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更新日:2014年7月18日

2014年5月から6月

6月30日(月曜日)

夏を思わせるような気候となりました。時々、ふと山の世界が恋しくなるのですが、なかなかまとまった休みがとれないため、せめて映画でもと先週末に「春を背負って」を見に行ってきました。

春の山小屋1

【春の山小屋からの風景】

主人公の若い男性は富山県出身。両親は地元の立山で山小屋経営をしていますが、彼は東京都心で株のトレーダーとして、時間とともに数字が動くパソコン画面とにらめっこをする生活です。日々いくら儲けたいくら損したと喜んだり悔しがったりしていますが、そんなある日、山小屋を守っていた父親が亡くなったという訃報を受け、急きょ富山に帰郷せねばならなくなります。

父親は、稜線の雪庇(せっぴ)を踏み抜き滑落した若者を助けようと、雪の急斜面を転がり落ち岩に頭を打ち付けて亡くなりました。父親の不憫を嘆く主人公に対して、母親は「相手の若者の命が助かったからそれでいい…」と諭し、山小屋を閉めようとします。毎日が損得勘定の繰り返しの彼の心に、何の代償も求めることなく夫の死を受け入れようとしている母親のことばは、不思議な深い響きを放ったことでしょう。

山小屋に登り、父の亡くなった当時のようすを現場で確認した主人公は、父親の勇気と偉大さに感動し、周囲のお手伝いの人たちと助け合い、父親の山小屋経営を継いでゆくことを決意します。都会の高給取りの身から、赤字に陥りかけた山小屋経営者へと環境は激変しますが、都会では得られなかった山の仲間の家族愛にも似た絆に支えられ、若き主人公は日一日と山小屋経営者らしく成長を続けます。

遭難しかけた登山者を救助したり、救助した登山者に支えられたり、北アルプスの大自然と古びた山小屋を背景にした人間ドラマは、ゆっくり展開します。

東京での慌ただしいオフィス生活から、立山での不便な山小屋生活へと、極端な舞台と価値観の転換の中で、人間の真の幸・不幸というものは、給与の多寡や生活の利便性だけでは推し量れないということを、見ている者に無言で語りかけてきます。

しかし、そうはいうものの、不便な山の生活にもパソコンや携帯電話は活用されており、天気予報や緊急連絡などに活かされていました。原作者もしくは監督は、ICT機器に人間が振り回されるような生活ではなく、人間がICT機器をうまく活かす生活を理想として描きたかったのでしょう。あれこれと考えさせられることの多い、良質な映画だと思いました。

春の山小屋2

【春の山小屋】

私も基本的にアウトドアが好きで、先週末は湘南海岸を自転車で走りましたが、しばらく走ればコンビニあり自販機ありの快適な下界の中では、真に大自然に溶け込めたような気がしないのが正直なところです。人間が大自然の中の一部なのだという感覚は、不便な山の世界でこそよりリアルに体感できるように思われます。

そういえば初めての市長選挙への出馬の決断は、北アルプスの高い稜線に立って青空を眺めながらだったことを思い出しました。下界で支援者の方々が私の出馬の是非を語っている時、申し訳ないと思いつつも内緒で山に登っていたのです。大自然の中では自分の心に嘘をつけなくなります。選挙出馬に際しての「天地神明に誓って」という精神は、大自然の中にしか得られないように思われてならなかったのです。今となってはなつかしい思い出です。

6月23日(月曜日)

6月21日土曜日、私は湘南海岸から三浦半島へのサイクリングに出かけてきました。コースは小田原を出発点とし、湘南海岸に沿って江の島・鎌倉、さらに三浦半島を周回して横須賀まで約100km強を1日で回るルートとしました。

21日、前泊した小田原のホテルで早めの朝食を済ませると、7時半には愛車のロードバイクで出発しました。お天気が下り坂のためか風はほとんどなく、とても快適な走行が始まりました。走るルートはスタート直後が国道1号でしたので交通安全上の心配をしましたが、この日は土曜のためか比較的車の通行量が少なく、また製造業の盛んな西三河とは違い大型トラックの走行が少ないと感じました。また湘南海岸沿いは他の自転車やランナーも多くおいでになり、通り過ぎる車もそうした方々への配慮をしてくれているように感じました。

とても快適な走行が1時間少々続き、そろそろ休憩しようかと考えたその時、ギア変速が利かなくなってしまったことに気づきました。後輪ギアを変速するためのワイヤーが、知らぬ間に切れてしまったのです。しかも、ギアは一番重いギアのままだったため、私は青ざめてしまい、瞬間的に近くを並走する東海道線で家に帰ろうかとまで考えました。

しかし、風光明媚な湘南海岸の走行を中止するにはあまりにも惜しく、やむなくそのまま走行を続けることとし、三浦半島の周回ルートから半島を横断し横須賀へ行く短いルートへと変更をしました。ところが急なルート変更のため地理が頭になく、道に迷って起伏の多い三浦半島(おそらく葉山町の山中)をあちらこちらへと、重いペダルをこぐ羽目になりました。

それでもなんとか横須賀にたどり着くと、今度は少し余裕と欲が出てきたため、目的地を横浜駅に変えて再び走り出すこととしました。横浜市は横須賀市のすぐ北に隣接しており、じきに横浜市内に入ることができました。金沢区、磯子区となじみのない土地を北上しましたが、週末のせいで車は少なく、また自転車乗りの方をお見かけすることも多く、とりあえず無事に横浜駅にたどり着くことができました。総走行距離は約90kmになっており、まずまず満足のゆくサイクリングとなりました。

今回の自転車旅行で学んだことは…

・予期せぬトラブルをどう乗り切るかを考えることは危機管理にも通じる

突発的な変速ギア故障で諦(あきら)めずに、新しい可能性を探ったのは正解でした。絶望の向こうにも新しい可能性がありました。

・左折する自動車は後方から近寄る自転車に気づかないケースが多い

私は2度、車の助手席ドア付近にぶつかりそうになりました。自転車としてはもちろん、車の運転者としても気をつけねばと痛感しました。

想定外のトラブルにより、写真を撮る心の余裕を失ってしまったため、今回は文章のみの報告になりました。

6月16日(月曜日)

平成18年春、安城市は初めての災害時相互応援協定(以下、防災協定)を、石川県加賀市と富山県砺波市と結びました。こうした防災協定を契機に市民交流も進め、お互いに距離は離れていますが、いざという時には行政機関だけではなく、市民レベルからも支援の手が差し伸べられる環境づくりを進めてまいりました。

しかしこの間、加賀市・砺波市ともに、それぞれ4年毎の市長選挙のつど市長が交代されるという予期せぬ状況となり、新市長のご就任後に改めて相手市を訪問し、防災協定や市民交流など継続の意志確認を重ねてまいりました。

最近では昨年10月、新たに加賀市長に宮元陸さまが当選されました。いつか加賀の新市長への表敬訪問をせねばと思ってきましたが、6月議会の日程をぬって13日(金曜日)と14日(土曜日)の2日間で、安城市議会の正副議長とともに加賀市と砺波市を表敬訪問することができました。

加賀市訪問

【石川県加賀市を訪問しました】

宮元・加賀市長へは、防災協定を締結した際の安城市の思いや市民交流の経過の他、改めて協定の意義をお伝えいたしました。それらについては宮元市長も納得して下さり、両市の防災協定を継続したい旨のご意志を確認することができました。

加賀市は現在、深刻な人口減少に直面しておられるようで、特に安城市の人口増加に強い関心をお持ちにならました。安城市の人口増加の要因を尋ねられましたので、まず「就労の場があること」とお答えし、さらに「子育て支援の充実」と「安心できる医療環境」の思い当たる3つの要因をお伝えし、情報交換を図りました。この他にもいろいろお話したいテーマがありましたが、時間の関係で、今後一層の市民交流を深めることをしっかり確認し加賀市を後にしました。

その後、2つ目の防災協定相手である砺波市を訪問しました。砺波市とは平成23年に市民交流協定も締結しており、市民レベルの交流はスポーツ・文化・観光など広い分野で近年非常に活発になってきています。そうした実績を砺波市長及び市議会の正副議長の皆さんらと確認し合い、今後の各種交流事業の継続をお願いいたしました。

砺波市訪問

【富山県砺波市「夜高まつり」に参加しました】

この日は、安城七夕まつり親善大使らも七夕PR活動のため砺波市を訪問していたため、この夜、砺波の市街地で開催された「夜高まつり」に一緒に参加し、多くの砺波市民に対して安城七夕まつりへのご来訪を呼びかけました。七夕親善大使らは翌日、砺波地域のケーブルテレビやラジオに出演し、安城七夕まつりのPRに努めてくれたようです。ご苦労さまでした。

加賀市・砺波市との防災協定締結から8年目を迎えます。すでに文書での契約が結ばれており、災害時の助け合い精神は間違いなく発揮されるものと思いますが、こうして遠路改めてお邪魔してみて、実際の友好を深めておくことの意義を体感しました。「去る者は日々に疎し」ということばもあります。お互いの友好関係にいつの間にか錆(さび)が生じてしまうことのないように、市のトップ同士はもちろんですが、幅広い市民交流が継続されることの意義を確認して帰路に着きました。

6月9日(月曜日)

梅雨に入りました。安城市では梅雨入り以降、今のところ雨は少ないように感じられます。しかし、いつ雨が降ってもおかしくないような不安定な日が、しばらく続くことでしょう。そんな梅雨の合間をぬって、7日(土曜日)、久しぶりに長野県の根羽村植樹祭に参加をしてきました。当日は安城市からも多くの皆さんが参加され、本市と根羽村との絆はより強まったものと思われます。

朝、午前7時半過ぎに家を出た時、空はどんよりしていたものの雨は降っておらず、私はうっかり合羽(かっぱ)を家に忘れてしまいました。しかし、山間をぬって根羽村に向かう間に雨が降り始め、根羽村に着いた時には完全な雨天に変わっていました。合羽のない私は、植樹をどうしようかと困ってしまいましたが、幸い根羽村の副村長さんがご自分の合羽をお貸し下さり、雨の中、参加者の皆さんと一緒に植樹作業を進めることができました。

植樹では、1人当たり5本の苗木を植えることになりました。大した数ではないのですが、根元に土の着いた5本の苗木と、それを植える時に混ぜる5袋の腐葉土は、雨水を含んだせいかずいぶん重く感じられた上、それらを両手に持って雨の急斜面を上がってゆくのは相当な重労働でした。

根羽村植樹祭

【根羽村にて植樹作業に参加しました!】

市民の皆さんの生活用水「安城市の水道水」は、その70%が矢作川からの取水であり、残り30%は地下水を使用しています。つまり市民の「命の水」、それは矢作川の水と言えます。そして、その矢作川の水が湧出する水源域は、この根羽村ということになります。そんな訳で、弱音を吐きたくなるような急斜面でしたが、感謝の気持ちを込めて重い苗木と腐葉土を手に上へ上へと上り詰め、ようやく植樹にふさわしい空間を見つけ5本の苗木を植えることができました。

苗木はいずれも地元種のツツジでしたので、大きな水源涵養(かんよう)能力があるとは思われませんが、植えた場所は「ネバーランド」という村営の観光施設周辺の斜面です。私の植えたツツジがやがて成長し、観光の目玉となり観光収入の増加につながれば、そのお金が村内の自然保護に回されるものと願って、無事に植樹を終えることができました。

根羽村の大久保村長さんは私と同世代で、自然を大切にしようとする意欲が非常に高い方です。安城市と根羽村、距離は100km少々ありますが、矢作川により結ばれた運命共同体と言えましょう。これまで中学生同士の交流が長らく続いて来ましたが、今後は大人も加えた18万市民の交流により、矢作川のきれいな水を守り続けたいと願い帰路に着きました。

6月2日(月曜日)

6月に入り、いきなり夏の暑さとなりました。そんな炎天下の下の1日(日曜日)、安城市消防団による消防操法競練会が開催されました。競練会なので優勝劣敗の順位がついてしまうのですが、参加されたすべての消防団員にご苦労さまと言ってあげたいような気分でした。

ところで、この大会から消防団員らが着用する夏の制服が、新しいデザインに新調されました。聞くところでは、国の消防活動服の基準が緩和され、デザインの自由度が増したのだそうです。これによって、紺色の地に鮮やかなオレンジの2色カラーの服装となり、一見するとレスキュー隊が連想され、これによって遠目にも容易に消防関係者と識別できるのではないかと思われました。

この新基準の消防活動服を着用するのは、愛知県下では安城市消防団が初めて。地元の消防団員が心機一転、新しい気持ちで頑張ってくれることを期待します。

消防団消防操法競練会の様子

【消防団消防操法競練会の様子】

ところで、消防団員の制服に関して、国の基準が緩和されたという話を聞いた瞬間、こんなに細かなことまで、なんでいちいち国が規制をするのかと、正直なところ違和感を覚えてしまいました。

しかし、消防署からもらった「消防団の装備の基準等の改正について」という資料を読んでみて、ようやく納得がゆきました。東日本大震災において多くの消防団員が犠牲になった事実を受け、消防団員の安全を確保する必要が生じ、消防庁で彼らの理想的な装備のあり方が検討されてきていたのです。

現役の消防団員も交えた議論の結果、情報通信機器、救助活動機材、救命胴衣など、各種装備の充実と統一の必要性が確認され、細かな点では活動服の素材やデザイン、さらには防塵用のマスク・メガネ、靴や手袋に至るまで、消防団員の身を守る基準が明確化されたということでした。

緊急時の現場活動では、靴で釘を踏み抜いたり、手を火傷したり、また火の粉を頭からかぶる事態もあり得ます。そうした時の消防団員への被害を最小限に抑えるための素材や性能を明らかにし、それらを全国レベルで統一することで、大規模災害の現場に駆けつけた全国各地の団員らが、統率のとれた行動が可能になるのです。

地方分権のかけ声の中で、「地域でできることは地域に任せるべき」という共通認識が生まれてきましたが、全国どこで災害が発生しても、どの救援隊も同レベルの救助や復旧活動ができるように備えておくことは国家の要と思われます。国が作るべき基準、地方が考えるべき事がら、その線引きは難しそうですが、こうした試行錯誤の中から理想形に近づけてゆくしかないのでしょう。

消防団の活動服の基準を通じて、国と地方の役割分担を学んだように思いました。

5月26日(月曜日)

25日(日曜日)、安城七夕親善大使のオーディションが行われ、新しい5名の七夕親善大使が誕生しました。私も審査に参加していましたが、最近のオーディション参加者の皆さん、個性的なアピールをされる方が多くなってきたと感じるようになりました。

例えば、ものまね。今回は人気アニメ「クレヨンしんちゃん」やミッキーマウスの声色をまねて、安城七夕まつりを紹介する方たちがお見えになりました。また、ご自分で創作したという歌をじょうずに歌う方もおいでになりました。特に近年は、留学で磨いた語学力で自己アピールする人が増えてきたとも感じます。英語の習得が圧倒的なのですが、それに加えて中国語も勉強したという人もおいでになり、外国語での安城七夕の紹介などができた人も、総じて評価が高かったように感じました。

安城七夕親善大使オーディション

【安城七夕親善大使のオーディションを開催しました】

こうした方々がご自分の得意な能力を発揮する瞬間、審査員に対する強い訴求力が生まれると感じられ、一芸に秀でた方々に全体的に高い評価が集まっていたように見受けました。このように、最近の安城七夕親善大使のオーディションに出場される方は、個性的な自己能力を磨いた方が増えてきたと感じられます。安城七夕まつりを自分なりにアピールできる総合力が評価される、そんなオーディションに変わりつつあると思われました。

ところで、これからはある一定の語学力が求められる時代と感じますが、現実には語学力を高めたいと思っても、家庭の経済的な理由で海外に出られない人たちもいるのではないかと考えます。

そこで安城市では、今年度から高校生や大学生を対象とした外国での語学研修への安城市による支援制度を始めました。具体的には、高校生では夏休み期間中のホームステイを想定し、補助率2分の1、上限30万円と、渡航費程度を安城市が補助する形の支援制度となっています。また大学生については、出かける国により補助金額は異なりますが、上限で月額5万円を1年間補助することとし、おおむね留学先での下宿代を市が補助する形になっています。もちろん、保護者の所得制限があり、経済力のある家庭の学生は利用できません。

これは他の都市に例のない制度ですので、初年度の利用状況を心配しましたが、すでに高校生が1名、大学生が2名、この制度での語学留学を希望してくれました。この他にも数名の希望は寄せられましたが、学業成績の厳しい基準をクリアできなかったため、今年度の利用は断念してもらいました。

今後は、より活用していただきやすい制度にすべく、海外渡航を希望する学生や学校側の事情に合わせて制度の改善に努めてまいります。お一人でも多くの学生たちに生の国際交流を体験してもらい、自己研さんを重ねてもらいたいと願っております。

さまざまな場で効果的な自己アピールができ、活躍できる若者が育つことを願っています。

5月19日(月曜日)

先週末は、五月晴れの爽(さわ)やかなお天気に恵まれ、さまざまなイベントが市内あちらこちらで開催されました。私はたまたま17日(土曜日)がお休みでしたので、午前中は久々に自転車に乗り長距離サイクリングに出かけました。コースは、自宅から知多半島の伊勢湾岸への約60キロほどでした。

サイクリングに出かける直前、家内から日焼け対策をするように言われましたが、たかが日焼けと侮(あなど)ったのが致命的でした。私は全くの無防備状態で、半そでシャツとサイクルパンツ姿でサイクリングに出かけてしまいました。「気候が涼しいのだから、まぁ、いいだろう…」と気にもしていなかったのですが、結果として両腕の大変な日焼けとなってしまいました。

5月の外気は爽やかで快適ではありますが、実際の日差しはとても厳しいのだということを思い知らされました。屋外の紫外線の強さは、ひどい日焼けをするまでは実感できないものです。後悔先に立たず。長時間の外出時、皆さんは日焼け止めクリームを有効活用してください。

翌18日(日曜日)も、前日と同様の五月晴れとなりました。午前は「ふれあい田んぼアート」の田植イベントに参加しました。昨年は新美南吉生誕百年にちなみ、山盛りのごはん茶碗を手にした南吉の肖像画が選ばれ話題となりました。今年は、大きなおにぎりを挟んで、農家のお父さんと娘さんが微笑みあう絵が選ばれました。

私自身、もともと専業農家の跡取りであり、二人の娘の父親でもありますので、昔、幼い娘とともに水田へ水の張り具合を見に行ったことを思い出しました。安城の農村でおにぎりをほおばって育った上の娘は、今ドイツの地方都市で新婚生活を送っているのですが、生い立ちからは全く想像もつかないような現実に感じられます。

二人の娘の名前には、ともに「里」という漢字を使っています。里という字は「田んぼ」と「土」から成っています。素朴な田舎で育ったことを生涯忘れないでもらいたいという思いと、またそれを心のよりどころとして生きてもらいたいという親の願いが込められています。

ふれあい田んぼアートの様子

【ふれあい田んぼアートで田植えに参加しました!】

田んぼアートでは、時間の余裕があったので、私も久々に田植をしてみることとしました。泥濘(ぬかるみ)のような田んぼの中に入るのに長靴を用意してくれましたが、私はなつかしい泥の感触を思い出したかったので、そのまま素足で田の中に入ることとしました。

幼い早苗を小分けして泥の中に差し込んでゆくのですが、根が複雑に絡み合っているためなかなか手際のよい小分けができず、わずかな量の苗なのに植えるのにずいぶん時間がかかってしまいました。初めての泥の感触に泣き出す子、はしゃぐ子、真剣に田植をする子など、周りのようすを見ているだけでも楽しい田んぼアートの田植体験となりました。

5月12日(月曜日)

5月8日(木曜日)は、本市の市制施行を記念する式典「発展祭」でした。そのお祝いとして記念講演を開催し、102歳のお医者さま日野原重明先生をお招きし、ご講演をいただきました。講演のタイトルは「安城市民のボランティア精神をどのように高めるか」で、要旨を簡単に言えば「健康長寿の秘訣はよき生活習慣とボランティア精神にある」というものでした。特にボランティア精神については、ボランティアとは「自分の意志でやる、進んでやる、積極的にやる、自分で決める、自分の目標を持つ、傍観者でなく主演者になる、救いを望まない」とまとめられました。

日野原重明先生講演会の様子(1)

【日野原重明先生にご講演いただきました】

多くの聴講者の皆さんの中には、「今回の講演は安城市が事前に、日野原先生にボランティア精神を強調するようにお願いしたのだろう」と誤解された方もおいでだったかと想像します。しかし、実際のところは、高齢社会を迎えた今日、日野原先生には「健康長寿の秘訣をお話し下さい」とだけお伝えし、そのテーマと内容は先生にご一任してありました。

講演の後、日野原先生と応接室でお話をさせていただきました。その時、傍におられた秘書の方から、「日野原先生のお話の通り、市長さんから市民へのボランティアの呼びかけをして下さい」と言われました。しかし、私は「市の側からボランティア・ボランティアと言いますと、市民をただ働きさせて、行政はサービスの出し惜しみをするつもりなのかと誤解されますので、私からは声を大にして言いにくいものです」とお答えしました。そして、「やはり健康長寿の象徴であられる日野原先生が、ボランティアの重要性を訴えられた方が効果は高かったと思います」と申し添えておきました。

こうした会話の中、思いつくままに私から「奉仕の精神で頑張った時に、何とも言えぬ充足感や幸福感を覚えることがありますが、あれは脳内に特別なホルモン分泌でもあるのですか」とお聞きしましたところ、日野原先生は当然という表情で「そうだよ」とお答えになりました。私たちに幸福感を与えてくれるこのホルモン分泌を促すことが、真の健康長寿の秘訣と悟りました。ボランティア精神の大切さを、そんな風に理解すればよいのではないでしょうか。

日野原重明先生講演会の様子(2)

【日野原重明先生講演会のサルビアホールの様子】

日野原先生は8日早朝、東京を発って安城市にお越しになられ、午前に市の式典で、さらに午後には市内の看護学校で、それぞれ午前1時間ほどの講演をされ、その日の内に帰京されました。そして、その翌朝にはロンドンに向けて飛行機でお発ちになられ、オックスフォード大学などで記念講演をされるということでした。これが私くらいの年齢の方でも、なかなかのハードスケジュールだと思われますが、102歳の日野原先生のスケジュールとお聞きしますと、超人的としか言いようがありません。

何が日野原先生をそこまで駆り立てているのかと、あれこれと考えさせられました。おそらく自らを必要とする多くの人々のために尽くすボランティア精神の発露にこそ、自らの真の生きがいや幸せがあるという人生哲学が、日野原先生ご自身を突き動かしているのでしょう。損得勘定から離れ、ひたむきに奉仕に努めようとする気高い精神の中に、ひょっとしたら神さまが宿られるのではないかと思われてなりませんでした。

5月7日(水曜日)

ゴールデンウィークがあったため、「月曜のひとこと」ならぬ水曜のひと言になってしまいました。

4月29日(火曜日)から5月1日(木曜日)にかけて大韓民国に出かけ、世界最先端のICT活用が図られた図書館のようすを視察してまいりました。

韓国行政調査

【韓国へ図書館の様子を視察してきました】

韓国は1997年のアジア通貨危機により国家が財政破綻を起し、IMF(国際通貨基金)による金融支援を受け、国家政策や経済活動への規制や再編などが断行されています。それに合わせて、新しい社会体制に対応できる産業と人材の育成が進められ、その際、特にICTの技術研究と教育指導に力が入れられたそうです。

国家を挙げてのこうした産業政策の成果として、現在の韓国にはサムソン電子やLGエレクトロニクスといった世界的な電子機器メーカーがあるのはご存知のことかと思います。またそんな社会背景から、2009年にデジタル情報を中心とした「Dibrary(Digital Libraryからなる造語)」という国立デジタル図書館が開設されています。ICT技術を駆使した図書館としては、現在、世界のトップレベルの水準に置かれています。

一方、安城市は3年後のオープンを目指して、中心市街地の更生病院跡地にICTを活用した図書情報館を建設することとし、すでに設計段階に入っています。建物の全体イメージはおおむね確定していますが、内部にどんなICT技術や機器を導入してゆくかをこれからまとめて行くこととなっています。

デジタル技術は日進月歩の進化がある分野で、3年後の先端図書館のイメージを描くのは難しいのですが、世界最先端の韓国のDibraryと、そことネットワークで結ばれている地方都市の図書館や学校図書を見て回わったことで、私たちが建設しようとする図書情報館についての具体イメージを得ることができた大変意義のある視察となりました。

私からの詳細な視察報告については、毎月20日に更新しています私のWebサイト「今月のメッセージ」に記します。私は2年前に、アメリカで複数の図書館を視察して回わりました。そして今回の視察によりアメリカと韓国、それぞれの国の図書館の持つ社会的な役割や、市民ニーズの違いというものを感じました。そのあたりのことも含めて、報告書にまとめてみたいと考えています。

さて、帰国後のゴールデンウィークの後半は、残雪の八ヶ岳に出かけてきました。下界の喧騒から離れて、冬景色の静かな樹林帯を歩いていますと、日々の生活では気づかなかった仕事上のアイディアが浮かんできました。大自然の世界に身を置くことで、不思議な力を貸していただいたような気がしてなりません。よきリフレッシュ山行となりました。

残雪の八ヶ岳の様子

【残雪の八ヶ岳にて・・・】

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