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更新日:2016年5月16日

3月の風景から(3月)

卒業の季節

今年の中学校の卒業式は、篠目中学校に出席することとなりました。児童生徒らの巣立つ季節を迎えますと、毎年どんなあいさつをしようかとあれこれ頭を痛めます。特に本年1月初旬には、卒業間近の篠中生徒が踏切で亡くなるという悲しい事故があり、その後の2月末、今度は別の中学の女子中学生による同様の事故が起きています。ともにマスコミ報道では自死の可能性が示されていました。命に関わるこうした事案を避けて通るのか、それとも何らかのメッセージを伝えるべきかと悩み、私なりに考え以下のようなあいさつとしました。

「篠目中学校を卒業される卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また保護者の皆さま、先生はじめ学校関係者の皆さまにおかれましても、本日、晴れの日を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。誠におめでとうございます。

さて篠中は、昭和58年に開校した安城市内では最も新しい中学校です。しかし、本校からはオリンピック女子柔道金メダリスト谷本歩実さん、国際音楽コンクールで最優秀賞に輝いたピアニストの田村響君という、国際的な活躍をされている素晴らしいお二人の卒業生がおいでになります。

お二方には安城市から市民栄誉賞をお贈りし、私も時々お話をしていますが、彼らは厳しい練習を積み重ねられ、さまざまなプレッシャーに直面し、またスランプにも陥り、それでも粘り強く目標を目指した結果、国際的に高い評価をお受けになる存在となられました。皆さんもぜひ、こうした偉大な先輩を見習っていただきたいと思います。

ところで、今日は3月4日です。もう1週間しますと3月11日を迎え、大きな津波により1万8千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から5年目を迎えることとなります。東日本大震災がどんな災害だったか、中学生の皆さんも5年前のことは、テレビや新聞などの報道でご存知のことと思います。また、今から21年前の1月17日には、神戸市を中心とした都市直下型地震の阪神淡路大震災が発生し、家屋の倒壊や火災で死者・行方不明者6千4百人を超す被害が出ています。

平成に入ってからのこうした大きな自然災害で、命は助かったものの、家や家財道具だけではなく、大切な肉親や友だちをも失ってしまわれ、絶望の淵に立たされた方々がたくさんおられました。しかし、その中には『人はいつか死ぬ。人生は有限だ。残された時間は少ない』と実感され、その後、自分の夢の実現に向けて挑戦した人もおいでです。

現在、楽天の社長を務める三木谷浩史(ひろし)さんはそのお一人で、幼い頃、可愛がってもらった叔父夫妻と、親友数名を神戸の震災で失い、会社を創業するという自らの夢の実現を急がれたそうです。拭い去ることのできない悲しみを起爆剤とされ、現在の楽天株式会社を育て上げられました。有名無名を問わず、こうした大災害等を人生の転機とされ、その後の人生を大切に力強く生きてこられた方は、まだ他にもおいでのことかと思います。

これから私たちが生きてゆく時代も、南海トラフの巨大地震が発生する可能性が高いと言われています。そう考えれば、私たちも時間を無駄に過ごす訳にはゆきません。一瞬一瞬を大切にし、自分自身に与えられた限られた時間を、どう自分のために、また周りの人たちのために、さらに社会のために役立ててゆくのか。そのことを今からしっかり考えて、これからの人生を歩んで行っていただきたいと願います。

今後の皆さんの人生が、輝かしい価値のあるものとなりますことを心よりお祈り申し上げまして、お祝いのごあいさつとさせていただきます。本日のご卒業、誠におめでとうございます。」

卒業証書の授与では、亡くなった生徒の友人らが遺影を掲げ、故人に代わり卒業証書を受け取ってくれました。彼らにしてみれば、ついこの間まで一緒に遊んだ親友が、急にこの世からいなくなるのは信じがたい悲劇だったでしょう。しかし、生きている私たちはその悲しみを乗り越えて、明日も明後日も精一杯生きてゆかねばなりません。

八ヶ岳中央農業実践大学校時代(前列中央)

【長野県の農学校職員時代(前列中央)】

私自身は26歳まで、長野県にある全寮制の農学校で教職員として働き、生徒の世話をして青春時代を過ごしていました。そして、卒業を控えたこの季節、卒論に悩んでいた一人の生徒の自死に直面しました。その衝撃を手短にここで表すことはできませんが、彼の悩みをうすうす察していた私は精神的にひどく落ち込んでしまいました。しかし、私以上に落胆しておられたのはご両親であったことは言うまでもありません。

人の命というものは、本人一人のものではなく、周囲に暮らす人たちの心とも密接につながっているものだということを、この件を通じて痛切に感じさせられました。こうした感覚は、おそらく共通体験を持つ者同士ではないとなかなか分かり合えないと思われますが、こんな悲しい体験を持つ人が増えて欲しくはありません。まだ若かった私は、あの時、私の人生まで終わってしまったかのような気持ちにさせられたものです。

この季節、時々ふとそんな時代の出来事が思い起こされます。しかし今、安城市長を務めている私がここにいます。生きているからこそ、つらいこともあれば、思わぬ人生の展望も開けるものだということを、私は自らの体験を通じてこうして綴(つづ)ることができます。

生徒の自死に直面した私は、その他の生徒たちを卒業式で見送ると、長野の農学校の職を辞し、家業の農業で生きて行こうと考え帰郷しました。もちろんこの頃、自分が政治の世界に身を置くことなど全く考えてみたこともありませんでした。ところが自宅で就農して間もなく、今度は地元町内の市議が急逝されたため、突如として私が次の市議会議員選挙に立候補をするという事態となり、数ヶ月のどたばた騒ぎの末、28歳で私は市議会議員となり政治の世界に身を置くこととなりました。

私は現在57歳です。これまでの自身の歩みを振り返れば、政治と関わりのなかった年数が28年、そして政治の世界で29年となり、政治の世界で過ごした歳月のほうが長くなっていることに気づかされます。結局、私はお二人の急逝によって、思いもよらぬ方向転換をすることとなりました。人生というものは不思議なものだとしみじみ感じています。

桜町からの風景

現在、市長室の窓からは、土地区画整理事業で変わりゆく南明治地区のまちのようすが見えます。平成15年2月、私が安城市長選挙に初当選した時、最も困難な課題は末広・花の木を中心とした南明治地区の区画整理事業の立ち上げと思われました。かつて私がまだ20代の市議の頃、先輩市議から「この密集市街地にはまだ手がつけられてないが、いつか誰かがこの地域を何とかせねばならない」と聞かされ、その大役を担う人を気の毒に思ったものです。しかし後に、図らずも私がその重責を担うこととなってしまいました。

市長室からの見える桜町の風景

【市長室から見える桜町の風景】

該当地域には反対意見もあったものの、災害発生を考えれば、防災上の観点から何としても取り組まねばならない本市の最重要課題と思われ、賛同してくださる皆さんとともに意を決して事業にとりかかることとしました。暮らしの安全を高めることと合わせて、高い関心の的となったのは更生病院跡地でしたが、「跡地をどうするのか」を多くの皆さんに問えば、十人十色のご意見が返るばかり。こちらも構想段階から難航しました。

さらに区画整理を立ち上げる頃、リーマンショック、東日本大震災と、日本を揺るがす経済変動や大災害が続き、本市の経済環境や財政事情も様変わりをしました。そんな先行き不透明感が漂う時代にあっても、未来に向けた市民の夢や希望の象徴となる都市施設の建設をと願い続けてきた結果、ようやくアンフォーレの核となる図書情報館の骨格が建ち上がりました。歴史のある住宅密集地域で、多くの方に家屋移転をお願いせねばならない市街地整備は、そこに暮らす人たちの心情を想えば、こちらも断腸の思いというのが私の真情です。多くの方々のご協力に感謝申し上げています。

春を迎えた今、市長室の窓からも桜並木越しに、アンフォーレの雄姿が具体的に想像できるようになりました。周囲に暮らす住民の皆さん方同様に、私も日々アンフォーレを眺め、わが子の誕生を心待ちにする親のような気持ちで過ごしています。

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