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更新日:2013年6月20日

農ある暮らしのありがたさ

アメリカのサブプライムローン問題に端を発した原油価格高騰が、バイオエタノールの増産につながって穀類の国際価格を押し上げ、さらにこうした一連の動向が世界的な食糧危機へと発展しつつある状況が、マスコミを通じて私たちに伝えられています。すでに輸入農産物から生産される食料品の価格は、私たちの身近なところでも値上がり傾向にあります。また食品の偽装から賞味期限の改ざん、異物の混入など、食を巡る事件が相次ぎました。飽食の時代といわれて久しい日本の食文化でしたが、私たちの日常の食生活を安全安心の視点から、見直さざるを得ない時代になったと痛感させられます。

そんな不安な世相の中で、春の歳時記ともいえる田植え作業が進められつつあります。早稲品種の田植えはすでに終わり、これから晩生の田植えが始まろうとしています。植えられた稚苗は水の張られた田の中で心細げに揺らいでいますが、盛夏を迎える頃にはびっしりと大地に根を張り株回りも太くなり、新たな実りを与えてくれることでしょう。一方、収穫期が近づいた小麦は、穂の色を褐色に変えつつあり、間もなく麦秋を迎えようとしています。冬の間小さくなっていた麦の株は、春を迎えるとぐっと繁茂し一雨ごとに背丈を伸ばすと、あっという間に出穂を迎えるさまにたくましい生命力を感じてしまいます。毎年、当たり前のように繰り返されているこうした春の風景なのですが、特に今年は作物たちの成長に強い躍動感や輝きすら覚えてしまいます。

5月17日に行われた田んぼアートの田植え

「食」という漢字は元来、多くの穀物が集まりよい香りが漂った状態を意味しているようです。そういえば専業農家に生まれた私には、収穫された大量のお米や麦から発せられる独特の香が、空き腹を抱えた子どもにはとても芳しい香りに感じられたことが懐かしく思い出されます。高度経済成長期を迎えるまでのわが家の食卓には質素な食事が並ぶばかりでしたが、育ち盛りの空き腹が粗食をなによりのご馳走に変えてくれたものでした。

私たちアジアに暮らす人間は元来、五穀を基本とした質素な食生活を送ってきましたが、歴史的には気候変動による厳しい飢饉の経験も幾度かあったことでしょう。青々とした水田を目にするとこみ上げてくる安堵感は、おそらく遺伝子に組み込まれた太古の原体験によるものなのではないかと想像をしてしまいます。

ところで、真に豊かな暮らしとは何なのでしょう。自由に自動車を乗り回し、テレビで好きな映像を楽しみ、パソコンに興じられる生活を送ることが豊かな暮らしと考えられ、多くの人々はそんな暮らしを手にするために額に汗してがんばってきました。しかし、食の危機を身近に感じて気づかされたのは、まずはわが身と家族の生命が守られること。その生命の基本に食があり、それをしっかり確保したうえで、物質的な楽しみに興じるべきでしょう。今まで現実のものと受け止めにくかった食の確保という不安に直面してみると、身近に農のある地域に暮らせることのありがたさを実感させられるものです。

好景気の時には工業用地の不足が大きな問題とされ、むしろ厄介者扱いすらされた感のあるこの地域の農地でした。私たちの地域に、農地は本当に無駄な空間なのかどうなのか。未来に向けてみんなで真剣に考えねばならない、そんな時代がやってきたように感じられます。

私は身近に農のある暮らしができることに、まずは感謝をせねばならないと思っています。

安城市長 神谷 学

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