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更新日:2013年6月20日

山は哲

表題は、私の敬愛する著名な登山家のことばです。哲学を専攻したことのない私には難しい話はよく分かりませんが、山に登るときの自分を振り返ると、なぜか共鳴する何かを感じてしまうのです。

水晶岳付近から望む槍ヶ岳

本格的に山に登り始めて約11年になります。山に登り始めたきっかけは、あの阪神淡路大震災復興へのボランティア協力。被災者への生活支援ボランティアでしたが、参加者に求められたのは携帯ガスコンロと寝袋の持参でした。私の担当は西宮市。真冬の2日間でしたが、汗をかきながら全国からの救援物資を被災世帯に配布して歩き通しました。

ボランティアから帰宅すると手元に残ったのは、真新しいばかりのコンロと寝袋。これらの活用方法を考えるうちに、被災時の生き残り策と大自然の中でのサバイバルは共通性があることに気づきました。「山登りを始めれば、どんな環境でも生き抜ける自分になれるのでは…」。

ごく単純にそう考え、始めた山登り。今日までで日本アルプスのほぼ全山を踏破する状況となりました。

楽しい思い出が多くある反面、怖ろしい経験も数多くあります。落石、落雷、崖っぷちでの転倒、道迷いなど。あと一歩間違っていたら、私はもうこの世の中に存在していなかったと思われるような事故の体験もあります。

それだけに山行中は、己の命や存在というものを、嫌でも考えざるを得ないような心境にさせられるのです。

無事に下山し家路に着く時、「なぜ生きるのか」でなく、「なぜ生かしていただいているのか」を自問自答する自分がいます。満足な解答は未だ見出していませんが、「生かしていただける値打ちが、まだ私にはあるのだろう」と、そう思うことにしています。

短い夏を惜しむ高山植物

自らのヒナを守るライチョウ

この夏、お盆休みを取り、北アルプス黒部川源流域の山々を縦走してきました。8月中旬とはいえ3千m近い雲上界には、もう秋の気配が漂っていました。高山植物たちは短い夏の終わりを惜しみ、雷鳥の親は必死でヒナを守り、山の生物たちは皆、けな気な生命を完全燃焼させているように見えました。
雄大な自然のパノラマ、可憐な生き物たち、そして自分も含めて、なぜか「やっぱり、山は哲なのだ」と、妙にそんな気分にさせられるものです。

今夏の山行は天候に恵まれ、また健康状態も大変よく、つかの間の雲上人気分に浸ってしまっているうち、うかつにも砂地の緩斜面で足を滑らせ転倒してしまい、足首を捻挫してしまいました。「好事魔多し」でしょうか。

身をもって、山からはいろいろなことを学びました。また、山は本当にいろいろなことを教えてくれます。

安城市長 神谷 学

神々しい山のご来光

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