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更新日:2016年9月15日

「山の日」に思う(2016年8月)

気がつけばこの夏、山の日という祝日が生まれていました。どうやら国民の祝日として「山の日」の制定を求めた日本山岳会をはじめとする諸団体や地方自治体等からの意見を受け、超党派の国会議員連盟が8月11日を山の日とすることを決定していたようです。

私は平成7年、阪神淡路大震災のボランティア活動参加から、都市インフラ破壊後のサバイバルの重要性に気づき、それを機にトレーニングのつもりでかれこれ20年以上登山を続けています。そんな私にとって降って湧いたような「山の日」は、ありがたいような有難迷惑のような祝日という気がしますが、せっかくの記念日ですので人と山の関係を自分なりにまとめてみました。

上高地から穂高連峰を望む

【上高地から穂高連峰を望む】

信仰の山

日本に古来より根づく土着の宗教は神道で、八百万(やおよろず)の神々がいるといわれるほどの神がおいでになるようですが、そもそもは自然崇拝が原点とされています。狩猟採集の縄文時代、山や森では命を保つための水や動植物、さらに住居や道具にできる材木や鉱石が豊富に入手できるため、人智では推し量れない恵みの空間とされ、神や御霊が宿ると考えられてきました。そのため死者の魂(祖霊)は山に還るとする考えもあり、白山神社、穂高神社、諏訪大社、三輪山のように、山そのものを信仰の対象としている例は各地に見られます。

箱根路の石仏

【箱根路の石仏】

日本では山岳信仰が、古来からの神道や仏教の信仰と結びついて、修験道と呼ばれる独特な宗教が生み出されています。修験道は各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入る厳しい修行により、神秘的な能力を得て、衆生の救済を目指す宗教とされており、この修行者のことを山伏と呼びます。私もかつて奈良県の大峰山系を歩いた時、修行中の山伏に出会ったことがあり、突然のことで驚いてしまいました。山はスポーツ登山の場であるとともに、今もなお神聖で厳しい山岳修行の場でもあるのです。

南岳(北ア)からの日の出

【南岳(北ア)からの日の出】

スポーツの山

明治時代以降、山に入り登ることをスポーツとしてとらえる動きが始まります。明治の初期、西欧の先進技術を伝えるために在日していた3人のイギリス人が、登山道具を使って六甲山に登頂したのが日本のスポーツ登山の嚆矢(こうし)とされています。その後、彼らは北アルプスの槍ヶ岳や穂高岳、さらに富士山にも登り、日本にも欧州と同様にアルプスがあるとして「日本アルプス」を命名しました。

上高地など、有名な登山基地にウェストン碑というものがあります。そこに掛けられているレリーフ上のウォルター・ウェストン氏は、上記の3人とは別にイギリスから来日したキリスト教宣教師であり、この日本アルプスの存在や日本の風習を世界に知らせた日本の近代登山の功労者とされています。それにしても外国から来られたこうした人々は、なぜ登山道も整備されていない時代に危険な山に分け入られたのでしょうか。

南岳山頂へ最後の岩場

【南岳山頂へ最後の岩場】

実はどうやらキリスト教でも、山という場所は聖なる地として受け止められていたようです。山の名前は定かとされていませんが、聖書ではイエス・キリストは、山中で預言者とともに語り合いながら、光り輝く姿を弟子たちに見せたと伝えられているようです。欧州から伝来したスポーツ登山ですが、ウェストンが宣教師だったことを考えれば、その原点にも宗教的な要素はあったのではないでしょうか。

5月連休の涸沢テント村

【5月連休の涸沢テント村】

私にとっての山

今となってはもうお話してもよいのでしょうが、実は平成15年2月の市長選挙(私の最初の市長選挙)を半年後に控えていた平成14年の夏、市議会の仲間と次の市長選挙への対応について話し合いを重ねていました。私の記憶では7人ほどの顔触れでしたが、3選無投票が続いてきた市長選挙に対して、それぞれが危機意識を持っていました。その場の大方の意見は「市長の在職は連続3期12年まで」でしたが、私の意見は若干異なり「市長任期の長さは有権者が判断すべきことで、無投票が続いてきたことが問題」でした。しかし、次回は何としても市民の投票による市長選挙を実現すべきという点で意見は一致していました。

そこでまず、次期市長選挙に出馬していただきたい方の名前を出し合い、該当者に面識のある市議が打診に出かけることとなりました。その結果、当初の本命の方からはお断りがあり、やむなく次の方に打診したもののやはり断られと、名前のあがった方から順に拒否の回答が返され、私たちは途方に暮れかけていました。そして最後の最後に名前をあげられたのが、当時市議会議長を務めていた私でした。

自論としては「投票による選挙を実現すべし」と言い続けていたものの、いざ自分が当事者に祭り上げられるとなると、やはり尻込みしたくなるのが現実です。自分が仲間から指名を受けた瞬間、これまで候補として名をあげられた方々が拒否された心情がよく理解できました。私が尻込みした理由は、自分の勝てる可能性を見通せなかったからです。

「私以外のどなたかで、もっと知名度のある有力な方は本当にいないのか」と、改めて周りに問いかけしてみても、「適任と思われた方々全てから断わられ、もう君しか残っていない」と言われ、結局最終的に私自身が市長選挙への意思表示をせねばならない立場となってしまいました。

 

こうした紆余曲折を経て白羽の矢は私に当ったのですが、もしも私が固辞すれば次の市長選挙も無投票となり、有権者の選択の自由はまたも4年間与えられないことになってしまいます。そこで私もついに覚悟を決めねばならなかったのですが、単なる蛮勇による出馬としたなら、支援者や家族への引け目を残し人生上の後悔につながるものと思われました。よって出馬をするなら、自分も周囲も納得させられるような言い訳が必要となります。私は次のように自分の考えをまとめました。

・子を持つ父親として、二人の娘たちにやがて理解されるような人生上の選択とする

・若くして(43歳)市議会議長に推挙いただいた光栄に、地域へのご恩返しを図るという考えに立つ

しかし、市長選挙で最悪の結果になった場合、それが最善を尽くした結果なら仕方ないのですが、そうでなかった場合はやはり大きな禍根を残すことになります。そこで自身の気持ちの整理はもちろんですが、私に市長選への出馬を求める市議らにも気持ちを整理していただきたく、彼らに申し上げたのは次のことばでした。

「今から一週間、もう一度しっかり熟慮いただきたい。最悪の場合、政治生命を失うのは皆さんも同様。そんな危険を覚悟の上の出馬要請ならお受けします」

 

そう言い残した私は、最後の決断までの時間を大切に過ごしたいと願い、結論が出されるまでの一週間、夏山登山に出かけることとしました。選んだ場所は、北アルプスにある高天原温泉という天空の秘湯で、徒歩でしか行くことができません。さらにどこの登山口から向っても、片道1泊2日はかかるという山奥にあります。

心地よい天然温泉につかった下山の道中、同行した登山仲間と「下山後、仲間の市議らに自分の市長選出馬の判断を仰ぐことになる。彼らの結論次第で、市長選に出馬することになる。どんな騒ぎになるのか分からないが、ここから見る下界は雲間の小さな世界だね」とことばを交わしていた記憶があります。

北アルプスからの日の出

【北アルプスからの日の出】

通常、自らが市長選挙に出るという立場に置かれれば、まずは選挙に有利な状況を創り出すための根回しやあいさつ回りに奔走するものなのでしょうが、私の場合、まずは山に登ったという事実は特筆すべきことでしょう。

己の野心にとらわれ過ぎて自己を見失い、社会での存在感を失ってゆく方は案外多いように感じます。私が自らに言い聞かせてきたのは、「市長になりたがっている自分」になることではなく、「市長になってもらいたいと思われる自分」になることでした。

平成14年夏の自分は、そのどちらの自分なのか、それを見極めて市長選挙への出馬を決断したいと考えました。そのためには打算や思惑など、いわゆる俗世の煩悩から一時でも離れ、自己を冷徹に客観視せねばなりません。それにふさわしい超俗的な場は、山以外に思い浮かびませんでした。

 

そんな訳で私にとっての山は、宗教的な要素とスポーツ感覚とが入り混じった心身解放の道場のような聖地です。しかも一歩間違えれば死と隣り合わせの世界のため、そこに足を踏み入れるのなら真剣勝負を求められます。それでも人生や仕事上の岐路に立ち冷静な判断を必要とする時、山はいつも私に穏やかな時間と静かな空間を与えてくれます。

黙々と樹林帯を歩く、必死で岩場を這い上がる、そして山の頂に立つ。そうした過程のある瞬間、ふと無限の宇宙空間や悠久の歴史に思いを馳せることがあります。人間社会は大自然の片隅にあり、自分はその小さな社会の構成員に過ぎないという謙虚さを、宗教家や科学者はもちろん、政治家も持たねばならないと感じます。私にとっての登山は、大自然に生かされている自分を再確認するための放浪の時間だと思っています。

冬の八ヶ岳連峰

【冬の八ヶ岳連峰】

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