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更新日:2013年6月20日

こどもの日に考える

小学校の子どもたちが中心になって、小学生向けの雑誌を作るとのことで、5月の連休前に子どもたちによるインタビューを受けました。彼らの「どうして市長になりたかったのですか」との問いかけに、「ずっと以前から、人に感謝をされる生き方に憧れを持っていたのですよ」と答えました。

各市長にはいろいろな目標があって就任されたことと思いますが、市長に限らず行政の職にある者は、すべからく利他の精神を持ち合わせているべきだと考えます。

子どもたちから取材を受ける市長

最近話題になっている「13歳のハローワーク」という本を、私の二人の娘向けに買い、行政職の項目を見てみました。行政の仕事をする人は、まず「人の役に立つのが好きなこと」が基本と書かれており、私も大きくうなずけました。

 

人の役に立つことが好きだから「役人」であり、市民の役に立つ所だから「市役所」なのでしょう。この基本原則を忘れてはならないと思いました。

 

5月の連休中に「パッション」というイエス・キリストの最期を描いた映画を観る機会に恵まれました。

十字架にはりつけにされる壮絶な瞬間に目をそむけたくなりましたが、血まみれになりつつも「汝(なんじ)の敵を愛せよ」ということばを残し、迫害者たちを恨むことなく、神の意思に全てをゆだねたイエスの姿に感銘を受けました。

 

常人にはとても真似できない崇高なイエスの最期でしたが、仏教にも同様の思想が貫かれているように思えます。比叡山に延暦寺を建てた最澄は、弟子たちに「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」ということばを山家学生式という文に遺(のこ)され、慈悲の心を持って他者を利することの中に、仏教の根本的な理念があることを示されました。

 

キリスト教では「愛」といい、仏教では「慈悲」という違いはあるものの宗教の根底にあるのは、こうした他者への深い思いやりのようです。

 

俗っぽいことばでは、「情けは人のためならず」ということわざが挙げられるのでしょうか。他人に施す情けは、巡りめぐって自分に還ってくるもの。よって、自分の真の幸せというものを望むのであれば、まずは人に親切にしてあげなさいという意味が込められているのだと、私はそう理解をしています。

 

人間の真の幸せというものが他者への奉仕にあるとすれば、市役所で多くの市民の皆さんのために働ける人たちは、この上ない自己の幸福実現のための日々を生きているといえるでしょう。その頂点に立つ者が市長であるのなら、市民の皆さんの幸福な生活の実現へ尽力することを通じて、私自身の幸福の成就も図られているという今の立場に、心から感謝をしなければならないと思えます。

しかし、13歳のハローワークには、こうも記されていました。「政治家は、さまざまな集団・グループの利害の調整のための方法を考え実行する。(中略)集団内の全てのグループやすべての人が満足をする政策などがあるわけがないので、政治家は誰かに恨まれる」。

 

市長も政治家である以上、すべての人に感謝をされて生きることは不可能のようです。市民の皆さんの最大公約数の幸せというものに思いを馳せ、せめてお一人でも多くの方に感謝をされる行政運営に心がけてゆきたいと、自分自身にそう言い聞かせております。

5月7日発展祭の様子

ところで先日のこどもの日、ある企業の調査による子どもたちの「大人になったらなりたいもの」のベストテン圏内に政治家が見当たらないことに気がつきました。そういえばインタビューに訪れた小6の子どもたちも、それぞれ学校の先生、ゲームメーカー勤務、スポーツ選手などで、政治家になりたいという子がいなかったのに気がつきました。

13歳のハローワークには、「そもそも政治とは何か、と考えるとこれも極めて分かりにくい。(中略)世の13歳はこんなにわかりにくい職業を目指すべきではない」とすらあります。納得できるような、釈然としないような、複雑な心境にさせられます。

保護者の方々や子どもたちが、憧れるような市長であらねばならない。最近、私はそう思うようになりました。どうしたら彼らの憧れの的になれるのか。こどもの日を契機に彼らの未来に思いを馳せ、これから時間をかけてじっくり考えてみることにしました。

安城市長 神谷 学

 

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