙の投票率低下が憂慮されていますが、安城市ではどうなのでしょうか。私が初めて市議に当選したのが昭和62年、また市長初当選は平成15年となります。そんな訳で、本市における地方選挙の投票率推移を以下の表にまとめてみました。(単位は%、△は無投票)

 

S62年

H3年

H7年

H11年

H15年

H19年

H23年

H27年

知事選

54.93

37.94

34.68

43.54

56.79

57.83

64.85

51.62

市長選

55.22

57.02

64.56

50.81

県議選

53.56

52.27

52.61

市議選

78.58

72.25

69.07

67.54

61.37

62.74

58.50

投票率に関しましては上記のとおりで、本市でも傾向として各選挙ともに漸減傾向にあります。しかし、知事選・市長選に見られますように、話題性のある選挙では投票率の伸びが見られ、必ずしも投票率は減少するばかりではありません。訴えるテーマや出馬される候補者によって、投票率は変わるということがうかがえるかと思われます。

さて、これから始まる市議会議員選挙はどんな投票率であり、また得票結果となるのでしょうか。基本的には有権者のご判断次第ですが、有権者への情報は現実的には限られたものとなりがちです。そこで、それを補うために私やさまざまな方々が応援弁士となり、支援する候補者のPR役を務めることとなります。

投票率、当選者ともに予想は難しいのですが、演説・ポスター・公報・Webサイト・まちの声など、さまざまな情報媒体を通じて最適任の候補者をお選びいただきたいと思います。地方政治に対する批評は自由にしていただけば結構ですが、現実の政治状況を作り出している責任者は有権者ご自身であるということを自覚され、それぞれ投票による意思表示をしていただきたいと思います。

4月6日(月曜日)

先週1週間で、年度末と年度初めが一気に押し寄せました。3月31日(火曜日)には退職する職員に退職辞令を交付し別れを惜しみましたが、その感傷に浸る間もなく、翌4月1日(水曜日)は新入職員を含む新たな異動者に辞令を交付しました。これからしばらくは、新しい職務に向かうため市職員の意志統一に専念せねばなりません。

特に今年度は、私の市長選挙直後の最初の年度となるだけに、新たな人事体制を整えるとともに、各部署へは私の選挙公約実現に向けたそれぞれの課題を与え、4年間での具体的な課題解決策をまとめてもらうことを要請しました。

何事もスタートが肝心です。私自身も、指示のし忘れなどがないかどうかと思案を巡らせることが多く、4年間で最も神経を使う春を迎えたのだと実感しています。

新規採用職員辞令交付式の様子

【新規採用職員辞令交付式の様子】

こうした慌ただしい時間の中で迎えた4月3日(金曜日)、今度は愛知県議会議員選挙の告示を迎えました。安城市は県会議員の定数が2とされているのに対して、告示日の立候補者は2名という結果となり、無投票で即日の当選が確定しました。

2月に安城市長選挙が実施されましたが、それを機に、残念ながら安城市議会内にまとまりを欠くような状況が生まれてしまいました。それを是とするのか非とするのかは判断が難しいところなのでしょうが、多くの市議を始めとされる主な地域の民意は「非」に傾いていたようで、そのことばに表しにくい微妙な空気が本市の県議会議員選挙に影響したのかと、私はそう感じました。

衆議院議員選挙は、政権交代を可能とする2大政党制を前提とした「小選挙区制」を基本としていますが、本市のように2つの議席がある県議会議員選挙では、2つの大きな政党が棲み分けしやすい環境となります。また2月に実施された県知事選挙では、ほとんどの政党が現職知事への支持を明確にしたため、政党間の政策的な違いが小さくなり、新たな立候補への大義名分が立てにくくなってしまった側面もあるのではないかと考えます。

法で定められた選挙の結果は尊重されねばなりませんが、直近の民意を正しく表す選挙制度のあり方に関しては、国によってそれぞれ議論が分かれるところのようです。わが家にはちょうどこの時期、娘がドイツ人の婿とともに里帰りしていました。彼のお兄さんがドイツの故郷の都市で市議会議員をしていることと、彼自身が大学で政治学を専攻していたこともあり、日本の地方選挙のようすを見学してもらいましたが、あまりの雰囲気の違いに彼はカルチャーショックを受けたと聞きました。

聞くところでは、彼の故郷バーデン・ヴュルテムベルク州では、地方選挙は政党主体の「比例代表制」が基本とされているようで、ガンバロー三唱など雄たけびを上げる騒々しい選挙戦とは無縁のようです。もちろん街宣車による大音響もないようで、政党主体の静かなPR活動による選挙戦が行われていると想像されます。

日本には日本の文化があるとはいえ、選挙カーの連呼による大音響、電話での繰り返しの攻勢、さらに経済的に大きな個人負担が不可避といった現行の地方選挙に関しては、大きな制度的な見直しをしない限り、進んで立候補をしてくれる人の数はますます減少の一途を辿るのではないかと、一抹の不安を感じてしまいます。投票権を有する人の年齢を18歳に引き下げる議論が国会で行われているようですが、国・地方を問わず選挙制度のあり方そのものから見直すべきなのではないかという気がしてなりません。

しかし、幸いにもこれから実施される本市の市議会議員選挙は、立候補者が多く活気のある選挙戦になる見込みです。時代背景とこの地域の社会事情を念頭に置いて、もうしばらく統一地方選挙の行方を見守りたいと思います。

3月30日(月曜日)

23日(月曜日)、3月定例市議会が閉会しました。この定例市議会は、私にとって市長選挙後初めての定例市議会となり、選挙を通じて訴えてきた公約等が代表質問、一般質問に取り上げられました。私の選挙公約に関しましては、私の選挙をお手伝い下さった方々には目新しさがないと思われますが、一部の市議や多くの市民の皆さんには、初めて耳にされる話題も多かったことかと思われます。

ところで、平成27年度の当初予算は、今回「骨格予算」とした訳ですが、その経緯についてご説明申し上げます。私が12年前の2月、市長選挙に初当選した時点で、前市長が新年度予算をしっかりと編成され議案としてまとめられてしまっていました。当時でも500億円近かった当初予算でしたので、市長就任の2月半ばから3月議会までのわずか半月での見直しはほとんど不可能でした。これは人事異動に関しても同様な状況となっていたのですが、そのため最初の1年間は、「お前は市政を改革してゆくと言いながら、一体なにができたんだ」と厳しいことばを浴び続け、初年度は本当につらい思いをした記憶があります。

そんな記憶が強烈なだけに、選挙による直近の民意を尊重するという意味で、4年に1度の選挙年の当初予算は骨格のみを形づくる予算にすることとしてきました。これは「民主主義」の筋論から言えばまっとうな判断ではあります。しかし、市長選挙の結果、自分が引き続き市政のかじ取りを務める立場になってみますと、やはり新年度予算が4月の段階からきちんと整っていないため、進めたい事業を始める時期が遅れがちになることに、もどかしさを覚えてしまうのは否めない事実です。

上記のように、市長選挙を目前に控えた年度の当初予算編成は、どんな形が理想なのかという判断は、市長4期目を迎えた今も難しい課題だと痛感させられます。それでもすでに平成27年度の安城市政は、この骨格予算を前提に動き始めています。よって現実問題としましては、次の6月議会の補正予算に向けて細部にわたる肉づけとなる予算編成を進め、後追いの形ながらも本市が取り組むべき施策に大きな遅れが生じることのないように心がけたいと思います。

今週から4月に入り、3日(金曜日)には愛知県議会議員選挙が告示を迎えます。さらに4月19日(日曜日)からは、安城市議会議員選挙が告示となります。こうした選挙の結果も大変気になるところではありますが、平成27年度の安城市政スタートも控えており、滑り出し良好なよき春としてゆきたいと考えています。

3月23日(月曜日)

3月議会の議案審査もほぼ終わり、23日(月曜日)の本会議採決をする閉会日を残すばかりとなりました。2月の市長選挙から3月議会へと超多忙を極め、心身ともに疲労が蓄積されていた感があり、先週末を利用して久々に山歩きに出かけて来ました。出かけた先は、近年スノートレッキングで注目されつつある北八ヶ岳です。

私の歩いたコースは主に「夏沢鉱泉~夏沢峠~本沢温泉~しらびそ小屋~中山峠~渋の湯」といったルートです。地名を見ても、よほどの山好きの方でなければどこを歩いたのか想像もつかないでしょうが、場所は分からずとも「温泉」がよく出てくるということに気づかれたことかと思います。今回の山旅は3泊3日の日程でしたが、その3日間いずれも入浴でき、登山にあっては異例ともいえるややぜいたくな温泉旅行ともなりました。

私が特に気に入ったのが本沢温泉で、ここには渓谷の山肌に野性味あふれる露天風呂があります。樹林帯をぬって移動する途中に立ち寄り入浴したのですが、午前10時から入浴する者は私の他にはだれもおらず、約1時間近くの間、硫黄岳を望む露天風呂を独り占めすることができました。

本沢温泉露天風呂からの風景(硫黄岳)

【本沢温泉露天風呂からの風景(硫黄岳)】

日程調整が難しい私は、休日が不確定なため、山歩きは1人で出かけることが多くなります。単独行は危険視されることがありますが、私自身は特に市長就任以降、危険を回避するために次のような細心の注意を払っています。①山岳遭難保険に加入②登山届を提出③未知の領域には入らない④装備は万全に⑤事前に現地の気象や登山道のようすを聞く⑥天候が悪ければ即中止とする⑦日常的な体力維持…等、以上のような点を厳守することで、これまで大きな事故もなく山歩きを楽しんできました。

大自然を畏(おそ)れることは大切ですが、われわれ人間は、時にはその大きな懐に飛び込ませていただき、神々(こうごう)しい空気に触れ鋭気を養うことが必要なのではないかと感じています。「私はどこから生を受けどこに帰ってゆくのか」、「大自然に生かされている私の使命はなにか」など、明確な回答を見出しにくい哲学的な自問自答を続け、透明感に満ちたひと時を過ごすことで、心の垢が落とせるような気がするのです。

色とりどりのテントが林立する山小屋前

【色とりどりのテントが林立する山小屋前】

高山帯の薄い空気に喘ぎつつ静かな樹林を黙々と歩く。休憩時に一杯の水を飲み干し一息つく。山小屋で同宿者とお酒を交わし語り合う。疲れた体を温泉の湯船に浸す。こうした山の世界ならではの値千金の時間を過ごし、再び下界の生活が始まりました。

年度末、年度初め、そして4月の統一地方選挙と、これからも重要かつ多忙な公務が続きます。迎える春、気持ち新たに乗り切りたいと思います。

3月16日(月曜日)

先週、安城市役所に「未来」が届けられました。と言いましても、「将来」を意味する未来がやって来たのではなく、トヨタ自動車が開発された燃料電池自動車(以下FCVとします)の「MIRAI」が納車されたという意味です。

FCV(Fuel Cell Vehicleの略)は、水素と酸素を化学反応させて電気を作り、その電気でモーターを回して走る車です。つまり、「発電機」と「駆動用モーター」を併せて積載した電気自動車(EV)とお考えいただければよいのではないかと思います。近年、日本では家庭用の燃料電池が販売されてきましたが、これを自動車に搭載できるまでに小型・軽量化し、さらにコストダウンを図られたのが今回販売されたMIRAIなのだと、私はそんな理解をしています。

MIRAIが納車されました!

【MIRAIが納車されました!】

今後は、このFCVを市内のさまざまなイベント等で展示し、多くの市民の皆さんにもご覧いただくこととしていますが、まずは安城市議会議員の皆さんや市役所の職員らに一目見ておいてもらおうと、13日(金曜日)に市役所裏のスペースで半日ほどの内覧をしました。安城市がこのFCVを購入したのは、主に以下のような理由です。

環境首都を目ざす安城市の意志をアピールしたい

新技術によるCO2削減に率先して取り組みたい

新技術普及を応援し新たな産業振興につなげたい

災害時にはFCVを電源車として活用したい

すでにMIRAIはニュースなどで話題になっており、市役所内覧会で初めて目にするFCVには見学者が絶えないような状況でした。見学者の大半は自動車に高い関心を持っていそうな40代から50代の男性職員でしたが、私が意外に感じられたのは20代の若い女子職員もやや遠巻きながら興味深そうに見入っていた光景でした。「今の若者は自動車に関心がない」というのが世間一般的な若者像とされており、わが家の2人の娘たちも自動車への関心はほとんどないように感じていました。

しかし、そんな若者たちも話題性のある新しい自動車には高い関心を持つことを知り、若者が車に関心がないのではなく、自動車会社が若者の関心を引くような車づくりをして来なかったのではないかと思えました。そう思わせるほど、若い女子職員たちまでもが物珍しそうに見入り、やや興奮気味に感想を述べ合っており、こうした若い女性たちの反応を見た若い男子職員らも、今後は新エネルギー車への関心を高めるのではないかという気がしました。若者たちの関心を引くのに必要なキーワードは、「未来」「夢」「希望」なのではないでしょうか。

自分たちの未来に、夢や希望を与えてくれそうな魅力的な自動車を若者たちが購入できる時代となり、新しいブームが生まれることを期待しています。

3月9日(月曜日)

3月7日(土曜日)、JAあいち中央の本店竣工式が開催され、出席させていただきました。JR安城駅西に位置するこの本店は、御幸本町・末広町・花ノ木町で安城市が進めている南明治地区の土地区画整理事業エリア内のため、本市としましてもJAに移転をお願いしてまいりましたので、今後の新たなまちづくり推進の上でも大変喜ばしい竣工式典となりました。

安城市は、間もなく更生病院跡地(交流広場)に図書情報館を核とした中心市街地の拠点施設の建設工事を開始することとしておりますが、この施設の完成にはまだ2年少々の時間を要します。

この拠点施設開設は、市民の生涯学習環境の充実という狙いがある一方、まちのにぎわい再生という目標も掲げております。拠点施設が開館すれば、多くの方々がそこにお集まりになるものと考えておりますが、それまでにはまだ今しばらくの時間を要します。そこで、新たな集客的な要素の高い施設として、このJAの本店竣工を待ち望んでおりました。

建物自体は地上8階建てで、JR安城駅付近では目立つ建物です。また私自身も式典会場となった最上階に上がりましたが、周辺の見晴らしはとてもよく、南を見下ろせば更生病院跡地が広がっており、図書情報館など拠点施設の建設工事により、これから中心市街地がどのように変化してゆくのかを確認するのに、絶好の観測地点となると感じられました。

JAあいち中央本店内の職場の全移転には、まだ半年ほどを要するとお聞きしましたが、これから多くのJA職員の皆さんがそこに通勤するようになるだけで、新たな人の流れが生まれます。さらに新しいサービスを求めるお客さんが来訪されるようになれれば、徐々ににぎわいが生まれ、それがまちの活力につながるものと期待されます。

JAあいち中央本店とまちの風景

【JAあいち中央本店とまちの風景】

そもそも安城のまちは、明治24年の国鉄安城駅開業により駅を中心に形成されて来ました。その後の昭和10年、駅の近くに更生病院が開院し、人の流れは駅から病院へと広がっていったようです。しかし平成14年の春、この更生病院が郊外へ移転することとなり、駅から病院への人の流れは失われてしまいました。

そのためこの10年間ほどは、この界隈の商店街がにぎわいを失った状態が続いてしまいましたが、今後は土地区画整理事業によるまちの再構築により、新たな人の流れと人口増が期待され、まちの活力が再生されてゆくものと考えております。

行政主導による公共投資ばかりではなく、今回のJA本店竣工のように民間投資も合わせた官民の相乗効果により、JA安城駅周辺の中心市街地ににぎわいがよみがえることを期待しております。

3月2日(月曜日)

2月28日(土曜日)、愛知県厚連の安城更生病院が開院から80周年を迎えられ、記念式典が開催されました。安城更生病院は、昭和10年3月に丸碧連合会「更生病院」として、現在のJR安城駅近くに開院されて以来、「医療を通じて地域住民の健康と幸福に寄与する」という病院の基本理念を実践して来られました。

平成14年に現在の場所に移転された後も、救命救急センター・地域がん診療連携拠点病院・地域中核災害医療センター・地域医療支援病院の各指定を受けるとともに、平成22年12月には、当時、愛知県下で3番目、三河地方では初となる総合周産期母子医療センターの指定を受けられました。さらに、平成25年11月には新生児センターを増床されるなど、周産期医療の充実にも力を注いでいただきました。

安城市の市民病院的役割を担うとともに、西三河南部西医療圏の中核病院として、高度医療・急性期医療を担われ、地域住民のため、地域医療のため、多大なご貢献をして来られましたことに対し、心より感謝申し上げました。

旧更生病院の様子

【旧更生病院(御幸本町)の様子】

この地域も現在、本格的な少子高齢社会を迎えつつあります。保健・医療・介護の受け皿を求める声は一層高まり、取り巻く環境は非常に厳しくなって来ております。増え続ける高齢者が、いつまでも住み慣れた地域で暮らし続けるためには、医療・介護・予防・生活支援・住まいの5つの要素が有機的に連携し、地域において切れ目なく一体的に提供される「地域包括ケアシステム」を構築する必要があると思われます。

また私どもは、効果のある健康施策を実施していくためには、基礎となるデータの分析・研究が欠かせないものと考えます。行政が有するデータはもちろんのこと、医療機関、健康保険者が有する大量のデータ、いわゆるビックデータの活用が今後重要になってくると考えています。

今後は、市民一人ひとりが生涯にわたり健康を自己管理していく力を高め、自らの健康づくりを継続して実践することを目指し、医療機関・行政・関係団体が一体となって健康づくりを推進していかなければなりません。

現在の更生病院の様子

【現在の更生病院の様子】

そうした状況を鑑み、私は先の市長選挙で、今後の本市が目指す都市像として健やか幸せを意味する「健幸都市」を掲げ、4度目の当選を果たすことができました。これによって「健幸都市」に対する多くの市民のご賛同をいただけたものと、ありがたく受け止めておりますが、こうした理想の都市像を実現させるためには、地域医療の中核を担われる安城更生病院のご協力が不可欠となります。

今後とも本市の健幸都市実現のために、また西三河南部西地域住民の命と健康を守るために、安城更生病院及び関係の皆さま方の引き続きのご協力をお願い申し上げ、私からのお祝いのことばとさせていただきました。

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