ホーム > あんじょう市はどうやってできたの?
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石井(いしい)遺跡(いせき)などの考古学の調査(ちょうさ)で現在(げんざい)の安城(あんじょう)市の地域(ちいき)では、約(やく)1万年前から人々(ひとびと)が暮(く)らしていたらしいことがわかっています。
はっきりと人々(ひとびと)の暮(く)らしの痕跡(こんせき)が残(のこ)っているのは、縄文(じょうもん)晩期(ばんき)中ごろ(約(やく)2700年前)から。当時の人たちの「ゴミ捨(す)て場(ば)」堀内(ほりうち)貝塚(かいづか)や東端(ひがしばた)貝塚(かいづか)が見つかっているからです。
日本で本格(ほんかく)的(てき)な稲作(いなさく)が始(はじ)まった時代(じだい)、弥生(やよい)時代(じだい)の遺跡(いせき)も、古井(ふるい)遺跡群(いせきぐん)や亀塚(かめづか)遺跡(いせき)があります。亀塚(かめづか)遺跡(いせき)では1977年に全国(ぜんこく)でも珍(めずら)しい人面文(じんめんもん)土器(どき)が見つかっています。
前方後円墳(こうえんふん)などの古墳(こふん)が盛(さか)んに作られた古墳(こふん)時代(じだい)。安城(あんじょう)市でも塚越(つかこし)古墳(こふん)や二子(ふたご)古墳(こふん)などが築(きず)かれています。
平安(へいあん)時代(じだい)、後に藤原(ふじわら)頼通(よりみち)のものとなる志貴(しき)庄(しょう)という荘園(しょうえん)がありました。
室町時代(じだい)、徳川(とくがわ)家康(いえやす)の先祖(せんぞ)にあたる松平(まつだいら)信光(のぶみつ)が安祥(あんしょう)城(じょう)の城主(じょうしゅ)となって三河(みかわ)一帯(いったい)に松平(まつだいら)氏(し)の勢力(せいりょく)を伸(の)ばしていきます。
戦国(せんごく)時代(じだい)には、安城(あんじょう)市の地域(ちいき)は、織田(おだ)氏(し)や松平(まつだいら)氏(し)、今川(いまがわ)氏(し)などの争(あらそ)いの舞台(ぶたい)となります。

江戸(えど)時代(じだい)に、現在(げんざい)の安城(あんじょう)市の平野部(へいやぶ)では川の開削(かいさく)などが行われ、台地上では多くのため池が作られて、各地(かくち)で新田開発(かいはつ)が進(すす)み、農地(のうち)がふえていきました。

19世紀(せいき)になると、都築(つづき)弥厚(やこう)によって、後の明治(めいじ)用水の計画が立てられ、明治(めいじ)時代(じだい)に入って1878(明治(めいじ)11)年から用水の建設(けんせつ)が始(はじ)められました。水路(すいろ)が整備(せいび)されるにつれて、それまでわずかな作物(さくもつ)しかとれなかった碧海(へきかい)台地の開発(かいはつ)が大きく進(すす)み、安城(あんじょう)の農業(のうぎょう)が発展(はってん)する土台が築(きず)かれました。
1889(明治(めいじ)22)年には国鉄(こくてつ)東海道本線に安城(あんじょう)駅(えき)ができ、駅前(えきまえ)に町並(まちな)みがうまれていきます。
1906(明治(めいじ)39)年には安城(あんじょう)村と周辺(しゅうへん)8ヵ村が合併(がっぺい)して安城町(あんじょうちょう)となります。安城町(あんじょうちょう)を中心に道路(どうろ)の整備(せいび)が進(すす)んだことや、1923(大正12)年の愛知(あいち)電気鉄道(てつどう)(現(げん)・名鉄(めいてつ)名古屋(なごや)本線)、1926(大正(たいしょう)15)年の碧海(へきかい)電気鉄道(てつどう)(現(げん)・名鉄(めいてつ)西尾線(にしおせん))が開通(かいつう)したことで、安城町(あんじょうちょう)の市街地(しがいち)はさらににぎわっていきました。
交通の便(べん)が良(よ)い安城(あんじょう)には、多くの農業(のうぎょう)指導(しどう)機関(きかん)が移転(いてん)・設置(せっち)され、農業(のうぎょう)の多角化(か)・共同(きょうどう)化(か)が実施(じっし)されたことから、1920年代(ねんだい)から1930年代(ねんだい)にかけて、安城(あんじょう)周辺(しゅうへん)は日本の農業(のうぎょう)先進(せんしん)地域(ちいき)となり、「日本デンマーク」と呼(よ)ばれました。また、製糸業(せいしぎょう)も発展(はってん)し、1930年代(ねんだい)に紡績業(ぼうせきぎょう)も盛(さか)んとなります。
太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)中の1944(昭和(しょうわ)19)年に東南海地震(じしん)、1945(昭和(しょうわ)20)年に三河(みかわ)地震(じしん)が発生(はっせい)し、桜井(さくらい)町や明治(めいじ)村では大きな被害(ひがい)が出ました。しかし戦争(せんそう)による被害(ひがい)はほとんどなかったため、戦災(せんさい)を逃(のが)れて安城(あんじょう)周辺(しゅうへん)に工場を移転(いてん)する企業(きぎょう)も出てきました。
1952(昭和(しょうわ)27)年には人口が3万5千人に達(たっ)し、5月5日に愛知(あいち)県下(けんか)13番目の市となりました。1955(昭和(しょうわ)30)年には明治(めいじ)村の一部(いちぶ)を、1960(昭和(しょうわ)35)年には岡崎(おかざき)市の一部(いちぶ)を編入(へんにゅう)して安城(あんじょう)市は大きくなります。
1967(昭和(しょうわ)42)年には桜井町(さくらいちょう)を合併(がっぺい)し、現在(げんざい)の広さの安城(あんじょう)市が誕生(たんじょう)しました。
1972(昭和(しょうわ)47)年に人口が10万人を越(こ)えた安城(あんじょう)市。1988(昭和(しょうわ)63)年には東海道新幹線(しんかんせん)に安城(あんじょう)市民(しみん)の念願(ねんがん)だった三河安城(みかわあんじょう)駅(えき)が誕生(たんじょう)します。
1997(平成(へいせい)9)年には、日本デンマークの「デン」、田園の「デン」、伝統(でんとう)の「デン」と公園の「パーク」を組み合わせて名づけられた安城(あんじょう)産業(さんぎょう)文化(ぶんか)公園デンパークが開園(かいえん)、毎年50万人を越(こ)える人々(ひとびと)が訪(おとず)れています。
2005(平成(へいせい)17)年、安城(あんじょう)市の人口は17万人を超(こ)えました。
