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更新日:2013年6月20日

災禍の年をふり返る

今年は、災害に始まり災害に暮れてゆく、残念な1年となってしまいました。新聞・テレビ等の報道から、日常生活の中で東日本の被災地を常に意識させられ、あれこれ考えさせられることの多い激動の年でした。私の脳裏に浮かんだことをまとめ、歴史に残る平成23年を総括してみました。

統一地方選挙

今年は統一地方選挙の年でした。マニフェストの政策実現を、それぞれの候補者が訴え合いました。また国会では、前回の国政選挙のマニフェストを根拠に、政策推進の是非が議論されているようです。

政治不信を払拭する切り札として注目されてきたマニフェストですが、私はかねてより、マニフェストを聖典のごとく絶対視する風潮に、素朴な疑問を抱いて来ました。

一例をあげれば、東日本大震災や原発事故に見られるように、世の中には不測の大災害や社会混乱があることは明らかです。巨額の公的支出を要する突発的な災害復旧や社会混乱などは、あらかじめ具体的にマニフェストへ記載することが不可能です。しかし、マニフェストに記載されていなくとも、危機への速やかな対応を迫られるのは当然です。

マニフェストに記された計画上の目標数値がち密であればあるほど、想定外の事態が生じた時には、現実と計画との落差は大きなものになってしまいます。マニフェストにも、自動車ハンドル並みの遊びが必要と考えます。社会状況に応じた柔軟な修正ができなければ、マニフェスト遵守による社会崩壊もあり得ます。

真に重要なことは、「マニフェストの実現」ではなく、「幸福社会の実現」なのです。本末転倒のない成熟した政治意識の必要性を痛感させられた1年となりました。

東日本大震災

東海地方への大きな地震の発生は心配されてきましたが、東北地方を襲った強い地震と巨大津波は予想されていませんでした。しかも福島の原発事故も誘発したため人災の要素も複雑に絡み、9ヶ月が経過してもガレキ処理のめども立たない状況が続いています。

「天災は忘れた頃にやって来る」の警句を残された物理学者の寺田寅彦氏は、大正末期の関東大震災に直面され、おおむね以下のように近代文明を痛烈に批判されています。

「われわれと同じような経験を、徳川時代の人がとうに経験し尽くしている。それを忘れて勝手なまねをしたために、取り返しのつかない惨事となった。昔に比べて今の人間がちっとも進歩していない。進歩しているのは物質だけで、かえって昔の人々の方が今より立派なような気がする」

被災地の互助の精神と、広範にわたる温かな善意の輪には頭が下がりますが、もしも寺田氏がご存命であれば、今回の事態をどう論評されるのでしょうか。

私たちの地域は幸いにして災害の直撃を免れたものの、遠く離れたみちのくの災害は、日本の製造業の部品や原材料の供給基地を直撃し、ひいては日本経済を停止させるほどの大きな経済混乱を引き起こしました。また年末にはタイ王国の洪水も発生し、サプライチェーンという産業界の物流が、国内のみならず遠く海外にまでつながっていたことを思い知らされました。

明日はわが身の災害です。「情けは人のためならず」という気持ちで、息の長い被災地支援の必要性を感じた1年でした。

被災地・女川町4月の被災状況

 

被災地支援

3月11日以来、安城市からは本市職員はもとより、市民、民間団体など、多くの方々に被災地へ支援活動に出かけていただいております。また、市民の皆さんからの義援金は、本市社会福祉協議会を通じて被災地に届けられました。ご協力下さった皆さまに、心よりお礼申し上げたいと思います。ご協力、誠にありがとうございました。

想定外の社会の激変続きで、大人は意気消沈ぎみでしたが、一方、子どもや若者たちは元気で、こうした若い世代に勇気づけられた年でもありました。

身近なところからご紹介しますと、4月にオランダで開催されたフランツ・リスト国際ピアノコンクールで優勝された本市出身の若手ピアニスト後藤正孝さん。後藤さんは自らの通う都内の大学院で、3月11日を迎えられたそうです。混乱する首都圏でピアノ練習に打ち込むご自身の生活に疑問を感じて悩まれ、自らに可能な被災地支援を自問自答された結果、「ピアノを通じた日本激励」という社会貢献が可能なことに気づかれ、異国の地から日本へ朗報を届けられました。

女子サッカーなでしこジャパンの選手たちも、同様の気持ちでグラウンドに立ち、日本に向けた最高の激励を実現してくれました。

被災地支援はお金や物品の支援だけでなく、個々人の資質や立場を最大限に生かした精神的な激励もあることに気づかされました。被災地支援も人それぞれということを、世界で活躍した日本の若者たちから教えられた1年でもありました。

フランツ・リスト国際ピアノコンクールで優勝を果たした後藤正孝さん

 

まちづくり                                                                                              

安城のまちを第二の故郷とする新美南吉生誕100年が、再来年に迫りました。昭和初期、南吉が安城高等女学校に通った安城駅周辺の中心市街地は、区画整理事業を通じて生まれ変わりつつあります。市街地に昭和の面影は失われつつありますが、新しいまちにそれなりの個性を持たせるため、再生される街並みに南吉童話をうまく溶け込ませてゆけたらと考えています。

まちを歩けば南吉の世界が展開され、この土地が南吉にとって第二の故郷であることが感じられる雰囲気を醸(かも)し出すためには、どんな街並み形成が望ましいのかと思案に暮れています。南吉がこの世に生を受け100年経っても慕われているように、安城の象徴的な市街地も長年親しみを持ってもらえるよう、地域の方々と夢のあるまちづくりを語り合ってゆきたいと思います。

商店街に描かれた南吉壁画

 

暗い話題や悲しいニュースの多い1年でした。それだけにいつの時代にも子どもたちや若者たちが夢や希望を持て、生きてゆく上での道しるべを見い出せるような、そんな新たなまちづくりはできないものかと、来年もまた熟考を続けます。

                                                                                                   安城市長  神谷  学

 

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