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更新日:2013年6月20日

原点回帰の年

明けましておめでとうございます。今年は元旦からお天気がよく、穏やかな年明けとなりました。本年1年が、こうした平穏な日々の繰り返しとなりますことを、心より願っています。

さて明けて今年は、安城市にとって大きな節目の1年です。今年の5月5日、安城市は市制施行60周年を迎えます。人間でいえば「還暦」、暦が大きく巡り生まれ年の干支(えと)に還るという意味で、原点に立ち返って来し方をふり返り、行く末を考える年にしたいと思います。

本市は昭和27年5月5日、愛知県下13番目の都市として市制を施行しました。当時の人口は約3万8千人、面積は約40㎢でした。その後の変遷は、以下の通りです。

  • 昭和30年に旧明治村、依佐美村の一部と合併   人口5万2千人、面積65㎢
  • 昭和35年には旧矢作町の一部とも合併  人口5万6千人、面積68㎢
  • 昭和42年には旧桜井町とも合併  人口8万1千人、面積86㎢

そして、現在に至っています。

この間、市街化区域では区画整理事業が進められ、就労のために本市へ転入する多くの方々に良好な住環境を提供してきました。また農村地帯でも土地改良事業による生活環境の改善と、大規模な農業の専業化が進められるとともに、農地の一部は工業地域に転用され、離農される方々の雇用の受け皿となるとともに、製造業の拠点が農業地帯の中に形成されて来ました。

このように産業基盤と住環境が整えられるにつれて市民の購買力も高まり、商業にも新たな活力が生まれました。かつて「農工商バランスのとれた発展」ということばを耳にしたものでしたが、まさにその通りの発展を遂げられたものと思います。

三河安城駅周辺の風景

安城市にとって大きな転換期となったのが、昭和63年の新幹線「三河安城駅」開業だったと思われます。それまでは西三河の田舎町といった感のあった安城が、新幹線という大動脈により東京・大阪に直結したまちに転じ、大きな夢や可能性が語られるようになりました。

新駅開業から数年後、平成バブル崩壊が発生し、駅周辺開発は当初の構想よりも遅れ、開発の方向性も変質しましたが、今では西三河の玄関といっても過言ではないでしょう。

 

私は市長に就任して、2月15日で10年目を迎えます。市長就任以前には、昭和62年より市議会議員を約16年務めていましたので、新幹線駅開業前後の本市発展の歴史と、それを担ったこの地域の政治の舞台裏もよく承知しているつもりです。

私の知る25年間の本市の政治をふり返りますと、25年前の衆議院議員選挙制度が中選挙区制だった時代には、国政与党の国会議員が複数おいでだったため、市議会には各国会議員を支援する市議らによる複数の与党会派が形成され、市議会与党も一枚岩とは言い難い状況にありました。政治的なテーマや議会人事の議論の都度、激しくもめて罵声や怒号が飛び交う会議は日常茶飯でした。

それでも安城市を良くしてゆこうという精神的なベクトルは同一方向を向いており、住民感情や権利意識が複雑に絡む区画整理事業や福祉施設建設などについて、賛否に関するさまざまな議論は起きましたが、よき方向での結論を見出さねばという機運は感じられました。

市議会のリーダーは信念を持って会派をまとめるべく意見集約を図られ、ある種の威厳が感じられました。また行政側が議会側に折れる形で、計画変更が図られることもありました。このように安城の政治は紆余曲折がありながらも、本市にとっての大きな政治テーマについては、一致団結してことに当たるという良識がありました。もちろんそれは、私が市長に就任した今も続いていると感じられます。

侃侃諤々(かんかんがくがく)の言い争いをしながらも、郷土愛とそれによる良識により、やがてはある一定方向にまとまってゆこうとする安城政治の良き伝統が、今日の安城市の発展を支えて来たものと考えます。

 

私は幸せなことに安城政治の中で、常に与党の立場で政治経験を積ませていただき、本市の政治課題の実現に当たることができました。その世界で学んだことは、与党とは決して自由気ままな集団ではなく、時にはお互いが我慢のつらさを分かち合い、いかに最大公約数の妥協点を見出すかという知恵でした。

市役所裏の安城公園にある「文学の散歩道」に、「円満な中で誰かが怺(こら)えてる(堀尾一斗)」という碑があります。かつて血気盛んな若手市議だった頃、年長市議らによる議会の合意形成方法に釈然としない私が、ある集まりで憤懣(ふんまん)を漏らすと、そこに同席しておられた故岩月元市長が、この句を紹介されその場を収められました。社会全体が良い方向に向かうのであれば、小異を捨てて大同につくくらいの度量が必要ということを教えていただきました。

堀尾一斗の句

 

かつて「和を持って貴しとなす」という精神文化が、日本には広く存在しました。これが行き過ぎて、日本流の政治が談合政治と批判された時期もありましたが、その反動で個々人が思い思いの意見をぶつけ合い、議論が四分五裂して収拾がつかない政治風景が生まれています。どちらがいいとは言えませんが、東日本大震災以降の国難にあって、いつまでも方向の定まらない議論を看過できるほど、国民の精神的な余裕がなくなりつつあると思われます。

かつて政争に明け暮れた歴史から脱却した安城政治は、その反省から「和」の政治を新しい目標にしてきたと、先輩諸氏からお聞きしています。先人たちの賢明なご判断が、今日の安城の発展の礎(いしずえ)を築いてきたことをお伝えするのも、今の私の務めのような気がします。原点回帰の重要な年の初めに当たり、安城の昔話を綴らせていただきました。

                                                                                            安城市長    神谷  学 

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