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更新日:2013年6月20日

新しい市史

最近、「安城市史」という新しい安城市の歴史書がまとめられました。長年かけてまとめられた貴重な資料や古文書の分析が進められた結果、さまざまな角度から新鮮な視点から本市の歴史を知ることができます。

新たな市史を読み安城市の過去を振り返りますと、明治以降のこの地域の発展がいかに急激なものであったかがよく分かります。江戸末期までの歴史からは、この地域の今日の隆盛は想像すらできないような状況にあったことを再確認させられます。

以下、私が興味を持った歴史的な事実で、特に現代社会の礎をなした明治時代前後の出来事を、私見も含めてまとめてみました。

安城が原の風景

「安城が原」という地名は小学校の授業などでよく聞いたものですが、16世紀までの碧海台地のこの地域、もともとは草や低木を主とする芝野だったようです。広々とした野原の活用を考えた岡崎城主が、松の植樹を命じたと市史に書かれています。こうした松は製塩用の燃料として、また下草は家畜馬の餌や農地への堆肥の原料に使われたようです。

安城市では市の木を「黒松」としており、安城の原風景には黒松林のイメージがつきものですが、これは自然林ではなく、江戸時代以前からの植林による人工林だったと考えられます。広々とした黒松林は明治用水通水による開拓期まで残っていたのでしょう。燃料として重宝された松ですが、明治用水開削後の開墾による伐採が進むと、製塩用の燃料としての活用だけでなく、おそらく瓦やレンガなどを焼く燃料にも使われたのではないかと想像します。瓦の歴史を調べると、「燻(いぶ)し瓦の表面加工のために松の枝葉等油脂の多い燻し用の燃料が用いられた」とあり、また「三州の瓦は大正期に入り生産が旺盛になった」とあります。安城が原の黒松林は、こうした碧海地方の地場産業への燃料供給基地になっていたのではないかと想像されます。

安城が原の絵図

明治用水開削までの安城が原は碧海台地に位置する関係上、水の確保が困難で市内各地に大きな溜め池が点在していました。水に不自由していた農地では、特産品として乾燥に強い綿やサツマイモが作られていたようです。芋は当時の主食でしょうか。また西尾市内では16世紀初頭から木綿の生産が始められており、綿は三河木綿の原料に使われたのでしょう。

明治用水の開削

江戸時代末期には、碧海台地に矢作川から通水しようとする計画が都築弥厚、伊与田与八郎ら地域の素封家により立案されたのはよく知られています。都築の計画は原野の耕地化を主な目的とする農業用水でしたが、伊与田のものは矢作川中流域の水害対策を目的とする排水路であり、それぞれ目的や計画は別でしたが、いずれの案も関係する藩や領内の村々の意向がまとまらず実現には至りませんでした。

明治用水が実現に向かったのは、明治維新後の殖産興業政策が大きな原動力になったようです。国の動きに合わせて愛知県でも勧業・勧農政策が展開され、士族授産や民間事業への積極支援が進められました。明治用水もこの一環として進められた官民共同の性格を持つ事業だったと市史に記されています。江戸時代末期までの安城が原には小藩が分立しており、藩を越えた広域的な利害調整がつかずに事業化に至りませんでしたが、明治維新以後、国や県の強力な支援を受けられるようになり、ようやく用水計画が実現に至ったという経過を辿ります。

西加茂・碧海・幡豆の三郡にわたる広域的農業用水の開通により、水利施設の維持改善の必要性が生じ、この地域の新しい人的な結びつきと組織化が求められました。またそれと同時に碧海台地周辺部の低地では、新しい農業用水からの排水処理が問題となりました。用水維持管理のための組織の運営、鹿乗川湛水防除は、明治用水の開削直後から今日に至るまで常に行政上の重要課題となっています。

荒野への鉄道敷設

明治時代初期のもう一つの大きな歴史的な出来事に、国鉄駅の設置が挙げられるのではないでしょうか。

鉄道開通という前代未聞の出来事の意義がよく理解されなかったであろうこの時代、黒煙を吐き騒音・振動とともに走り抜ける汽車は、農産物や家畜の育ちが悪くなる、火の粉が飛んで火事が起きるなどの理由により、歴史のある宿場町などからかなり嫌がられたようです。そのため鉄道敷設は古い町並みのある旧東海道を避け、荒野に近い状態の安城が原を貫く形で進められたため、現在のような路線形態になったことが市史に記されています。安城が原に鉄道駅が設置されると、駅が人や物資の重要な輸送拠点となり、安城の町は駅を中心に形成されていったと考えられます。

日本デンマークと呼ばれた大正末期から昭和の初期にかけて、この地域ではやせ地になじむ三河スイカが盛んに栽培されました。またやせ地の稲作からはくず米が多く出たため、それを活用した養鶏も盛んになり丸碧ブランドとして販売されます。スイカ・鶏卵ともに東京・横浜方面にまで出荷され、遠隔地に暮らす都市住民の食生活を支えました。

こうした農産物の首都圏への輸送を可能にし、日本デンマークと賞賛されるほどの豊かな農の町となったのも、かつて忌み嫌われた鉄道のお陰といえるでしょう。

発刊された安城市史

江戸時代以前からの伝統ある城下町や宿場町は、保守的な住民意識により近代化の波にさらされにくかった一方、大半が未開の雑木林であった安城が原は明治時代以降、進取の気性に富む人たちにより開拓が進められたため、近代化の波に洗われ続けたといえるのではないでしょうか。明治用水をはじめとする主要産業(当時は農業)基盤の整備と鉄道という輸送手段を確保したことで、今日の発展の礎が築かれたといっても過言ではないと思われます。

こんな安城市の貴重な歴史を記す「安城市史」は、市制50周年を記念して新たに編纂(へんさん)され、全11巻(通史編4巻、資料編7巻)で構成されています。温故知新ということばがあります。時間に余裕のある時、自分の興味がある時代だけでもページを開くと、意外と面白い発見があるものです。地元のことは知っているつもりでも、意外に知らないことが多いものだと気づかされました。

安城市長 神谷 学

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