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更新日:2013年6月20日

温故知新の旅

12月定例市議会が終わり、いよいよ年の瀬。一年を静かに振り返るため、日本の心の故郷といえる場所に身を置いてみようと考え、週末を利用して高野山に出かけました。

高野山は弘法大師こと「空海」が開山した聖域で、空海が大和国を旅した時に行き逢った猟師から、その山の存在を聞いたとされています。司馬遼太郎氏の「空海の風景」では、空海が次のような神託を受けたと記されています。「その山は山上が平坦で、水が豊かであり、流れはことごとく東をめざしている。昼は常に奇雲そびえ、夜は霊光を現ずる」。

密教という、それまでの日本にはなかった斬新な仏教思想を中国から伝え、その呪術的な側面が時の権力から評価されたことにより、空海は平安京における時の人になってゆきます。中国で学んだ密教を日本風に体系化し、精密な論理を整えつつ、他方で加持祈祷を通じて皇室との親交を深め、神護寺、東寺などの密教道場を京都の郊外に構えてゆきます。また鎮護国家の象徴となる奈良東大寺の総括責任者も勤めるなど、当時としては先駆的な密教の教義を軸とした教団を形成し、宗教家として大きな成功を収めた歴史的な偉人が空海です。

こうした予備知識はあったものの、私にとっては初めての高野山への旅。いったいそこにどんな世界があるのか、それが大きな関心事でした。

 

高野山は遠い、これが私の率直な感想です。愛知県から遠いのは当然ですが、京都や奈良からでも、公共交通にしろ自家用車にしろ、とにかく今でも不便で遠い世界でした。しかも標高は800mを超すため、私が訪れた12月下旬は降雪もあり、訪れる人はまばらでした。都の郊外に複数の巨大な寺院を与えられながらも、あえてまたそこから離れた別世界を作ろうとした理由は何なのでしょうか。

司馬遼太郎氏は空海について、多くの弟子や信者に恵まれていたものの、高度な密教の思想や教義について語り合う相手が国内に見出せないといった「天才の孤独」に陥っていた可能性があったのではないかと指摘しています。よって晩年には、若き日に多くの修行仲間と過ごした長安の青竜寺への郷愁があったと推測され、思い出深いこの寺院をモデルに、密教の教義の核をなす大日如来の世界を雲上に建設しようとした。それが日本の聖地・高野山であろうと指摘しています。

凡人の私は、残念ながら当日の降りしきる雪と寒気に負けて、遠大な想像を働かせるよりも、いかに寒さに耐えるかが先決という情けない状況でした。しかし過酷な気象と、簡単に人を寄せ付けない立地の厳しさはよく分かり、雲上界に新たな理想郷を創ろうとした空海の強烈な情熱の一端は体感できました。

金剛峰寺の庭

根本大塔

 

密教の教義は難解ですが、司馬氏の言を借りれば「大宇宙の原理を大日如来に擬人化し、自らをその原理に同化させることで、生きたままの身で大日如来そのものになれるという即身成仏の思想」がその真髄ということになります。さらに分かりやすくいえば、大日如来とは奈良の大仏さま(毘盧遮那仏)の別称なのですが、この仏さまの暗示する大自然の摂理を感得し、その摂理に従って生きてゆくことの中に、人としての至福の世界があるということになるでしょうか。

高野山から帰る車中で、地球の温暖化を話し合っていた国際会議「COP15」の協議の採択が見送られた旨のニュースを知りました。いろいろな国の利害は承知をしていますが、人類の英知と勇気に期待していただけに、いささか落胆させられました。その瞬間、ふと1200年もの昔、大自然の摂理に即した暮らしの中に人類の真の幸福があることを達観した空海の思想は、今の世の中にこそ必要とされるものなのではないかと感じました。

「温故知新」ということばがあります。古(いにしえ)から森林や清流を尊ぶ自然崇拝の思想が私たちの国に根ざしていたということを、まずは私たち日本人自身が思い起こさねばならないのではないでしょうか。そして可能であれば、その尊い思想を日本発で世界に伝えてゆくことが重要なのではないかと考えさせられた、年末の高野山への旅でした。

 安城市長 神谷 学

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