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更新日:2013年6月20日

変わりゆく中国

4月25日から28日の4日間、全国市長会の訪中団に参加させていただきました。

本来の視察は23日の北京訪問から始まっていましたが、私は自分が会長を務める愛知県市長会総会を24日に招集をしていましたので、これを終えて訪中したため日程3日目の武漢市訪問からの途中参加となり、大変慌ただしい行程となりましたが、それでも中身の濃い視察ができました。

前回の訪中は2年前の上海万博で、私にとって約20年ぶりの中国訪問でした。それまで長年、中国に出かけることはありませんでしたが、常に隣の大国への興味を持ち続け、マスコミ等を通じて変わりゆく中国のようすを見聞きしていました。しかし、20年ぶりに我が目で見たその変貌ぶりを目の当たりにし、思わず絶句してしまいました。

グローバル時代、海外事情に疎いことは「井の中の蛙」となることに気づき、その後は意識して海外の実情を知るよう努めることとしました。今回、日程的にやや無理をしてまでの参加は、そうした過去の反省に立っての判断です。

 

  • 25日  武漢市

武漢市へは空港到着が夕方であったため、町のようすを詳しく知ることができませんでしたが、空港の入国審査の折に審査官から「Thank you!」のことばが聞かれたのが新鮮でした。また出入国の審査台の脇には、審査官への満足度アンケート用のボタンが設置され、旅行者が出入国審査時の対応を評価するというシステムに驚かされました。

中国は役人天国のイメージがあり、出入国審査の高圧的な態度に不愉快な思いをしたものですが、今ではサービス重視に切り替えられ、日本のような現場からの改善活動が広がっていることに気づかされました。

さて武漢市が省都となる湖北省は、その名の通り長江の流れによる湖の多い地域で、飛行機の窓からは陽光に水面を輝かせる広大な長江や水田風景が広がっていました。武漢市内にも長江やその支流が流れ、それらにつながる湖沼も多く見られました。そうした豊富な水を市街地に流して人工の運河を作り、水質浄化と観光用の水辺空間創造につなげるなど、日本人では発想できないような大掛かりな都市改造が進められていました。

現在、武漢市内では合計5千カ所以上の工事現場があると聞きましたが、それが誇張とは思えないほど大規模なビルや高速道路の建設があちらこちらで進められていました。中国での大規模な投資はリーマンショック後、沿岸部から内陸部へと移動したと新聞などに報じられていますが、武漢の町の風景から日本の高度経済成長時代の躍動感が思い起こされました。

 

  • 26日  蘇州市

私にとっては訪中2日目、武漢市から上海市へ飛行機で移動し、その後バス移動で蘇州市を訪問しました。蘇州市の市域面積約8千6百㎢の約43%が水面と言われ、「蘇」の漢字の意味する魚と稲の豊富な水郷地帯であったそうですが、上海から80kmという近距離ゆえ、GDPで全国5位の産業都市と化していました。

蘇州市  公園から市街地を望む

                【蘇州市  公園から市街地を望む】

蘇州市の施設で視察をしたのは民間企業が運営するごみ処理発電所と、災害避難所も兼ねた公園です。

ごみ処理発電所はその理念を日本に学び、設備はベルギーから導入したという施設でした。ここでは市内から排出される各種のごみを引受け、日量2千5百tもの焼却処理能力を誇っていましたが、今後さらに1千5百tの炉の増設を行うという計画があるとの話でした。大きな規模の焼却施設ですが、蘇州市の人口が645万人と聞けば、人口18万都市の安城市施設は日量240tなので、人口比率から類推すれば、ごみ処理に関してはまだ蘇州市域をカバーしきれていないと想像されました。

また災害対策を講じた公園は、緊急時のトイレ、避難時の防災空間などを備えていたものの、失礼ながら防災面で参考になる部分は少ないと感じられました。聞けばこの地で歴史に残る過去最大の地震は、1990年の震度5が最高で死者が2名ということ。現実的には大きな災害を想定できない土地ですが、四川大地震による人心の安定を狙って、地震対策が講じられているというアピール効果を狙ったものと受け止めました。

 

  • 27日  蘇州市・上海市

工業園区にある日本の企業「久保田(株式会社クボタ)」を視察しました。広大な園区には数多くの外資系企業の工場が立ち並び、また工場の隣接地区には近代的な集合住宅が建てられており、かなり計画的に開発が進められたことが窺えました。

「蘇州には日本企業の進出が多い」と事前に聞いていたので、日本企業が連続して立ち並んでいるようすを想像していたのですが、連なる工場に掲げられる国旗を見るとドイツ、イタリアなどの国旗が多く、日本企業の数は相対的に少なく感じられました。実際に久保田社内で伺ったお話でも、この久保田も中国進出は’98年とかなり最近の進出であることが分りました。中国が日本企業にとって市場性のある国かどうか、日本の企業はそれを慎重に見極めて進出を始めたようです。

工場の概要としては、敷地面積が約12.7ha、床面積3.8ha、従業員数が1,442名。ここでコンバイン2万台と田植え機5万2千台を生産しており、年間売り上げは約30億元(日本円で約380憶円)、生産した機械のうち3割ほどを東南アジア(タイ・インド・ベトナム・インドネシアなど)の国に輸出しているとのことでした。

中国の農業政策は、価格保護期から国際競争指向期、さらに現在は食糧生産補助期と移行してきており、今は年間約2百億元(2千5百億円)の補助が出されているため農業機械の販売が大きく伸びつつあるということでした。ちなみに今年度の中国GDPの伸びは年7%ほどの一方、農業機械の国内販売の伸びは12%と見込まれており、中国での農機需要の高さが窺えました。

中国の農業機械は個別農家が所有するのではなく、「賃刈り」の機械運転専門家が所有し、5月の四川省の麦刈りから始まり、11月の広東省の2期作目の稲刈りまで、全国各地を移動しながら作業を請け負う構造でした。そのため久保田のサービスも、賃刈りビジネスと共に季節ごとに区内を移動しながら行っており、機械の販売だけではなく補修などサービス面のシェアを高めることも大きな営業目標となっていました。

久保田での従業員の賃金は3万円/月ほどで、まだ安価のようです。今後の課題として、中国の穀物作は米・麦を基本としながらもトウモロコシ・ナタネ・コウリャン・大豆など多様性に富んでおり、農業機械にはどんな多品目の作物に対応できる汎用性が求められているとお聞きしました。日本の農業は経営形態がほぼ固定化した感がありますが、国土が広大な中国では、まだまだ新たな技術的・経営的な試行錯誤が続きます。

アジアモンスーン地帯に位置し、稲作を基本とする日中の農作業には共通性があり、日本の農機具メーカーには欧米企業にはないこうした技術の蓄積による、高い優位性があると感じられました。チャレンジ精神の旺盛な人材にとっては、まだまだやりがいのある市場であると思われました。 

蘇州市  久保田の農機工場

                   【蘇州市  久保田の農機工場】

 

久保田視察の後、上海市に入り上海市人民政府への最後の表敬訪問を行いました。代表のあいさつの中で、日中友好40周年の今年は、日本とかかわりの深い「魯迅」と、彼の日本の友人を切り口に特別企画を考えているということで、経済的に日本とのかかわりの深い上海市の日本に対する配慮が感じられました。

また中国の現在直面する課題として、代表からは「交通」や「食品」などの具体例が挙げられました。世界的な大国に成長しつつも、行政の上層部がこのように自らの課題を謙虚に受け止め問題解決に当たることができれば、中国は自らの抱える問題を克服してゆけるのではないかと思われました。

市内では2年前の万博で訪れた当時ほどの熱気を感じることはありませんでしたが、町を走る自動車の車種は国際色豊かで、しかも東京の道路を走る車と比較すれば高級乗用車の比率が高いと感じられました。

また訪中初日、上海から武漢まで、飛行機のビジネスクラスの座席に座った若い女性の身なりは、日本の大都市のファッショナブルな女性そのものであり、手持ちのバッグなども世界的なブランド品でした。バッグの中には株式投資の専門書が垣間見え、ある一定の資金と最新情報が入手できれば株式投資によるチャンスが生まれ、若者でも富裕層の仲間入りを果たせるという中国の経済事情が窺えました。

 

  • 28日  上海市

上海の滞在はわずかな日数でしたが、市内観光の時間を利用して1人で観光エリアを離れ、古い老朽住宅が密集する路地に入り込んでみました。高層ビルの林立する沿岸部の開発区を間近に見上げる場所でしたが、狭い路地は普通乗用車が入ることはとても不可能という地域に、多くの庶民がひしめき合うようにして暮らしていました。

生活必需品の小売店や理髪店も散見されましたが、表通りの観光客相手の小ぎれいな店とは別次元の薄暗い衛生環境の悪そうな店舗でした。しかも価格は驚くほど安く、一般庶民の実生活レベルにあったこうした店が、多くの平均的な中国人の暮らしに必要とされ、共存できているように見えました。

上海市  昔ながらの住宅密集地

                【上海市  昔ながらの住宅密集地】

 

そういえば上海を案内してくれた友好協会の方が言っておられた「中国には大きな貧富の差があるが、そのことにより幅広い需要が生まれているという利点もある」ということばを思い出しました。

かつては「一億総中流」ということばすら生まれた日本社会は、世界的に見れば理想的な平等社会を実現したのでしょう。しかし、それによって極端な低所得労働者が国内にいなくなり、海外からの低所得労働力に頼らざるを得ないという現実が生まれつつあります。

これに対し、高度経済の過渡期のような中国の格差社会では、大都市の富裕層のすぐ脇に無数の低所得世帯が暮らす現実があり、このことで身近に安価な労働力を得ることができる状況が生まれ、現在は海外からの安価な労働力に頼る必要はないと言えましょう。

それは一見、高所得層から低所得層への富の移転という形での所得再配分が実現しているようにも見え、国内の労働バランスがとれているように見えますが、そうした格差を抱える社会が平和裏に継続できる前提条件として、低所得層を含む大半の国民が「今日より明日はもっと豊かになれる」という夢や希望を持続させられることが不可欠でしょう。

上海市  沿岸部の都心を望む

                  【上海市  沿岸部の都心を望む】

帰国した直後の新聞に、重慶市の共産党書記失脚の続報が報じられました。それまでの重慶市では、失脚したこの幹部らが大衆受けを狙い「5年間で20年分の市予算を使い切った」と書かれていました。

中国の急成長は、天然資源の有限性などを考えれば、いつまでも続くものではないと考えられます。現在報じられている中国の成長力が無理な底上げによるものではなく持続可能な成長へと軟着陸できるよう、日本はよき隣人として助言すべきと思われますが、それ以前に中国側が日本の失われた20年を分析して、すでに「他山の石」としているのかも知れません。

 

相互に難しい歴史的なわだかまりを残す日本と中国ですが、産業・文化の分野で切り離すことのできない深い絆で結ばれているという現実があります。中国の安定成長こそが日本の安定成長につながるという現実を踏まえ、日中友好40周年を機にさらなる多極的な交流が深められることを強く願いつつ、帰国の途に就きました。

                                                                                                安城市長    神谷  学 

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