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更新日:2017年3月21日

このまちと30年(2017年2月)

私が市議会議員に初当選し政治の世界に入ったのは28歳、昭和62年4月のことです。30年という歳月が、どのくらい長いのか短いのかは人によってさまざまでしょうが、ふと気がつけばこの春、私が安城市政に関わりを持って30年が過ぎようとしていることに気がつきました。市議会議員として約16年、そして市長としてちょうど14年です。

私はまだ現役の政治家ですので、過去をのんびりふり返る余裕は持ちにくいのですが、それでも温故知新と言います。来し方30年のうち、特に印象に残る出来事を思い起こし、本市まちづくりの流れをふり返ってみることとしました。

 

新幹線三河安城駅開業(昭和63年3月)

まず、筆頭に挙げるべき象徴的な出来事としては、新幹線三河安城駅の開業が挙げられます。私が市議初当選をした頃、すでに駅舎の建設工事が進められており、組み上げられた鉄骨により、大きな建屋の全容が概ね確認できた記憶があります。当時の市長は岩月収二さんで、岩月さんは昭和54年に市長に就任されていました。岩月さんは市職員から助役、市長へと転身された方で、本市の新幹線駅誘致運動は市長ご就任直後から、市議会も一体となって始められたようです。

新駅候補地は当初、岡崎市、幸田町、安城市内2カ所(二本木町、古井町)の4地区とされており、各地域それぞれで誘致活動が展開されていたとお聞きしています。熾烈(しれつ)な誘致合戦が行われ、政治的な駆け引きなどもあったことでしょうが、当時の国鉄により地理的な有利性が認められ、最終的な新駅建設予定地は安城市二本木町と決定されました。また駅建設の条件として、周辺の区画整理事業も進めることとされました。

新幹線三河安城駅開業時の様子 

【新幹線三河安城駅開業時の様子】

私は市議として、現職の岩月市長さんと直接お話をする機会が何度かありましたが、私にとっては父親世代のさらに年長の方であられ、やや遠い大きな存在と感じられました。行政経験が豊富で、本市が昭和30年代の財政再建団体に陥った頃のお話をうかがえる数少ない長老のお一人でした。新幹線の新駅が本市に開業することが決まり、そこに至るまで国・県との調整や、地元負担金の捻出など、多大なご苦労があったとのお話をしてくださいました。

新駅開業直前は、国鉄は国から民営化への移行を迫られていた時代であり、組織的な混乱等もあって国鉄への働きかけは困難を極めたのではないかと想像します。また、それまで本市では古井地区を新駅の有力候補地として地元対策が進めて来られていたようで、急に二本木地区への決定となったため区画整理事業の地元説明会は非常に厳しい空気に包まれたという、当時の新聞記事を目にしました。

かつて岩月さんから、「もう今日は市役所へ行きたくないと、布団を引っかぶって寝ていようと思ったことがある」とお聞きしました。それがどのような状況だったのかは今となっては定かではありませんが、戦時中の出征先で剣豪として鳴らした方でも耐えがたいような、並々ならぬご苦労や精神的な重圧がおありだったということなのでしょう。

 

その三河安城駅は、来年3月に開業30周年を迎えることになります。三河安城駅建設に向けては、言葉に尽くせぬような紆余曲折いろいろな出来事があったのでしょうが、私が市議になった時、すでに駅建設のプロジェクト事業は完成間近の状態にまで達していました。よって私の脳裏には、三河安城駅に新幹線が初停車した華やかな開業記念セレモニーの印象しか残っておらず、先人の皆さんに申し訳ない気持ちになります。

その後約30年、現在もなお本市では人口増加が続いています。その大きな原動力となったのは三河安城駅開業と、周辺の区画整理事業のおかげです。こうした大事業の恩恵に浴している私たちは、明治用水の開削同様、大きな時代の先駆けとなる事業を進められた先人の皆さんのご功績を忘れてはなりません。

 

安城更生病院移転改築(平成14年5月)

前市長の杉浦さん当時の平成14年5月、それまで御幸本町にあった更生病院が、現在の安城町へ移転されました。私は市議当時、市民病院的な役割を果たしてくださる更生病院に関心を持ち、病棟の改修や高額医療機器の購入などについて、その都度視察させていただき理解に努めたつもりです。

しかし、その更生病院の移転に関する話を最初に聞いたのは平成4年の市議会で、唐突な印象があったため、当時は大変驚いた記憶が残っています。市議2期目を迎えたばかりの私の耳に、水面下のやりとりが届いていなかったということなのでしょう。もちろんかつての病院周辺の交通混雑や駐車場不足などは承知しており、このままでは遅かれ早かれ病院経営に支障をきたすものと見受けられましたので、移転話に異存はありませんでした。

旧更生病院(御幸本町)の様子

【旧更生病院(御幸本町)の様子】

そもそも更生病院の移転に関しては、すでに昭和32年頃から市議会で問題提起されていました。「安城市議会50年史」によれば、病院が開院された昭和10年当時、周囲は草深い田畑でしたが、その後の周辺部の発展によりいつの間にか市街地の病院と化してしまったようです。昭和30年代の市議会で、「健康な方々から見ればもったいないような場所に非衛生的な施設があり、その上伝染病棟までもが併設されているため、もっと人けのない広々とした場所に移転された方がよい」という意見が出されています。ただこの当時の移転話は、市の財政状況が厳しかったため、実現には至らなかったようです。

 

最初の移転話から35年後の平成4年、再び病院の移転問題が市議会で提議され始めたのです。愛知県厚生連も、本市に対して移転の申し入れ行動を起こす旨の決定をされ、当時の県厚生連、安城市・桜井両農協、それぞれから本市へ要望書が提出されました。その後、年を追って構想段階から計画段階へとまとめられていったことで、市議会にも更生病院問題特別委員会が設置され、現実的な移転に向けた大きな流れが生まれました。ただ病院建設そのものは厚生連の事業であり、安城市としてはその規模や設備の内容を把握し、どのくらいの支援をするかが大きな議論の焦点だったように振り返ります。

平成に入り、再び更生病院の移転が語り始められた当時の記録をひも解いてみますと、議論の初期には南明治地区の区画整理の必要性や、商店街の空洞化への懸念なども語られていましたが、徐々に新病院の建設予定地の場所選定や周辺道路の問題、さら病院の新しい機能や本市からの補助のあり方など、新病院建設ばかりに期待と関心が集中してしまったようでした。

多くの方々のご尽力により平成14年春、新たに安城更生病院と改名された現在の病院がオープンされ、医療環境は以前に比べれば飛躍的に良好となりました。これによって本市で暮らすことの魅力は増し、その後の人口増加への大きな追い風となったように感じられます。近年、全国的に医師不足による地域医療の崩壊が懸念されていますが、安城更生病院のおかげで当地へは資質とモチベーションの高い若手医師の皆さんがお集まりになられ、高度な地域医療水準が保たれているとお聞きしています。本当にありがたい限りです。

 

まちの活力再生(平成15年~)

安城市民にとっては待ちに待った更生病院の郊外移転新築でしたが、移転直後、御幸本町周辺の市街地から人の流れは消えてしまいました。更生病院が開院されたのは昭和10年。よって、JR安城駅周辺に昔からお住まいの皆さんにとって、更生病院は生まれた時からそこにある空気のような存在であり、それが移転してなくなる状況というものを現実感覚として想像しづらかったのではなかったかと思います。

更生病院移転の翌年(平成15年)2月、私が市長選挙で初当選を果たしました。駆け出しの市長として取り組むべき課題は多かったのですが、新しい区画整理事業による更生病院移転後の周辺市街地の活力再生と、古くからの老朽木造住宅密集地域の防災力強化を選挙公約の最重点施策に掲げていました。よって、市長就任直後に南明治地区の都市計画決定をし、並行して病院跡地の土地利用の検討を進めてゆくこととしました。ただ、こうした区画整理事業で良好な都市環境を創り出すには、個人の土地や家を移動していただく必要があり、資産の所有者や居住者の皆さんのご理解をいただくのに大変な時間と労力を要します。

また、病院跡地の土地利用のあり方につきましても、議論百出の状況となってしまい、市民の皆さんの夢多き意見を聞けば聞くほど迷路にはまり込んでゆく感がありました。そのため私の市長就任1期目は、都市基盤整備で目に見える成果を挙げることができなかったため、さぞかし苛(いら)立ちを覚えた方が多かったのではないかと想像します。

政治体制の異なる他国であれば、個人の意思より政治の意志が優先され、極めて短期間で立派な都市が整備されることでしょう。しかし、個々人の権利が尊重される民主主義国の日本では、権利者のご理解なしに強引な都市整備を進めることは不可能です。事情によっては、1件の家屋の移転に数年間の歳月を要する場合もあります。

地域のご協力と市議会のご理解により、平成20年1月には末広・花ノ木地区を中心とする「安城南明治第一土地区画整理事業」、そして平成21年4月には更生病院跡地周辺の「安城南明治第二土地区画整理事業」を立ち上げることができました。誠意をもってねばり強い説明や交渉を進め、各ご家庭の状況に応じた丁寧な手続きを踏んで、近年ようやく南明治地区の区画整理事業の成果が目に見えるようになりました。

土地区画整理事業が始まる前の末広・花ノ木地区 

【土地区画整理事業が始まる前の末広・花ノ木地区】

土地区画整理事業が進められている末広・花ノ木地区(平成27年時)

【土地区画整理事業が進められている末広・花ノ木地区(平成27年時)】

ローマは一日にして成らず

私の市長在職中には、この他にいくつもの区画整理事業が同時並行で進められてきました。岩月元市長さん当時に立ち上げられた安城新幹線駅周辺(昭和61年~)、安城北部(昭和61年~)、安城作野(昭和63年~)の各区画整理事業は、私が市長になってから完了に至りました。また、杉浦前市長さん時代から始められた安城桜井駅周辺特定(平成11年~)は、現在もまだ事業が進行中です。

更生病院の移転改築という大事業も同様で、現在の安城更生病院が開院した平成14年春ですべてが終結した訳ではありません。限度額を100億円とした更生病院移転新築事業への補助金は、平成28年度でようやく分割払いを終えることができました。さらに移転から今日までの間でも、総合周産期母子医療センターなど新しい施設の開設や機器の導入を図られており、安城更生病院へは、その都度必要に応じて本市からの支援を続けてきております。

「ローマは一日にして成らず」ということばがありますが、安城市のまちづくりも何世代にもわたる様々な方々の真摯な取り組みの積み重ねの賜物(たまもの)であり、その延長上に今日の安城市があるのだと実感させられます。私もまちの歴史の一コマを担わせていただけたことを光栄に思います。市政に関わり続けて30年。地方政治はその成果を身近に見ることができ、住む方々の喜びが実感できることが醍醐味といえましょう。取り組むべき課題はまだまだ山積しているような状況ですが、見違えるような本市の新しいまち並みを目にする時、胸中に熱いものが込み上げてくることがあります。最近、ようやく政治家としての喜びというものが分ってきたような気がします。

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